若槻禮次郎
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若槻 礼次郎(わかつき れいじろう、旧字体:若槻 禮次󠄁郞、1866年3月21日〈慶応2年2月5日〉- 1949年〈昭和24年〉11月20日)は、日本の大蔵官僚、政治家。栄典は正二位勲一等男爵。旧姓は奥村。幼名は源之丞。号は克堂。
注釈
出典
- ^ 『激動の世代"昭和"グラフと写真で綴る64年間の軌跡』 山陰の経済 1989年2月号 (山陰経済経営研究所) (1989年2月)。pp27
- ^ a b c 豊田『宰相・若槻礼次郎』173頁。
- ^ 『若槻礼次郎自伝 古風庵回顧録 明治、大正、昭和政界秘史』 18-25頁
- ^ 『若槻礼次郎自伝 古風庵回顧録 明治、大正、昭和政界秘史』 3-21頁
- ^ 『法政大学校友名鑑』(1941年)
- ^ 「若槻氏の癖」『中央公論』第42巻第2号、昭和2年(1927年)
- ^ 『大正デモクラシー期の政治―松本剛吉政治日誌』(岩波書店、1959年),p.480。
- ^ 「三府楼主人「若槻全権の酒量大観」『民政』第3巻第12号、昭和4年(1929年)
- ^ 『官報』第8454号、明治44年8月25日。
- ^ 『官報』第8709号、明治45年7月1日。
- ^ 『官報』第3248号「叙任及辞令」1894年5月1日。
- ^ 『官報』第3875号「叙任及辞令」1896年6月1日。
- ^ 『官報』第4473号「叙任及辞令」1898年5月31日。
- ^ 『官報』第5247号「叙任及辞令」1900年12月26日。
- ^ a b 『官報』第5848号「叙任及辞令」1902年12月29日。
- ^ 『官報』第6474号「叙任及辞令」1905年2月1日。
- ^ 『官報』第7401号「叙任及辞令」1908年3月2日。
- ^ 『官報』第8486号「叙任及辞令」1911年10月2日。
- ^ 『官報』第3745号「叙任及辞令」1925年2月18日。
- ^ 『官報』第1287号「叙任及辞令」1931年4月17日。
- ^ 『官報』第4663号「叙任及辞令」1942年7月27日。
- ^ 『官報』第5175号「叙任及辞令」1900年9月29日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
- ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第1187号「叙任及辞令」1916年7月15日。
- ^ 『官報』第1741号「叙任及辞令」1918年5月24日。
- ^ 『官報』号外「授爵・叙任及辞令」1928年11月10日。
- ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
- ^ 『官報』第1284号「叙任及辞令」1931年4月14日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- ^ 『官報』第5398号「宮廷録事」1945年1月16日。
- ^ 「元帥海軍大将子爵伊東祐亨外四十六名外国勲章受領及佩用ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10112637600
- ^ 『官報』第7813号「叙任及辞令」1909年7月12日。
- ^ a b 豊田『宰相・若槻礼次郎』172頁。
- ^ 豊田『宰相・若槻礼次郎』174頁。
- ^ 豊田『宰相・若槻礼次郎』191-192頁。
- ^ 豊田『宰相・若槻礼次郎』184頁。
- ^ 鈴木幸夫著『閨閥 結婚で固められる日本の支配者集団』1965年、145頁。
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