若槻禮次郎 家族・親族

若槻禮次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/24 21:08 UTC 版)

家族・親族

奥村家

若槻礼次郎著『古風庵回顧録』によれば、「この奥村の家は、家族の続柄が非常に複雑であった。戸主が二人の男の児を残して死んだ。軽輩の足軽でも、僅かながら禄を貰っている。しかし戸主が死んで、相当な年配の子供がないと、禄を取り上げられてしまう。それで私の実父が、その未亡人の所へ聟入りし、家を継いだ。そしてその間に、私の姉と私と二人の子供が生まれた。ところが私の実母は、私の三つの時に亡くなり、父は後添えの妻を貰った。幼年の私は、専らこの継母と年上の姉に育てられた。父違いの兄たちは、十以上も歳が違う。私は実母の顔を覚えていない。」という。

  • 父・仙三郎(松江藩の足軽
    • 真面目な努力家であるほかに酒豪としても聞こえていた。明治35年(1902年)10月没[2]
  • 実母・クラ(袖山庄右衛門の娘)
    • クラは奥村柳右衛門の後妻であった。柳右衛門との間に譲を生み、柳右衛門の死後、養子にきた仙三郎との間にイワと礼次郎を生んだ[35]
  • 継母・ヤオ(樋口廉蔵の娘)
    • 岸清一は幼いころ、奥村家に遊びに行ってヤオに叱られたこともあったらしく、後年、次のように回顧している。「ヤオという人は私の母の妹といわれていたが、頭がいいかどうかは疑問があるが、ともかくやかましい叔母であった、ということを記憶している」[36]
  • 姉・イワ
  • 兄・(ゆずる、松江・雑賀小学校2代目校長)

若槻家

  • 祖父・待齢(たいれい)
    • 養父敬の養父待齢は近在に聞こえた大酒家であった。その人となりはきわめて硬骨漢であり、けっして自分の信念を曲げない人間であったが、その酒豪ぶりをみていたトク子(徳子)は、「礼次郎があのような大酒家になっては困る…」とそれを心配していた。この待齢というトク子の祖父はかなり変わった人間で、ある時、養子の敬が勉強するところへきて、手にした鉄瓶の中の熱湯を敬の膝頭に注いだ。父のやり方を知っている敬は黙々としてその熱さに耐え、読書をつづけたので待齢(たいれい)は「やはり敬はわしが見込んだだけある。将来はエラブツになるじゃろう」とうなずいたという[37]
  • 父・ - 礼次郎の実母クラの弟
  • 母・ナミ子
  • 従妹・妻・徳子(とくこ、若槻敬の長女)
  • 長男・有格(実業家)
  • 長女・繁子田原和男の妻)

系図

(奥村家)
 
奥村柳右衛門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
奥村譲
 
 
 
 
 
クラ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イワ
 
 
 
 
 
 
 
奥村仙三郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
若槻禮次郎
 
 
 
 
 
ヤオ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ヤオの姉
 
 
テツ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
岸伴平
 
 
岸清一
 
 
(若槻家)
 
 
 
 
奥村仙三郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
児玉要助
 
 
 
若槻寛義
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
クラ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
袖山庄右衛門
 
 
 
 
 
 
 
若槻禮次郎
 
 
若槻有格
 
 
若槻信成
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
若槻敬
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
若槻待齢
 
 
 
 
 
 
 
若槻徳子
 
 
繁子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ナミ子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
隆子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
田原和男
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
森永貞一郎

注釈

  1. ^ 若槻礼次郎著『古風庵回顧録』によれば、「私の幼少の頃はまだ帯刀であった。私は数え年七つの時、寺子屋に入ったが一本を腰に差して通ったことを覚えている。しかし、それは抜けない木刀であった」という。
  2. ^ 懲弁国賊条例は1915年のいわゆる対華21カ条要求交渉の際、中華民国が同交渉による2条約13公文を無効化するために6月22日に発出したものであるが、1929年には「土地盗売厳禁条例」「商租禁止令」など60の追加法令を発して、土地・家屋の商租禁止と従前に貸借している土地・家屋の回収をはかっていた。

出典

  1. ^ 『激動の世代"昭和"グラフと写真で綴る64年間の軌跡』 山陰の経済 1989年2月号 (山陰経済経営研究所) (1989年2月)。pp27
  2. ^ a b c 豊田『宰相・若槻礼次郎』173頁。
  3. ^ 若槻礼次郎自伝 古風庵回顧録 明治、大正、昭和政界秘史』 18-25頁
  4. ^ 若槻礼次郎自伝 古風庵回顧録 明治、大正、昭和政界秘史』 3-21頁
  5. ^ 『法政大学校友名鑑』(1941年)
  6. ^ 「若槻氏の癖」『中央公論』第42巻第2号、昭和2年(1927年)
  7. ^ 『大正デモクラシー期の政治―松本剛吉政治日誌』(岩波書店、1959年),p.480。
  8. ^ 「三府楼主人「若槻全権の酒量大観」『民政』第3巻第12号、昭和4年(1929年)
  9. ^ 『官報』第8454号、明治44年8月25日。
  10. ^ 『官報』第8709号、明治45年7月1日。
  11. ^ 『官報』第3248号「叙任及辞令」1894年5月1日。
  12. ^ 『官報』第3875号「叙任及辞令」1896年6月1日。
  13. ^ 『官報』第4473号「叙任及辞令」1898年5月31日。
  14. ^ 『官報』第5247号「叙任及辞令」1900年12月26日。
  15. ^ a b 『官報』第5848号「叙任及辞令」1902年12月29日。
  16. ^ 『官報』第6474号「叙任及辞令」1905年2月1日。
  17. ^ 『官報』第7401号「叙任及辞令」1908年3月2日。
  18. ^ 『官報』第8486号「叙任及辞令」1911年10月2日。
  19. ^ 『官報』第3745号「叙任及辞令」1925年2月18日。
  20. ^ 『官報』第1287号「叙任及辞令」1931年4月17日。
  21. ^ 『官報』第4663号「叙任及辞令」1942年7月27日。
  22. ^ 『官報』第5175号「叙任及辞令」1900年9月29日。
  23. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  24. ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。
  25. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  26. ^ 『官報』第1187号「叙任及辞令」1916年7月15日。
  27. ^ 『官報』第1741号「叙任及辞令」1918年5月24日。
  28. ^ 『官報』号外「授爵・叙任及辞令」1928年11月10日。
  29. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  30. ^ 『官報』第1284号「叙任及辞令」1931年4月14日。
  31. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  32. ^ 『官報』第5398号「宮廷録事」1945年1月16日。
  33. ^ 元帥海軍大将子爵伊東祐亨外四十六名外国勲章受領及佩用ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10112637600 
  34. ^ 『官報』第7813号「叙任及辞令」1909年7月12日。
  35. ^ a b 豊田『宰相・若槻礼次郎』172頁。
  36. ^ 豊田『宰相・若槻礼次郎』174頁。
  37. ^ 豊田『宰相・若槻礼次郎』191-192頁。
  38. ^ 豊田『宰相・若槻礼次郎』184頁。
  39. ^ 鈴木幸夫著『閨閥 結婚で固められる日本の支配者集団』1965年、145頁。


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