香取型練習巡洋艦 概要

香取型練習巡洋艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/18 07:24 UTC 版)

概要

建造までの経緯

大正5年度(1916年)以降の日本海軍では士官候補生の遠洋航海に、日露戦争で活躍した装甲巡洋艦を使用していた[注釈 4]。しかし艦の老朽化や転用[注釈 5]などで1935年(昭和10年)以後に使える艦は磐手・八雲の2隻に減り[23]、搭載装備も旧式化していた[24]。また海兵卒業者の増加という事態に対応するために、昭和13年度計画1938年)から練習艦任務に特化した巡洋艦を備する計画を立てた[25]。当初③計画で3隻が計上されたが2隻(「香取」「鹿島」)のみの予算が承認され[26]、後に昭和14年度計画(④計画)において1隻(「香椎」)が[27]、昭和16年度からの建造で1隻(予定艦名「橿原」)が追加された[28]結果、計4隻の建造予算が承認された。これが香取型練習巡洋艦である。

4隻はいずれも秩父丸氷川丸を建造した[25]三菱重工業横浜船渠[4](現横浜製作所)に発注された[25]。また4隻の艦名は頭文字に『』を持つ神社香取神宮鹿島神宮香椎宮橿原神宮)に由来している[3]

要求性能として乗員の他に少尉候補生が375名が居住できる[3](兵科約200名、機関科約100名、主計科約50名、軍医科約25名[13])。航海に不慣れな候補生のために速力よりも外洋での航海性能を重視して安定した船体形状を採用していた[要出典]。また、候補生の実習のために艦橋や居住区は大きめに設計され、武装面においても敢えて最新型ではなく艦隊で広く使用されている兵器を多種多様に搭載された[3]。 (最新兵器を搭載しなかったのは予算上の問題、あるいは機密上の問題とされる[12])。機関においても日本の軍艦には珍しい蒸気タービンディーゼル機関を組み合わせた推進形式となったが、これは訓練生に様々な機関形式を学ばせるためだったという[3]

また、練習航海時に海外からの目があるため、外観も軽巡洋艦ながら大型の艦橋を建てるなど威容のある設計が採られ[24]、艦内の内装についても外国航海の際に賓客をもてなすために司令官室などを立派な内装にしていた[3]。限られた予算の中でこのような内装を施すのは苦労したと伝えられる[12]

船体サイズは設計時から基準排水量5,800トンに抑え、船体構造も安価となる商船構造に近い[20]。その結果、香取型3隻の予算ベースでの合計額は、阿賀野型軽巡洋艦1隻分に当たる2,040万円までに抑えられている[29]

類別・艦級

日本海軍では1931年(昭和6年)に軍艦の類別として練習巡洋艦が制定された[30]。これはロンドン軍縮条約による球磨型の転用を予定していたためであるが、実現に至らなかった[31]。そのため練習巡洋艦に登録されたのは、1940年(昭和15年)の香取・鹿島・香椎の3隻が最初になる[2]。また1年後には太平洋戦争開戦となったために、練習巡洋艦は結局この3隻のみになった。なお3隻の類別は練習巡洋艦になってはいるが、速力は18ノットしかなく、事実上は練習艦と言うべき艦になる[20]

また艦艇類別等級表の「艦(艇)型」(艦級に相当)の該当欄は空白であり、公文書では香取型は存在しない[2]。通常は橿原を含めた4隻が香取型と呼ばれている[32]

実際の運用

3隻のうち実際に練習艦隊を組んだのは香取と鹿島の2隻のみで海軍兵学校海軍機関学校海軍経理学校(・海軍軍医学校)の士官候補生を乗せた昭和15年度練習航海の1回のみとなった[33][34]。当初はインド洋方面の遠洋航海を予定していたが、浅間丸臨検事件などが発生し予定を変更[33]。前期は日本近海(日本、大湊、鎮海、旅順、大連、上海)、後期は10月1日から12月1日にかけて東南アジアから南洋方面(マニラ、バンコク、バタビア、ダバオ、パラオ、トラック)という計画になった[34]。練習艦隊(司令官清水光美中将)は6月1日に編成された[注釈 6]。 8月7日に日本を出発[34]。これさえも国際情勢の悪化から出師準備計画により前期航海で終了する[34][33]。これは8月17日の海軍首脳部会議で吉田善吾海軍大臣が(練習艦隊を解隊するならば)「成ルベク速ニ取消セ」の指示を出した為という[34]。上海方面巡航を終えて内地に帰投後の9月20日、練習艦隊は解隊された[34]

同年11月15日、鹿島は第四艦隊(昭和14年11月15日編成[36]、当時の旗艦は水上機母艦千歳)に、香取は新編成の第六艦隊に編入され、それぞれの旗艦となった(鹿島は第十八戦隊旗艦兼務、香取は第一潜水戦隊旗艦兼務)[37]。 翌1941年(昭和16年)12月、2隻は各艦隊の独立旗艦となった[38]

香取・鹿島に約1年遅れて竣工した3番艦香椎(昭和16年7月15日竣工)は練習艦隊を組む機会なく[24]、同年7月31日に編成された南遣艦隊旗艦となり、東南アジア方面に進出した[12][39]。4番艦(予定艦名「橿原」[12])は開戦決定により不急艦として建造中止となり[28]、 実際に竣工したのは3隻であった[12]

本型は有事に際して艦隊旗艦[34]や母艦、または敷設艦の使用を考慮していたと言われる[12]。 このため各艦とも艦隊旗艦として太平洋戦争開戦を迎え[12]、作戦指揮全般に当たっていた。 香取が1944年(昭和19年)2月17日のトラック島空襲で撃沈されたあと、鹿島と香椎は対潜掃討艦に改装され[24]、対潜部隊の旗艦として使用された[29]。香椎は1945年(昭和20年)1月12日にヒ86船団を護衛中、米軍空母機動部隊の攻撃で沈没した[24]。鹿島のみが大戦を生き延び、復員輸送艦として利用されたあと、解体された[24]


注釈

  1. ^ #軍艦基本計画資料 Sheet116では練習艦として6,650トンの値もある。
  2. ^ #東・石橋(1980)利根型香取型 p.48では過熱器と表現している。
  3. ^ #軍艦基本計画資料 Sheet7では候補生275名になっている。
  4. ^ 旧式化した装甲巡洋艦は、海防艦に類別変更されていた[21]常磐八雲磐手浅間吾妻出雲のうち毎年1隻から3隻が練習艦任務にあてられた[22]
  5. ^ 常磐は敷設艦、出雲は第三艦隊旗艦遣支艦隊旗艦に転用された。
  6. ^ 面目一新の練習艦隊 新鋭巡洋艦香取、鹿島 司令官清水中将以下首腦部補職發表(中略)[35] 練習艦専用に建造の最新式巡洋艦 餘裕ある自主的建艦!【東京一日同盟】帝國海軍では一日新鋭練習巡洋艦香取、鹿島の就役を發表したが兩艦は同型にして昨年三菱横濱ドツクで進水したばかりの最新式のものであるが、當初より練習艦として建造されたものは今回の香取、鹿島が初めてゞ如何に帝國海軍が教育に重點を置き、しかも列強が海軍再軍備に狂奔しつゝある中に在つて餘裕のある自主的建艦に邁進してるかを證左するものである、新練習艦の要目は左の如くである/一、艦種、練習巡洋艦/一、排水量、九八〇〇噸/一、速力、一八ノツト/、一、主要兵装、大砲一四センチ砲四、一二センチ砲七、高角砲二、發射管四(記事おわり)
  7. ^ #造船技術概要(1987) p.372ではバラストの合計を約900トンとしている。#JapaneseCruisers(1997)p.667,Table13.3 "Stability Data of the Katori Class"によると、計画で合計727トン、香取の実際でバラスト587トン、液体バラスト234トンで計821トン。
  8. ^ #日本海軍艦艇図面集図42-2、公式図による爆雷庫に搭載可能な数は中甲板200+69個、下甲板21+21+15個の計329個。鹿島は1945年2月に爆雷300個を搭載している(#S20.1-S20.3第102戦隊日誌AS作戦(1) 画像41、第102戦隊戦時日誌(昭和20年2月分)の参考事項〔 (三)AS1作戦用トシテ鹿島ニ搭載輸送セシモノ 爆雷三〇〇個 爆弾二十五番一〇発 六番二〇発 航空揮発油 二九〇罐(五八 キロリットル※) 零式水偵二機搭載上必要なる諸物件 〕※キロリットルは漢字1字で「立」に「千」と書かれている。

出典

  1. ^ #日本海軍艦艇写真集-巡洋艦p.183
  2. ^ a b c d e f g #S15.12.25内令提要原稿/艦船(1)画像3、「艦艇類別等級表」| 軍艦 | 練習巡洋艦 | (等級空白) | (艦(艇)型空白) | 香取、鹿島、香椎 |。
  3. ^ a b c d e f #三菱、20話27-28頁
  4. ^ a b c #昭和造船史1pp.784-785
  5. ^ a b c d e f g h i j k l #軍艦基本計画資料Sheet7
  6. ^ #S17.6.30内令提要(中)原稿/機密保護画像9、艦船要目公表範囲
  7. ^ #JapaneseCruisers(1997)p.667
  8. ^ a b c d e f g h #東・石橋(1980)利根型香取型pp.46-47
  9. ^ a b c #JapaneseCruisers(1997)p.834 "Armor and Protective Plating".
  10. ^ a b c d #阿部(1990)香取機関p.166
  11. ^ a b c d e f g #造船技術概要(1987)pp.1693-1694
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj #東・石橋(1980)利根型香取型p.48
  13. ^ a b c d #造船技術概要(1987)pp.371-372
  14. ^ 昭和15年4月20日付 海軍内令 第272号制定、海軍定員令「第48表ノ3 練習巡洋艦定員表」。この数字は飛行科要員を含み、候補生を含まない。
  15. ^ #JapaneseCruisers(1997)p.671
  16. ^ #JapaneseCruisers(1997)p.834 "Armament".
  17. ^ #JapaneseCruisers(1997)p.834 "Fire-Control Equipment".
  18. ^ #S17.2佐鎮日誌(5)画像20-21、2月21日海軍大臣発、官房機密第2208号 『軍艦香椎爆雷兵装新設ノ件訓令 佐世保海軍工廠ヲシテ首題ノ件左記ニ依リ施行セシムベシ 記 一、工事要領 爆雷手動投下台四個ヲ後甲板適当ナル位置ニ装備ス但シ本兵装ハ戦時中ノミ仮装備トス 二、所要兵器 爆雷手動投下台一型 二組「四個」在庫品 三、試験 施行セズ 四、完成期 時期ヲ得次第成ルベク速ニ 五、費目 艦艇製造費、艦艇製造費、造船費造兵費第百一號艦(船)(水)別途配布豫算内支弁トス』。 #S17.2横鎮日誌(4)画像25、1942年2月24日〔 横工廠ヲシテ軍艦香取爆雷兵装新設ノ件訓令受領(官房機密第二二〇八)号 〕
  19. ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 94a香取型練習巡洋艦/大戦中は艦隊旗艦として運用された練習巡洋艦
  20. ^ a b c #東・石橋(1980)利根型香取型p.47
  21. ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, pp. 140–141コラム(6)旧式巡洋艦、■日本海軍の装甲巡洋艦
  22. ^ #衣島(2011)練習艦隊史p.71の一覧表。
  23. ^ #東・石橋(1980)利根型香取型p.46
  24. ^ a b c d e f イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 94b.
  25. ^ a b c #三菱、20話26頁
  26. ^ 戦史叢書31、海軍戦備(1)pp.532-534、昭和十三年度計画艦艇製造。
  27. ^ 戦史叢書31、海軍戦備(1)pp.575、(④計画の)建造状況。
  28. ^ a b c d e 戦史叢書31、海軍戦備(1)p.593、練習艦一隻建造追加。
  29. ^ a b #中川1997世界艦船95頁
  30. ^ #海軍制度沿革8(1971)pp.94-95、昭和6年4月1日内令第53号。
  31. ^ #JapaneseCruisers(1997)p.663
  32. ^ #日本巡洋艦史(2011)p.140など
  33. ^ a b c #鈴木(1980)練習艦隊
  34. ^ a b c d e f g 戦史叢書91、大本営海軍部(1)開戦まで 480-483頁〔 秘密裏の発足-昭和一五年八月下旬 〕
  35. ^ Hoji Shinbun Digital Collection、Nippu Jiji, 1940.06.01、p.3、2023年5月20日閲覧 新鋭練習専用艦香取〔上〕鹿島〔下〕兩艦【何れも進水式の時の撮影】
  36. ^ 戦史叢書91、大本営海軍部(1)開戦まで432頁『三コ遣支艦隊の新編と第四艦隊の独立―昭和十四年十一月十五日』
  37. ^ 戦史叢書91、大本営海軍部(1)開戦まで512-513頁『第六艦隊・第十一航空艦隊新編』
  38. ^ #伊達(1980)行動年表p.56
  39. ^ 戦史叢書91、大本営海軍部(1)開戦まで 516頁〔 第五艦隊・南遣艦隊の追加的新編 〕
  40. ^ a b c #梅野(1987)新造時香取型p.70
  41. ^ #梅野(1987)新造時香取型p.71
  42. ^ a b c 日本潜水艦物語230-231頁『迅鯨型(迅鯨、長鯨)』
  43. ^ #JapaneseCruisers(1997)p.667,Table13.3 "Stability Data of the Katori Class".
  44. ^ #世界巡洋艦物語p.338
  45. ^ #東・石橋(1980)利根型香取型p.47、第4図「鹿島(新造時)」
  46. ^ a b c d #東・石橋(1980)利根型香取型p.49
  47. ^ #重巡利根型 軽巡香取型p.55上の写真
  48. ^ #重巡利根型 軽巡香取型p.68上の写真
  49. ^ #終戦時の日本海軍艦艇(1947)p.13
  50. ^ a b c d e f g #阿部(1990)香取機関p.167
  51. ^ #阿部(1990)香取機関pp.166-167
  52. ^ a b c d e #阿部(1990)香取機関p.166、第1図「練習巡洋艦『香取型』機関配置図」






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