雲龍院 雲龍院の概要

雲龍院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 22:01 UTC 版)

雲龍院
龍華殿
所在地 京都府京都市東山区泉涌寺山内町36
位置 北緯34度58分37.7秒 東経135度46分48.4秒 / 北緯34.977139度 東経135.780111度 / 34.977139; 135.780111座標: 北緯34度58分37.7秒 東経135度46分48.4秒 / 北緯34.977139度 東経135.780111度 / 34.977139; 135.780111
山号 瑠璃山
宗旨 古義真言宗
宗派 真言宗泉涌寺派
寺格 別格本山
本尊 薬師如来
創建年 応安5年(1372年
開基 後光厳天皇
正式名 瑠璃山雲龍院
札所等 西国薬師四十九霊場第40番
泉山七福神巡り第5番(大黒天
文化財 本堂ほか(重要文化財)
法人番号 7130005002220
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書院の「悟りの窓」
霊明殿
庭園

歴史

南北朝時代北朝後光厳天皇の勅願により、竹巌聖皐を開山として応安5年(1372年)に龍華院と共に創建された。後円融天皇後小松天皇称光天皇など皇室帰依を受けて発展したとされる。

文明2年(1470年)には応仁の乱の余波を受けて全焼し、後光厳天皇後円融天皇の尊像を残すのみとなるほどの被害を被った。

江戸時代初期、如周宗師が隣接する後円融天皇縁の龍華院を併合する。

勅願の寺院で皇室との縁の深さから、他の塔頭と同じく泉涌寺山内にありながら別格本山という高い寺格が与えられている。また、霊明殿には北朝歴代天皇の御尊牌が奉安されている。

毎年1月の第2月曜日成人の日)に行われる泉山七福神巡りでは五番として大黒天を奉祀する。

伽藍

文化財

重要文化財

  • 本堂
  • 絹本著色後円融院像 – 土佐光信筆、後土御門天皇宸翰の賛あり。
  • 法華経(開結共)10巻(泉涌寺・雲龍院共有) 巻八に後奈良天皇宸翰の跋あり。

その他

  • 薬師三尊像 – 薬師如来坐像を中尊、日光菩薩月光菩薩立像を脇侍とする三尊像。鎌倉時代作。
  • 後光厳天皇尊像・後円融天皇尊像 -南北朝時代作。霊明殿安置。共に烏帽子直衣姿の彩色像。
  • 大黒天立像(走り大黒天) – 室町時代作 。
  • 大石良雄(大石内蔵助)筆「龍淵
  • 雲龍院では霊園や寺院がご遺骨を管理・供養してくれる永代供養をおこなっていて自動搬送式の納骨堂がある。[1]



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