高岡市民病院 沿革

高岡市民病院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/27 23:33 UTC 版)

沿革

  • 昭和26年(1951年)10月1日 - 健康保険高岡市民病院として向野地内にて開院[1]。当初の診療科目は内科、外科、整形外科で、入院患者の収容能力は50人であった。同年中に耳鼻咽喉科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、小児科が開設されたのをはじめ、順次診療科目の充実が図られた。
  • 昭和29年(1954年)4月 - 高岡市民病院付属准看護婦養成所発足。
  • 昭和30年(1955年)8月 - 前年度より着工していた伝染病棟(収容人員52人)開設。
  • 昭和33年(1958年6月3日 - 病院内に県内最初の肢体不自由児学級『こまどり学級』が開設される[2]
  • 昭和34年(1959年)4月 - 総合病院として承認。
  • 昭和39年(1964年)5月 - 救急病院として指定。この頃より新病棟建設のための設計やボーリングが行われる。
  • 昭和40年(1965年)3月 - 建物の一部が国有財産であったのを高岡市が買収したのに伴い、名称を健康保険高岡市民病院から高岡市民病院に改める。
  • 昭和41年(1966年)秋 - 新病棟竣工式。
  • 昭和42年(1967年)度 - 昭和43年(1968年)度 - 45床収容の伝染病棟を建設。
  • 昭和46年(1971年) - 昭和45年(1970年)4月の高等看護学院(現在の高岡看護専門学校)開校に伴い、付属准看護婦養成所が廃校。
  • 昭和63年(1988年) - 病院経営健全化計画策定。
  • 平成8年(1996年)3月 - 新病院改築工事起工式。
  • 平成8年(1996年)11月 - 災害拠点病院として指定。
  • 平成12年(2000年4月25日 - 外来診療棟完成[3]
  • 平成15年(2003年)10月 - 財団法人日本医療機能評価機構認定病院(一般病院)の認定。
  • 平成19年(2007年)1月 - 地域がん診療連携拠点病院として指定。
  • 平成19年(2007年)10月 - 電子カルテシステムが稼働。
  • 平成19年(2007年)10月 - 日本がん治療認定医機構認定研修施設として指定。
  • 平成20年(2008年)12月 - 財団法人日本医療機能評価機構認定病院(一般病院)の更新認定。
  • 平成21年(2009年)4月 - DPC(包括評価方式)病院。
  • 平成29年(2017年)4月 - 併設されていた高岡市立看護専門学校が再編により富山県高岡看護専門学校となり、高岡駅前のソラエ高岡に移転。

  1. ^ 『目で見る 高岡・氷見・新湊の100年』(1993年11月27日、郷土出版社発行)163頁。
  2. ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第2巻』(1999年7月30日、北日本新聞社発行)116頁。
  3. ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第3巻』(2000年11月26日、北日本新聞社発行)304頁。






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