虫プロダクション
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虫プロダクション株式会社(新虫プロ)
虫プロダクション社屋 | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒177-0034 東京都練馬区富士見台二丁目30番5号 |
設立 | 1977年11月26日 |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 3011601006811 |
事業内容 | アニメーション制作および著作権管理 |
代表者 | 代表取締役 中村旭希 |
資本金 | 1200万円 |
外部リンク | https://www.mushi-pro.co.jp/ |
旧虫プロの労働組合が中心となって設立された。設立時の筆頭株主は労働組合であり、資本金1200万円のうち500万円を出資した。設立時のその他の株主は、日本ヘラルド映画が300万円、日活が200万円、その他で200万円[37]。
設立時に、手塚治虫から再建への支援として旧虫プロ時代に製作された商業アニメーション作品の著作権の全てが新虫プロに譲渡されたため[38]、旧虫プロ作品の著作権管理も主な業務になっていた。本社は東京都練馬区富士見台二丁目30番5号。一般社団法人練馬アニメーション幹事。主に上映会形式・親子映画向けのアニメーション映画の制作を行っている。テレビアニメーション作品は再建への協力の一環として手塚が企画・監修として参加した1986年の『ワンダービートS』のみで、唯一の原作無しのオリジナル作品でもある。
手塚治虫を起源としているが、虫プロダクションと手塚プロダクションは資本的には全く別の企業であるが両者を混同した記述例が頻繁に見受けられる。ただし、手塚治虫と共同でアニメ作品を手掛けている点から両企業の間には手塚本人や作品を通じての関係という物は存在した。
全国労働組合総連合傘下の映像・文化関連産業労働組合の事務所は2008年まで虫プロ社内に間借りし[39]、委員長を社員である有原誠治が務めていた[40]。
2018年、社長の伊藤叡が死去。コンテンツ制作会社「ココロフリー」の代表 中村旭希が経営を引き継いだ。しかし、同年を境にアニメーション制作事業を休止。『あしたのジョー』(第1作)の版権がトムス・エンタテインメントに、手塚治虫原作の作品の版権が手塚プロダクションに移管されるなど、旧虫プロ作品の版権も伊藤が亡くなるまで切り売りが進められた。
経営陣一新後の新虫プロの収入源はわずかに手元に残った作品の版権管理や教育映画の通信販売事業だけであり、経営状況は悪化の一途を辿るようになる。2019年には人の出入りもまばらになり、家賃の支払いも滞った。相続人である手塚悦子(手塚治虫の妻)の再三に渡る催促に、経営者から「会社再生プランを作成しているので待ってほしい」との回答があったが、状況は改善しなかった。遂に相続人と新虫プロの交渉は決裂し、長期間未払いとなっている家賃約1148万円の返済と建物の明け渡しを求めて訴訟を起こしたことが、2021年10月に一部メディアの報道で明らかになった[41]。東京地方裁判所が2022年7月12日に相続人側の主張を事実と認め会社に対し明け渡しと賃料の支払いを命じている[42]。
主な作品
- テレビアニメ
- 「ワンダービートS(スクランブル)」(1986年、2クール)- 手塚治虫 企画・監修作品.
- 「トキ この地球(ほし)の未来を見つめて」(2003年12月、単発、前半50分後半50分、脚本:長坂秀佳、監督:杉井ギサブロー)- テレビ新潟にて放送.
- アニメーション映画
- 「北極のムーシカ・ミーシカ」(1979年、80分、原作:いぬいとみこ)- 新虫プロの第一作目の作品
- 「ゆき」(1981年、89分、原作:斎藤隆介)
- 「綿の国星」(1984年、96分原作:大島弓子)
- 「火の雨がふる」(1988年、80分、原作:福岡空襲を記録する会証言集「火の雨が降った」)
- 「伊勢湾台風物語」(1989年、85分)- 建設省・農林水産省・運輸省推薦作品・「国際防災の十年」推進本部推薦作品、伊勢湾台風30年事業実行委員会後援作品
- 「うしろの正面だあれ」(1991年、90分、原作:海老名香葉子)- 文部省選定・厚生省中央児童福祉審議会特選作品・日本PTA 全国協議会特選、東京都平和の日記念行事参加作品・優秀映画鑑賞会推薦作品他
- 「ぞう列車がやってきた」(1992年、90分、原作:小出隆司)- 文部省選定、日本PTA全国協議会推薦、優秀映画観賞会推薦、日本私立小学校連合会推薦
- 「せんぼんまつばら」(1992年、90分、原作:岸武雄 「千本松原」)- 芸術文化振興基金助成作品
- 「ライヤンツーリ-のうた」(1994年、85分、原作:たかしよいち「北の逃亡者」)- 文部省選定作品・日本PTA全国協議会特別推薦・北海道教育委員会特別選定、厚生省中央児童福祉審議会推薦・日本青年団協議会推薦他
- 「PIPI とべないホタル」(1996年、90分)- ヒューストン国際映画祭ファミリー・チルドレン部門金賞受賞、文部省選定作品・厚生省中央児童福祉審議会推薦作品・建設河川局推薦作品他
- 「マヤの一生」(1996年、70分、原作:椋鳩十)
- 「栄光へのシュプール」(1997年、90分、原作:和田 登「スキーに生きる」)- 長野オリンピック文化芸術参加作品
- 「えっちゃんのせんそう」(2002年、80分、原作:岸川 悦子)
- 「明日をつくった男」(2003年、原作:田村喜子「京都インクライン物語」)- 実写とアニメーション、文部科学省選定作品・第21回土木学会映画コンクール最優秀賞受賞、第3回世界水フォーラム参加作品
- 「NAGASAKI 1945 アンゼラスの鐘」(2005年、原作:秋月辰一郎「長崎原爆記」「死の同心円」)- 被爆60周年平和祈念作品・2007年ニューヨーク国連本部上映作品、文部科学省選定・児童福祉文化賞推薦作品・日本原水爆被害者団体協議会推薦他
- 「パッテンライ!! 〜南の島の水ものがたり〜」(2008年、90分)- 日本領有時代の台湾で水利土木事業に取り組んだ技術者・八田與一の伝記、第23回土木学会映画コンクール最優秀賞・土木学会土木技術映像委員会選定作品
- 「氷川丸ものがたり」(2015年、90分、原作:伊藤玄二郎「氷川丸ものがたり」(かまくら春秋社))製作:氷川丸ものがたり製作委員会、製作協力:全日本海員組合 / 星槎グループ
- 短編アニメーション作品
- 「おーい/アダッチー」(1992年3月、企画:足立区)- 足立区制60周年記念アニメーション
- 「つるにのって」(1993年5月公開、27分)- ウィッセンブール国際児童映画祭観客賞受賞・1995年国連軍縮本部上映作品
- 「鬼がら」(1994年12月、27分、製作:「鬼がら」製作委員会・宮崎県聴覚障害者協会)- 文部省選定・日本映画ペンクラブ推薦・日本青年団協議会推薦・宮崎県知事推薦、PTA全国協議会特選・厚生省中央児童福祉審議会特選・優秀映画鑑賞会推薦
- 「九頭竜川と少年」(1998年10月公開、30分、製作:九頭竜川水系治水百周年記念事業実行委員会)
- 「クマのミナクロと公平じいさん」(1999年1月、23分)- 文部省選定・第46回教育映画祭動画部門最優秀賞受賞、厚生省中央児童福祉審議会推薦・日本PTA全国協議会推薦、優秀映画観賞会推薦・日本動物愛護協会推薦
- 「あったてんがのぉ」(2000年5月、30分、製作:越路町)- 新潟県越路町町制施行45周年記念作品、第47回教育映像祭優秀作品賞受賞・日本PTA全国協議会推作品
- OVA
- 紅い牙 ブルー・ソネット(1989年3月 - 、30分、全5話、漫画原作:柴田昌弘)
- のたり松太郎(1989年9月 - 、30分、原作漫画:ちばてつや)
- ビデオ教材・広報ビデオ
- 「怪盗ガリーの日本人攻略法」(1999年、約9分) - 企画:外務省 海外安全劇場にて動画配信中
- 「私たちの暮らしと土木」(2001年11月、シリーズ全3話、各20分) 企画:全国建設研修センター- 文部科学省選定・土木学会選定、土木学会映画ビデオコンクール優秀賞受賞(第2話)
- 「ご案内します アナザーワールドへ」(2004年、16分) - 企画:国税庁 ビデオライブラリーにて動画配信中 - 国税庁企画の租税教育用アニメーション
- 「みんなの話し合い 〜誰でもストア〜」(2014年) - 企画:一般財団法人 日本児童教育振興財団
- 「夢は世界をかけめぐる 海外技術協力のパイオニア」(2015年、21分) - 企画:公益社団法人土木学会、特別協力:日本工営株式会社
- 「立山砂防・土砂との闘い~世界に誇る防災遺産~」(2017年、14分)- 製作:富山県世界遺産登録推進事業実行委員会
- グロス請け作品
- みかん絵日記(制作元請:日本アニメーション、1992年-1993年)
- 3丁目のタマ うちのタマ知りませんか?(制作元請:グループ・タック、1994年)
- 銀河英雄伝説第4期・外伝第1期(制作元請:ケイファクトリー、1996年-1998年)
- サクラ大戦 桜華絢爛(制作元請:RADIX、1997年-1998年)
- 花さか天使テンテンくん(制作元請:日本アニメーション、1998年-1999年)
- 未来少年コナンII タイガアドベンチャー(制作元請:日本アニメーション、1999年-2000年)
- 陽だまりの樹(制作元請:マッドハウス、2000年)
- はじめの一歩(制作元請:マッドハウス、2000年-2002年)
- とっとこハム太郎(制作元請:トムス・エンタテイメント、2000年-2006年)
- キャプテン翼(平成版)(制作元請:グループ・タック、2001年-2002年)
- 星のカービィ(制作元請:スタジオ・ザイン、2001年-2003年)
- ごくせん(制作元請:マッドハウス、2004年)
- こちら葛飾区亀有公園前派出所(制作元請:ぎゃろっぷ、1996年-2004年)
- MONSTER(制作元請:マッドハウス、2004年-2005年)
- 双恋(制作元請:テレコム・アニメーションフィルム、2004年)
- だめっこどうぶつ(制作元請:マジックバス、2005年)
- ぱにぽにだっしゅ!(制作元請:ガンジス、シャフト、2005年)
- スクールランブル(制作元請:スタジオコメット、2005年)
- タイドライン・ブルー(制作元請:テレコム・アニメーションフィルム、2005年)
- capeta(制作元請:スタジオコメット、2005年-2006年)
- 牙 -KIBA-(制作元請:マッドハウス、2006年)
- 無敵看板娘(制作元請:テレコム・アニメーションフィルム、2006年)
- 僕等がいた(制作元請:アートランド、2006年)
- 家庭教師ヒットマンREBORN!(制作元請:アートランド、2006年)
- GR-GIANT ROBO-(制作元請:エー・シー・ジー・ティー、2007年)
- ロケットガール(制作元請:ムークDLE、2007年)
- ラブ★コン(制作元請:東映アニメーション、2007年)
- 湾岸ミッドナイト(制作元請:エー・シー・ジー・ティー、2007年)
- 装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ(制作元請:サンライズインタラクティブ、アンサー・スタジオ、2007-2008年)
- チーズスイートホーム(制作元請:マッドハウス、2008年)
- チーズスイートホーム あたらしいおうち(制作元請:マッドハウス、2009年)
- 夏のあらし!(制作元請:シャフト、2009年)
- 【懺・】さよなら絶望先生(制作元請:シャフト、2009年)
- 化物語(制作元請:シャフト、2009年)
- 夏のあらし! 〜春夏冬中〜(制作元請:シャフト、2009年)
- 装甲騎兵ボトムズ 幻影篇(制作元請:サンライズ、2010年)
- 屍鬼(制作元請:童夢、2010年)
- たまごっち!(制作元請:オー・エル・エム、2009年-2012年)
- たまごっち! ゆめキラドリーム(制作元請:オー・エル・エム、2012年-2013年)
- たまごっち! みらくるフレンズ(制作元請:オー・エル・エム、2013年)
- ONE PIECE(制作元請:東映アニメーション、1999年-)
- GO-GO たまごっち!(制作元請:オー・エル・エム、2014年-2015年)
- 金色のコルダ Blue♪Sky(制作元請:TYOアニメーションズ、2014年)
- 東京ESP(制作元請:XEBEC、2014年)
- かみさまみならい ヒミツのここたま(制作元請:オー・エル・エム、2015年-2018年)
注釈
- ^ テレビアニメとしてはそれ以前に『もぐらのアバンチュール』『新しい動画 3つのはなし』『インスタントヒストリー』『おとぎマンガカレンダー』などが放映されている。
- ^ その後にも「どろろ」などのモノクロ作品も制作
- ^ 月岡は東映動画入社前に手塚のアシスタント経験もあり。
- ^ 企画プロダクションでも、若干の動画・彩色スタッフは存在することは多い。
- ^ 現在ビデオグラムのパッケージ展開では「アニメラマ三部作」と纏められているが元来は「哀しみのベラドンナ」はアニメラマとはいわずにアニメロマネスクと称していた。
出典
- ^ 『手塚治虫物語 漫画の夢、アニメの夢』p21
- ^ 池田啓晶『鉄腕アトムvs鉄人28号 僕たちの「少年」時代』WAVE出版、1993年、p.82。坂本雄作インタビューより。
- ^ a b 山口且訓、渡辺泰文『日本アニメーション映画史』有文社、1977年、p.170
- ^ 手塚治虫「虫プロのてんまつ」『手塚治虫 ぼくのマンガ道』新日本出版社、2008年、p.84
- ^ 山本暎一『虫プロ興亡記 安仁明太の青春』新潮社、1989年、pp.165-168、290
- ^ 石津嵐『秘密の手塚治虫』太陽企画出版、1980年、p.36
- ^ 『富野由悠季全仕事』キネマ旬報社、1999年、p.62
- ^ 石津嵐『秘密の手塚治虫』太陽企画出版、1980年、p.174
- ^ 山本暎一『虫プロ興亡記 安仁明太の青春』新潮社、1989年、pp.289--291
- ^ 日刊スポーツ、1973年5月1日付。
- ^ サンケイスポーツ、1973年5月5日付。
- ^ 日本国有鉄道関連企業(交通協力会・鉄道弘済会・日本交通公社・日本通運)経営時代からフジサンケイグループの経営となった初年の1965年(昭和40年)まで使用していた名称(国鉄スワローズ → サンケイスワローズ)を復活させたもの。
- ^ 豊田有恒『あなたもSF作家になれるわけではない』徳間書店、1979年、p.76
- ^ 富野由悠季『増補改訂版 だから僕は…』徳間書店アニメージュ文庫、1983年、p.74
- ^ 富野由悠季『ターンエーの癒し』角川春樹事務所、2000年、p.89
- ^ 霜月たかなか編著『ドキュメント・ボトムズ 高橋良輔アニメの世界』三一書房、2000年、p.215。吉川惣司インタビューより。
- ^ 柴山達雄、小林準治『虫プロてんやわんや 誰も知らない手塚治虫』創樹社美術出版、2009年、p.23
- ^ 皆河有伽『小説手塚学校2 ソロバン片手の理想家 日本動画興亡史』講談社、2009年、p.39
- ^ 山本暎一『虫プロ興亡記 安仁明太の青春』新潮社、1989年、p.216
- ^ NHK-BS2『アニメ「あしたのジョー」ができるまで』(2007年3月28日放送) における出﨑統の発言[出典無効]
- ^ 豊田有恒『あなたもSF作家になれるわけではない』徳間書店、1979年、pp.82-86
- ^ インタビューとは何か。01 塩野米松さん篇 ほぼ日刊イトイ新聞(2017年7月19日) 2023年2月13日閲覧
- ^ 伊藤嘉彦、大石高雄、松岡博治、山川紀生「担当編集者座談会――われら『手塚番』不眠不休の“超人”とつき合った日々」『朝日ジャーナル4月20日号臨時増刊 手塚治虫の世界』朝日新聞社、1989年、pp.134-137
- ^ 石黒昇、小原乃梨子『テレビ・アニメ最前線 私説・アニメ17年史』大和書房、1980年、pp.167-168
- ^ 宇都宮滋一『「ダメ!」と言われてメガヒット 名作マンガの知られざる制作現場』東邦出版、2003年、pp.279-281
- ^ 小説の形をした回想記、山本暎一『虫プロ興亡記 安仁明太の青春』 (新潮社、1989年4月)がある。
- ^ a b 牧村康正、山田哲久『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』講談社、2015年、p.54
- ^ 『アニメック』1987年1月号、p.107
- ^ 草薙聡志『アメリカで日本のアニメは、どう見られてきたか?』徳間書店、2003年、p.94
- ^ 虫プロダクション資料集 1962-1973、p.115。
- ^ 草薙聡志『アメリカで日本のアニメは、どう見られてきたか?』徳間書店、2003年、p.108
- ^ アニメージュ編集部編『TVアニメ25年史』徳間書店、1988年、p.162
- ^ a b c d e f g h 「[17]損害賠償請求事件 東京地裁昭49(ワ)3093号」『下級裁判所民事判例集』第32巻5-8号、最高裁判所事務総局編集、財団法人法曹界、1984年、pp.729(319)-733(32)
- ^ a b 山本暎一『虫プロ興亡記 安仁明太の青春』新潮社、ISBN 4103733012 (1989年4月15日)、p.212
- ^ 山本暎一、1989年、p.227、236、248、251
- ^ 山本暎一、1989年、p.337、340
- ^ 「1527日―虫プロ再建への歩み」『ぱふ』1979年8月号、p.50。『虫プロ斗争ニュース 特集号 第20号』昭和53年7月10日号の転載
- ^ その後、手塚が原作の作品に関しては手塚プロダクションに移管されたため、虫プロの公式ホームページには問い合わせ先として手塚プロダクションへのリンクが貼られている。
- ^ 映産労の事務所が引越し ネット版アニメレポート 2008年12月20日
- ^ 映産労のご案内と加入申込書 映産労公式ブログ 2005年10月17日
- ^ “手塚治虫の未亡人が「虫プロ」を提訴 経営危機で家賃を2年間滞納”. デイリー新潮. 2021年10月17日閲覧。
- ^ 「虫プロ」に明け渡し命令 賃料未払い、東京地裁iZA 2022年7月12日
- 1 虫プロダクションとは
- 2 虫プロダクションの概要
- 3 株式会社虫プロダクション(旧虫プロ)
- 4 虫プロ商事
- 5 虫プロダクション株式会社(新虫プロ)
- 6 脚注
固有名詞の分類
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