被爆建造物 備考

被爆建造物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 16:11 UTC 版)

備考

残留放射能

広島型原爆規模で計算すると、強く影響があるのは被爆後100時間、被爆前と同じレベルに戻るのは1年とされている[12]。よって、現在日本にある被爆建造物から人体に影響を及ぼすほどの放射線は発生していない

未だ爆弾による放射線が発生していると誤解されているのは理由がある。広島原爆投下2日後の1945年8月8日付ワシントン・ポストに、「原爆の脅威にさらされた地域は約70年間放射線が消えないと実験で示された」とマンハッタン計画に携わったハロルド・ジェイコブソンの談話が載った。これにアメリカ政府は糾弾を恐れすぐさまもみ消しにかかり、ロバート・オッペンハイマーがこれを否定し後にジェイコブソンも自身の発言を否定した。一方でアメリカは未だ降伏しない日本に対し「広島は75年間人畜の生存を許さぬ土地となった。また被害調査のため学者を派遣するごとき行為は自殺に等しい。」と情報操作をした[12][13]

終戦後の同年8月下旬、これをソースに朝日新聞毎日新聞などの各紙が70年あるいは75年生物不毛説を報道した[12][13]。これに加え、投下後に入市被爆した被爆者が数多くいる事から、建造物もいまだに人体に悪影響があると一部で風説が残っている[12]。さらに放射性物質が消えたことに関しては、原爆投下1ヶ月後に上陸した大型台風の枕崎台風により洗い流されたという説もある。

また、戦後アメリカの主要な核実験場(クロスロード作戦)として有名なビキニ環礁も、現在では短期間の滞在では問題ないレベルまで下がっている。

被曝線量の測定目安にはレンガ建築物が適しており、レンガの中に含まれる石英結晶は、何十年、何百年経っても放射線量を記録している[14]ガンマ線が照射されると結晶に電子的な傷がつく[15])ため、この石英を取り出し、測定(500℃に加熱することで元の状態に戻り、その際に光=ルミネッセンスが発せられ、その発光強度は吸収量に比例)することで、どの程度の線量を被曝したかがわかる[16]

放射線遮断能力

広島逓信病院(広島はくしま病院の前身)院長の蜂谷道彦は、広島原爆からの被爆からほぼ1ヶ月以内にあたる8月23日から9月19日において生存被爆者白血球数を検査し、爆心地からの距離と遮蔽状況で分類した[17](なお白血球の基準下限値は3300から4000/μl)。

遮蔽状況
屋外 木造屋内 RC屋内
平均値 標準
誤差
被験
者数
平均値 標準
誤差
被験
者数
平均値 標準
誤差
被験
者数
爆心地
からの
距離(m)
0 - 500 - - 0 2,200 - 1 3,004 670 17
500 - 1,000 2,133 不明 7 2,701 504 28 3,114 866 14
1,000 - 1,300 2,980 1,089 10 3,797 796 43 4,540 941 16
1,300 - 2,000 4,050 800 5 4,025 355 8 -

以上より、屋外より屋内の方が、木造より鉄筋コンクリート(RC)建造物のほうが白血球減少が少ない結果が出ていることから、建造物は放射線に対する一定量の遮蔽能力があるとわかる[17]。ちなみに広島原爆における最も近い位置での生存被爆者は、爆心地から170mの位置にあったRC建造物レストハウスの地下にいた人物であり、彼は1982年84歳まで生きている[18]

なお、このデータはあくまで広島型原爆でのものであり、長崎のケースや水素爆弾中性子爆弾などにおいてはこの限りではない。


補足

  1. ^ 4.05km[4][5]。主要な工場は1990年代末。事務所棟は2011年に。煙突は2015年に解体されている。

出典

  1. ^ a b “遺構は「モノ」なのか”. 西日本新聞. (2004年8月7日). http://www.nishinippon.co.jp/news/genbaku/2004/kiji/ren_yura/04.html 2010年2月26日閲覧。 
  2. ^ a b c “遺構は「モノ」なのか”. 西日本新聞. (2015年4月5日). http://mainichi.jp/shimen/news/20150405ddm001040164000c.html 2015年7月30日閲覧。 
  3. ^ “原爆ドーム近くマンション建設”. 読売新聞. (2006年5月8日). https://web.archive.org/web/20111229163024/http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/feature/hiroshima1196996933047_02/news/20071207-OYT8T00310.htm 2010年2月26日閲覧。 
  4. ^ a b 『被爆50周年 ヒロシマの被爆建造物は語る』 - 173ページ
  5. ^ a b 『被爆50周年 ヒロシマの被爆建造物は語る』 - 376ページ
  6. ^ 広島市が新たな被爆建物を登録 - NHK広島放送局 2015年1月15日
  7. ^ 公衆トイレ、被爆建物だった 市民気づき、広島市が登録 - 朝日新聞 2015年11月24日 2015年11月24日閲覧。
  8. ^ 本川小学校平和資料館など被爆建物6件、西条の酒蔵群4件が国史跡へ:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2023年10月20日). 2023年10月26日閲覧。
  9. ^ a b “建物・遺構 保存に苦心”. 中国新聞. (2020年4月20日). http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=97321 2020年5月1日閲覧。 
  10. ^ 長崎の原爆遺構を記録する会『新版 原爆遺構 長崎の記憶』海鳥社、2005年。p.118。
  11. ^ 国指定史跡「長崎原爆遺跡」 | 長崎原爆資料館 周辺施設・関連施設 | 訪れる | ながさきの平和【公式】”. ながさきの平和. 2023年10月20日閲覧。
  12. ^ a b c d “外国の人が「放射線汚染続いてるの」”. 中国新聞. (2007年5月14日). http://www.chugoku-np.co.jp/hiroshima-koku/exploration/index_20070514.html 2010年2月26日閲覧。 
  13. ^ a b “平和宣言2004”. 広島市公式. http://www.pcf.city.hiroshima.jp/declaration/Japanese/2004/ 2010年2月26日閲覧。 
  14. ^ 高田純 『世界の放射線被曝地調査 自ら測定した渾身のレポート』 講談社 2002年 p.106.
  15. ^ 高田純 『世界の放射線被曝地調査 自ら測定した渾身のレポート』 2002年 p.115.
  16. ^ 高田純 『世界の放射線被曝地調査 自ら測定した渾身のレポート』 2002年 p.106.p.115.
  17. ^ a b 蜂谷道彦原爆の災害と家屋の放射遮蔽効果」(PDF)『土木学会誌』第44巻第7号、土木学会、1959年7月、7-11頁、2013年5月5日閲覧 
  18. ^ “ヒロシマの記録1992 8月”. ヒロシマピースメディア. http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=201005131041270_ja 2013年5月5日閲覧。 
  19. ^ a b 原爆防空壕, p. 192-193.
  20. ^ 被爆建造物等はどれくらいあるのですか。 長崎市あじさいコール 2018年7月26日、2018年8月9日閲覧
  21. ^ “城山小・被爆の木、完全に枯死確認 長崎市教委、現地保存の意向”. 西日本新聞. (2016年7月20日). http://www.nishinippon.co.jp/nnp/nagasaki/article/260023 2016年7月20日閲覧。 






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