閉鎖都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 03:49 UTC 版)
カザフスタン
カザフスタンでは、かつてセミパラチンスク核実験場のあるクルチャトフが閉鎖都市とされていた。
ウクライナ
ウクライナでは、黒海艦隊の基地があるセヴァストポリや、ミサイルの製造拠点、ドニプロペトロウシクが1990年代半ばまで閉鎖されていた。
このほか、1970年には当時のソ連によってチェルノブイリ原子力発電所や、その従業員の居住地として建設されたチェルノブイリやプリピャチも閉鎖都市であったが、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故により、プリピャチに許容量を大幅に超える放射性物質が降り注いだため、住民は全員避難させられ街は放棄された。
エストニア
エストニアでは、近年までシッラマエ、パルディスキの2つの閉鎖都市が存在していた。シッラマエにはかつてソビエト連邦の原子力発電所や核兵器施設用に燃料棒や核物質を製造する化学工場があり、1991年にエストニアが再独立するまで閉鎖都市であった。パルディスキにはソビエト海軍原子力潜水艦訓練センターがあり、1994年にロシア海軍が撤収するまで閉鎖都市となっていた。
スウェーデン
スウェーデンでは、近年までゴットランド島を中心としたゴットランド県では、一般人の立入りが制限されていた。ゴットランドでは中世以来、要塞であり、冷戦期は軍事基地であった。スウェーデンは東西冷戦では中立の立場であったが、潜在的に親西側であり、基地のあったゴットランド島は東側との最前線の場所に位置していた。
アメリカ合衆国
アメリカ合衆国でも、特に核兵器に関して同様の機密都市を建設する事がある。
マンハッタン計画による原子爆弾研究・製造の拠点として、1943年にオーク・リッジ、ロスアラモス、ハンフォードの3つの都市を建設している。いずれも都市の建設前は大規模な人口密集地は存在していない。オーク・リッジとロスアラモスは、該当地区とその周囲に農村地帯が点在しているだけだった。その居住していた農民たちから、アメリカ陸軍が半ば強制的に土地を収用、最終的に応じないものは強制排除した。オーク・リッジやロスアラモスと言った現在の地名は、付近に過去に存在した地名から命名された。ハンフォードはそれ以前から同名の漁村が存在していたが、やはり政府によって強制的に土地を収用され立ち退かされている。
建設当初はソ連同様正式な地名としての都市名は存在せず、オーク・リッジはサイトX、ロスアラモスはサイトY、ハンフォードはサイトWと施設名で呼称された。また個々の施設もその目的や用途、機能を隠匿するため、S-25、Y-12といったコードネームで呼ばれた。しかしこうした秘匿名称を使うことは返って周囲の興味を引くという考え方から、土地収用前に存在した地名や、近隣に存在した地名などをあてがった。しかし地図にそれらの施設が記載されることはなく、実際にそのような都市・施設が存在しているかどうかは、一般市民はもとより政府・軍関係者でも一部の者しか知らない事実だった。
ソ連との最大の違いは、民間の大企業が関連していることである。当初こそクリントン・エンジニア・ワークスと呼ばれる、存在そのものが目的である偽装会社が設立されたが、資本主義経済のアメリカではプロジェクトが大規模になるにつれて施設建設や資材・部品の供給などに民間資本の参加を必要とし、元々軍需産業を手掛けていたゼネラル・エレクトリックや、ウェスティングハウスといった企業が参加するようになった。
「マンハッタン計画」が終了した1947年以降、オーク・リッジとロスアラモスは存在自体の秘匿対象から外れ、正式な地名・自治体として公表された。しかし、依然として施設の内容などは秘匿された。また住民の管理も続き、さながらソ連型社会を思わせるかのような居住統制が行われていた。また人種差別も敢えて強まるように指導され、1950年代から1960年代にかけて強い反対運動が展開された。これらの都市が完全に解放されるのは、冷戦の終結を待つことになる。
一方、核燃料や核廃棄物の再処理施設として建設されたハンフォードは、ハンフォード・サイトと呼ばれ、現在も核施設の労働者以外は基本的に居住せず、外国人の立ち入りも制限されている。核燃料の冷却などに使われた低レベル放射性廃棄物に相当する廃液はコロンビア川に放流されていた。また高レベルの放射性廃液を貯蔵するタンクが建設され、後に地中に埋められたが、老朽化により漏れ出し、地下水や土壌を汚染している。この問題について、連邦政府は1988年から浄化計画を進行させているが、順調とは言い難い。
中華人民共和国
核兵器開発の目的で造られた都市である第9学会(青海省海北チベット族自治州)が存在し、「北西核兵器研究設計学会」「211工場」とも呼ばれている。
また大連市の旅順口区は中国人民解放軍海軍北海艦隊の基地があることから2009年まで全域が制限区域とされていたが、現在は軍港周辺など一部を除き開放され、外国人の旅行ができるようになった。
- ^ 第二次世界大戦ごろでは、地図に載せず、近づくことを禁止し、付近で航空機が飛ぶことを禁止すれば、存在を隠すことをおおむねできた。現在では偵察衛星の数が多く、商用の衛星写真も広く出回っているので、(人の侵入を防ぎ、都市内の活動の秘密は守ることはできても)都市の存在まで隠蔽することは困難になった。
- ^ a b “秘密めいた閉鎖都市”. ロシアNOW (2016年5月2日). 2017年1月7日閲覧。
- ^ a b 『ユーラシア・ブックレットNo.153 ロシアの旧秘密都市』、企画・編集=ユーラシア研究所・ブックレット編集委員会、発行=東洋書店、2010年6月20日、ISBN 978-4-88595-926-4
- ^ Greg Kaser, "Motivation and Redirection: Rationale and Achievements in the Russian Closed Nuclear Cities", p. 3 in Countering Nuclear and Radiological Terrorism, eds. David J. Diamond, Samuel Apikyan, Greg Kaser. Springer, 2006. ISBN 1402048971
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