阪神3301形・3501形電車
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主要機器
台車および電装品は、台車は住友金属工業製コイルバネ付のFS-206を装着し、駆動方式は直角カルダンが採用されている[4]。主電動機は3301形が東芝製SE-516、3501形が東洋電機製造製TDK-858-1Bをそれぞれ4基搭載し、いずれも端子電圧300V時の1時間定格出力60kWである。
制御装置は、東芝製のPE-15Aで1C4M(1台の装置で4台の主電動機を制御する)方式であった。制動装置は発電制動付電磁直通式のHSC-Dである。
3301形および3501 - 3508は抵抗器が強制通風方式となっており、冬季は排熱を車内暖房に利用した[5]。3509以降は自然通風方式となっている。
赤胴車登場
3301・3501形とも試運転ののち、急行運用を中心にラッシュ時の準急や区間急行[注 2]に投入された。ラッシュ時は一部の区間急行運用を除いて4 - 5連で運行され、昼間時以降は3連で運行された。大型車5連と小型車5連で比較した場合、車体長が大型車の約95mに対して小型車は約74mとなり、床面積では小型車の約1.6倍、乗車人員で約1.5倍と、大型車投入による輸送力増強効果は大きなものがあった。本形式の投入と、同時に併用軌道線[注 3]から71形を本線系の支線である武庫川線と尼崎海岸線に転用することで急行系小型車を捻出、これらの車両を活用して輸送力増強を図ったほか、小型両運転台で輸送力の小さい701形を置き換えた。また、登場直後から3011形の検査入場時には特急運用に投入されたこともあった。
1960年9月のダイヤ改正で特急が10分ヘッドの運転となると、本形式も本格的に特急運用に充当されるようになった。その後3601・3701形が増備されると、同形式の増結車としても活用されるようになった。架線電圧の直流600Vから直流1,500Vへの昇圧を控えた1965年に両形式とも昇圧後も単車走行可能な形で昇圧改造がなされた。同時に、3301形および3501形3501 - 3508の暖房装置は3509以降と同一品に変更された。そして1967年3月には最後まで武庫川線に残っていた881形を3301形によって置き換え、阪神の車両大型化および高性能化を達成した。
昇圧から冷房改造まで
1967年11月に、架線電圧を直流600Vから直流1,500Vへの昇圧を実施するとともに、ATSの取り付けが行われた。約半年後の1968年4月には神戸高速鉄道が開業し、同社を介した山陽電気鉄道への相互乗り入れを開始した。本形式も他の急行系車両と同様に山陽電気鉄道本線須磨浦公園駅まで乗り入れることとなったが、単車走行可能な特性を生かして、5 - 6連運行が常態化しつつあった本線の優等列車の増結車として活用される一方、2連運行が基本の三宮 - 西九条間の西大阪特急にも充当された。
3501形の冷房改造は、7801形、3521形に引き続いて、1973年から1974年にかけて実施された。奇数車と偶数車で固定編成となり、単車走行は不可能になった。制御装置は2両ユニットで抑速制動付きの三菱電機製1C8M(1台で8台の主電動機を制御する)方式のABFM-68-15-MDHAに換装されたほか、偶数車のパンタグラフは撤去され、制御装置は奇数車に、電動発電機や空気圧縮機は偶数車に設置された。冷房装置は分散式のMAU-13H形で、奇数車には6台、偶数車には7台搭載された。車内には補助送風機としてラインデリアも取り付けられたほか、冷房機搭載スペースを確保するため、パンタグラフは下枠交差式となり、取付位置は運転台側から連結面側に変更された[4]。
3301形の冷房改造は、7801形2次車とともに、急行系車両最後の冷房改造車として1975年に施工された。改造内容は3501形とほぼ同じであるが、制御器の換装は実施されなかったほか、パンタグラフを神戸寄りに移設のうえ下枠交差式に換装した[1]。床下スペースの関係から自車に冷房用電源を搭載できず、併結車両から受電する方式となった[3]。単行運用の武庫川線では冷房は使用できず、ラインデリアのみを使用して運用していた[3]。
注釈
出典
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