阪神3301形・3501形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/07 13:46 UTC 版)
阪神3301形・3501形電車 | |
---|---|
![]() 阪神3301形(1981年6月 武庫川駅) | |
基本情報 | |
運用者 | 阪神電気鉄道 |
製造所 | 川崎車輛、日本車輌製造、汽車製造 |
製造年 | 1958年 - 1959年 |
製造数 |
3301形: 4両 3501形: 20両 |
引退 |
3301形: 1986年 3501形: 1989年 |
主要諸元 | |
編成 |
両運転台付単行車(3301形) 2両編成(3501形) |
軌間 | 1,435 mm |
電気方式 | 直流1500V |
台車 | FS-206 |
主電動機出力 | 60kW/300V × 4基 (1時間定格) |
駆動方式 | 直角カルダン駆動方式 |
制御方式 | 抵抗制御 |
制動装置 | 発電併用電磁直通ブレーキ(HSC-D) |
両形式は共通点が多いため、当記事内で併せて記載する。
また、本項ではえちぜん鉄道のMC2201形電車についても記述する。
大型車時代の到来
阪神の車両大型化は、1954年に製造された阪神最初の大型高性能車である特急用の3011形によって始まった。その後数年間は新車の増備はなく、3011形が特急を中心に、ラッシュ時や特急の運転時間前後に間合いで急行や準急運用に就いていた。その一方で、3011形の投入に伴って阪神間の直通旅客のシェアが増加したほか、経済白書では「もはや戦後ではない」と言及された経済状況の下、沿線の商工業は活性化し、阪神の新設軌道各線[注 1]も本線を中心に輸送力の増強に追われることとなった。
1958年に入ると、いよいよ車両の大型化と高性能化を本格的に推進することとなった。7月に普通系車両の新車として「ジェットカー」の試作車である5001形(初代)が登場し、営業運転に就くとともに量産車の登場に向けた長期実用試験が行われた。また、「喫茶店」の愛称で知られる851, 861, 881形や801, 831形が主力であった急行・準急用車両についても、3011形の実績を元にラッシュ時にも対応できる3扉ロングシートの高性能車両が製造されることとなった。これが3301・3501形である。塗色も特急用の3011形や普通用の5001形と異なり、車体下半分を朱色に塗ったことから、「赤胴車」の名称を持つようになった最初の形式でもある。
概要
1958年10月から1959年8月にかけて、3301形は4両が、3501形は20両が製造された。製造所は、3301形全車と3512, 3514, 3516, 3518, 3520が川崎車輛(現・川崎重工業車両カンパニー)、3501 - 3519の奇数車が日本車輌製造、3502, 3504, 3506, 3508, 3510が汽車製造である。
全車が電動車として製造され、両形式とも単車走行可能であった。3301形は主に急行の増結用として両運転台で製造され[1]、3501形は基本編成向けとして奇数車が大阪向き、偶数車が神戸向きの片運転台車両として製造された。3501形は片運転台のため、実際に本線上を単車で営業運転することはなかったが、増結・解放が自在に行える点が特徴といえた。
車体
3011形は前面非貫通で2扉(片引戸)のセミクロスシート車であったのに対し、3301・3501形はラッシュ対策として片引戸ながらも3扉となり、急行用として3扉のロングシートとなった[2]。前面は貫通式の3面折妻として窓上にはシールドビーム式の前照灯を設置し、1段奥に引っ込んだ貫通扉には連結時に使用する幌が装備され、その後8000系先行車まで多少形を変えながらも引き継がれた阪神車両の「顔」となる前面スタイルを確立した。
急行系車両の標準となる上半分をクリーム色、下半分を朱色とした塗装を初めて採用されており[3]、同時期に人気を集めていた漫画『赤胴鈴之助』に因んで、「赤胴車」の名前で呼ばれるようになった。
屋根上には運転台側にパンタグラフを搭載したほか、3011形の強制通風装置とは異なり、箱型の通風器を搭載した。このため、両運転台式の3301形はパンタグラフのある側の前面には高圧配管が通り、独特の面構えをしていた。
19m級3扉ロングシートの車内や貫通式の前面といった本形式で確立された基本仕様が、その後9000・9300・1000系といった最新鋭の急行系車両にまで継承されることとなった。
注釈
出典
- 1 阪神3301形・3501形電車とは
- 2 阪神3301形・3501形電車の概要
- 3 主要機器
- 4 冷房改造以後
- 5 参考文献
- 阪神3301形・3501形電車のページへのリンク