赤井春海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/16 09:50 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動赤井 春海 | |
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生誕 |
1876年6月12日 千葉県 |
死没 | 1954年12月14日(78歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1897 - 1930 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
千葉県出身[1][2][3]。赤井潔の二男として生れる[1]。陸軍幼年学校を経て、1897年(明治30年)11月、陸軍士官学校(9期)を卒業[1][2][3]。翌年6月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第4連隊付となる[1]。日露戦争に近衛歩兵第4連隊中隊長として出征[1]。1904年(明治37年)10月に戦傷を受ける[1]。陸士教官を経て、日露戦争のため中退した陸軍大学校に復校し、1907年(明治40年)11月、陸大(19期)を卒業した[1][2][3]。
参謀本部付、参謀本部員、陸大教官を経て、1911年(明治44年)12月、ドイツ駐在となった[1]。歩兵第10連隊大隊長、歩兵第71連隊付、名古屋連隊区司令官などを歴任し、1917年(大正6年)8月、陸軍大佐に昇進し歩兵第64連隊長に就任[1][3]。陸軍省人事局恩賞課長、参謀本部課長を経て、1922年(大正11年)4月、陸軍少将に進級し歩兵第4旅団長となりシベリア出兵に従軍[1][2][3]。
朝鮮軍参謀長を経て、1926年(大正15年)3月、陸軍中将に進み陸軍運輸部長に就任[1][2][3]。1927年(昭和2年)7月、第2師団長に親補された[1][2][3]。1930年(昭和5年)12月に待命となり、翌月に予備役編入となった[1][2][3]。
栄典
家族親族
著書
- 『明治大帝』(共著)大日本雄弁会講談社、昭和2年11月1日発行
脚注
参考文献
- 1 赤井春海とは
- 2 赤井春海の概要
- 赤井春海のページへのリンク