認識論 ドイツの現代的認識論

認識論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 21:13 UTC 版)

ドイツの現代的認識論

ドイツには、フリードリヒ・シュライアマハーに始まる解釈学の哲学的伝統があり、英米系の言語哲学が歴史を軽視していることが、このような哲学的伝統に反するものと考えられてきた。

第二次世界大戦後しばらくの間はマルティン・ハイデッガーによる認識論批判・存在論の復権の影響が大きく、フランスのエピステモロジーの影響はあったものの哲学的には停滞していた時期が続いた。

1960年ころ、いわゆる「ドイツ社会学の実証主義論争」を経て、英米系の言語哲学、科学哲学の発展の成果を受容する流れが強くなった。このような流れにある人物として、カール=オットー・アーペルらがいる。

もっとも、このような流れの中にあっても、ハンス・ゲオルク・ガダマーのようにあくまでドイツの哲学的伝統に足場を置き研究を続けるものも多数いる。その意味で科学的認識論の重要性は増したものの、現代においても哲学的認識論の問題が古くなってしまったわけではないと考えられている。

認識論の現在と未来

自然化された認識論

ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインによって提案された「自然化された認識論英語版」は、自然科学的な方法論によって認識論を行おうという立場であり、クワイン以降、様々な形で展開されている。

クワインは、まず、古典的な経験主義には二つのドグマがあり、ドクマなき新たな経験主義を確立する必要があると主張する。彼によれば、経験主義には、事実に基づく総合的真理と事実問題と独立な意味に基づく分析的真理の間には根本的な相違があるという信念と、有意味な言明は直接的経験を指示する諸名辞からの論理的構成物と同値であるという信念の二つのドグマがあり、この二つのドグマは同じ根を持つ。経験主義の伝統においては、真理とは、観念と実在の対応であり、その場合の観念とは、一つの名辞を単位に考えられていたが、カルナップらの論理実証主義は、この単位を一つの言明に置き換えた。つまり、ここでは、直接的経験によるセンス・データ(感覚所与)言語に翻訳可能であれば、この言明は有意味であると考えられた。しかしながら、クワインによれば、このように実在と観念の対応を一つの名辞、一つの言明に分解していく還元主義は不可能であり、われわれの認識は一つの言語体系であり、したがって、とある信念を検証するにあたっては、一つの理論の全体との関係で、経験の審判を仰がねばならず、そのコロラリーとして、分析的真理と総合的真理は区別することはできない。

クワインは、これを「全体論」と呼んだが、これによれば、経験による改訂の可能性を原理的に免責されている信念はなく、もし対立する二つの理論があるときは、どのような経験によっても、そのどちらかが完全に否定されることはなく、どのような信念でも保持しつづけることができることになる。

発生的認識論

ジャン・ピアジェは、心理学者として、とりわけ発達心理学で著名であるが、もともとは古典的認識論の諸問題を解決する糸口を生物学心理学に求め、「発生的認識論ドイツ語版」を提唱した[12]。彼は、多数の実験により幼児の認識の発達段階を解明した上で、認識は対象から独立しており、決して対象に到達することはないが、同時に対象によって支えられているという点で構成的なものであるとする。また、発生的認識論は哲学ではなく、科学であり、極めて専門的・集団的なものであるとの考えから、1955年、発生的認識論国際センターをジュネーヴに設立し、世界中のさまざまな分野の研究者たちとの共同研究を晩年まで精力的に行ない、現在も多くの学者が共同で研究を続けている。

進化論的認識論

コンラート・ローレンツは、動物行動学で著名であるが、哲学者のカール・ポパーと共に、人間の認識の起源の問題を個々人ではなく、生物種としての人の認知構造に求め、知識の変化を進化とみて通時的なアプローチを試みる「進化論的認識論英語版」を主張した。

自然科学の発展と認識論

1970年代後半に人間の心の本質について新知見をもたらす学問分野が発展し、その後も進展が続いている。脳科学心理学認知科学、神経生物学、人工知能コンピューターなどに関連する研究である。これらの発展は“見る”事がいかになされているか、いかに心が外界の表象を形作るか、いかに情報が蓄えられ再起されるかなどの理解につながっている。これらの分野の発展が認識論に影響を及ぼす事が示唆されている[13]

認識論の社会化

近時は社会科学に属する社会学を認識論に応用することはできないかが議論されている。

脚注


注釈

  1. ^ アウグスティヌスは懐疑論の時代に生きた人物であるが、彼はこれに「わたしは間違えるなら、ゆえにわたしは存在する」と論駁し、後のデカルトに大きな影響を与えた。
  2. ^ このような考え方は後のマルブランシュに影響を与えた。
  3. ^ デカルトの実体概念は他に依存せず独立して存在するものというものであるが、ロックはこれを批判し、実体概念を複合観念の一種とする。彼によれば、単純観念の諸属性の基となる何ものかがあると人は想定したくなるが、その何ものかは説明不能である。
  4. ^ 経験論者にとって、数学の定理は少し厄介な問題を引き起こす。こうした経験論の立場に立つ定理の真偽は人間の経験に依存せず、経験論の立場に対する反証となる。経験論者の典型的な議論は、このような定理はそもそもそれに対応する認識内容を欠いており、単に諸概念の間の関係[要曖昧さ回避]を扱っているだけだというものだが、合理主義者は、定理にもそれに対応する認識内容の一種があると考える。
  5. ^ フッサールには『デカルト省察』というフランス人に向けて書いた現象学の入門書があり、彼は、デカルトの主観/客観図式を批判した上であるが、その方法的懐疑論を承継している。また、「事象そのものへ」立ち返るという超越論的方法論は基本的にはカントを承継したものといえる。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 神川正彦. “認識論”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク). 2019年6月10日閲覧。
  2. ^ 杖下隆英. “実在論”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク). 2019年6月10日閲覧。
  3. ^ 坂部恵. “観念論”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク). 2019年6月10日閲覧。
  4. ^ 伊藤 (2007), pp.112-128
  5. ^ 熊野 (2002), p.20
  6. ^ a b c 『岩波哲学・思想事典』「真理」の項目
  7. ^ 加藤信朗. “真理”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク). 2019年6月10日閲覧。
  8. ^ セラーズ (2006)[要ページ番号]
  9. ^ 戸田山 (2002)、pp.52-56
  10. ^ 戸田山 (2002)、pp.62-64
  11. ^ 戸田山 (2002)、pp.94-98
  12. ^ Miles Hewstone; Frank Fincham, Jonathan Foster (June 2005). Psychology. BPS Textbooks in Psychology. Wiley-Blackwell. ISBN 0631206787 page19~20,184~186
  13. ^ Encyclopedia Britannica,15th ed.,1994,vol.18,Epistemology,page487






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