育英館大学 概観

育英館大学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 02:38 UTC 版)

概観

大学全体

日本最北端の大学であり、宗谷管内唯一の大学である。1987年(昭和62年)に開学した「稚内北星学園短期大学」を改組転換し、2000年(平成12年)、日本国内初の情報メディア学部を有する四年制の単科大学として北海道稚内市に開学した[1]。名称を「稚内北星学園大学」へ変更。情報メディア学部、情報メディア学科の単学部、単学科からなる。2009年度(平成21年度)には、メディア学科の他に地域創造学科が併設された。地域創造学科は2014年度(平成26年度)まで入学生が募集されていた。それ以降は、ふたたび単学科のみの募集となっている。2021年度(令和3年度)に学校法人名を「学校法人北辰学堂」へと名称変更、2022年度(令和4年度)に大学名を「育英館大学」へと変更した。

校名の由来

大学名及び運営法人名を、札幌市に本部を置く北星学園と同じくするのは、前身となった稚内北星学園短期大学の設立計画が、札幌の北星学園の創立百周年を記念する事業として始まったことによる[2]

1980年代に、札幌の北星学園において、創立百周年を記念する事業として、新たに短期大学部道内に設立しようという計画が持ち上がった。しかし、運営を軌道に乗せられるかどうかを懸念する声も同時に上がった。もし軌道に乗せられなかった場合は学園全体の財政的な足かせになるのではという懸念である。一方、その候補地に選ばれていた稚内市では、それ以前から大学もしくは短大を市に設置しようと、あちこちの大学に誘致計画を持ちかけたり、市内の土地を整備するなど、様々な努力と準備を積み重ねていた[3]

最終的に、稚内市側が、北星学園に代わって資金や土地や校舎を全て提供して、北星本校とは財政・経営を完全に分離独立させた公設の学校法人稚内北星学園を立ち上げ、そこに北星学園側は教職員などの人的資源を提供し、稚内に北星学園の短期大学を開学させるということで両者の話がまとまった。このような経緯により、学校法人稚内北星学園及びその運営校は、その設立時から財政的には札幌の北星学園とは完全に独立しているが、同じく「北星学園」の名前を持つことになった[4] [5] [6]

1987年の稚内北星学園短期大学の開学当時は、その初代理事長を札幌の北星学園の理事長である時任正夫が兼任し、短大設立準備委員長及び設立後の初代の短大学長を北星学園女子短期大学の学長だった木村謙二が勤めるなど、運営面では両法人に人的な関連も見られたが、時任が両法人の理事長を退任した以降は、稚内北星の理事長には元稚内市長の浜森辰雄が就任し、浜森以降は代々の学長が理事長職を兼任するなど、運営役員の面でも北星学園からは独立している。そして、2021年に学校法人名を学校法人北辰学堂へと名称変更、2022年に大学名を育英館大学へと名称変更。

教育および研究

概要

情報メディア学部の単科大学で、情報メディア学科が設置されている。また数学・情報の教員免許が取得できる教職課程を設置している。

教職課程(取得可能な教員免許)

  • 中学校教諭一種免許(数学)
  • 高等学校教諭一種免許(数学)
  • 高等学校教諭一種免許(情報)

情報技術

映像・デザイン・表現の他に、JavaUNIX, C などのオープン・スタンダードな情報技術の教育に重点が置かれている。また、これらをごく初期より教育に取り入れてきたことを主張している[7]

近年においては、サン・マイクロシステムズが毎年サンフランシスコで開催しているイベント JavaOne が、2005年11月8日 - 11月10日に東京で開催されたさいに、稚内北星学園がこのイベントに協力し[8]、学長を始めとする教員らが会場にて、さまざまな講演や、ハンズオンラボ[註 1]を執り行なうなど、特に Java に対する関わりが強い傾向にある。前学長の丸山不二夫(現・早稲田大学客員教授)は、稚内北星学園の学長職当時には、学長職と同時に日本 Java ユーザーグループ(JJUG)の代表を務めていた[9]

ロシア語

ロシアと国境を接する稚内という土地柄もあって、商店を中心に、ロシア語に対する一定の需要と関心がある。学生向けの講義以外に、学外の人々を対象にしたロシア語の市民講座や、市内の高校生に向けてのロシア語の講座などが開講されている。またロシア語の担当教員は、函館税関稚内税関支署の職員向けに、ロシア語の講習を行なっている[10]

サハリン国立総合大学との間には協定があり、毎年、短期(3か月間)の交換留学生を送りあう制度がある。語学とは別に、現代ロシア、ロシア文学、ロシアの近現代史などをテーマとした各種の講義が毎年、開講されている[11]

過疎地における無線を主体とした通信ネットワークの構築

宗谷管内に存在する唯一の大学ということもあって、短大時代から、宗谷管内の他の教育機関に無線などを用いたインターネット接続を提供する取り組みが続けられている。その経緯もあって現在でも、稚内市内のいくつかの中学校・高校の公式サイトは、稚内北星学園のドメイン (wakhok.ac.jp) にてアクセスすることが可能である[12][註 2]。この取り組みについては稚内地域ネットワークの節を参照。


  1. ^ 参加者が実際にコンピュータなどを操作し、簡単なアプリケーションなどを作成してゆくというような実習形式で行われる講演の一種。
  2. ^ なお、後述の稚内地域ネットワーク、幌延町立問寒別小中学校の公式 Web サイトも wakhok.ac.jp ドメイン上に存在する。 http://www.toikanbetsu.wakhok.ac.jp/ これは稚内北星学園大学が、問寒別小中学校に Web サーバを提供していることに由来する。(幌延町立問寒別小中学校 公式 Web サイト内 http://www.toikanbetsu.wakhok.ac.jp/link.html を参照。2010年1月7日閲覧) また、同幌延町内の幌延町立幌延中学校には、平成7年以降、インターネット環境等のサポートを行なっている。(幌延町立幌延中学校 公式 Web サイト内 幌中リンク集より。2009年10月2日閲覧) 平成8年度には、両学校の UNIX サーバの運用開始をサポートした。(幌延町立幌延中学校 公式 Web サイト内情報教育の歴史を参照。2009年10月2日閲覧)
  3. ^ 建物内部の図書館は、2003年6月に大黒3丁目に移転。
  1. ^ a b “稚内北星学園大開学 動き出す「最先端」 下 接点 市民との「距離」克服へ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2000年3月31日)
  2. ^ 丸山不二夫「献辞(木村謙二前学長退任記念号)」『稚内北星学園短期大学紀要』第13号、稚内北星学園短期大学、1999年6月。 "北星学園の時任正夫理事長(前本学園理事長。故人)は、北星学園創立100周年の節目を、意義ある取り組みで飾りたいと考えておりました
  3. ^ 『わっかない市議会だより』第20号 昭和57年(1982年)5月1日発行 p.3「代表質問から」、『わっかない市議会だより』第21号 昭和57年(1982年)8月1日発行 p.4「代表質問から」、『わっかない市議会だより』第23号 昭和58年(1983年)2月1日発行 p.2「一般質問から」、『わっかない市議会だより』第26号 昭和58年(1983年)11月1日発行 p.2「一般質問から」"あの地域には大きな沼があるので、危険防止のためこの沼を埋め立てて、グランドとしても整備したいし、大学誘致のためとしても整備をしていきたい。" など。
  4. ^ 丸山不二夫「献辞(木村謙二前学長退任記念号)」『稚内北星学園短期大学紀要』第13号、稚内北星学園短期大学、1999年6月。  松澤逸巳「木村謙二先生の学長像(木村謙二前学長退任によせて)」『稚内北星学園短期大学紀要』第13号、稚内北星学園短期大学、1999年6月。 
  5. ^ 『わっかない市議会だより』第29号昭和59年(1984年)7月1日発行 p.3 「議案特別委員会の審査から」 "稚内に北星学園短期大学が設立されることになり、その設立にあたっては現地法人で対応するとのことであるが、この現地法人とはどういうものであるか。"
  6. ^ 時任正夫『北星教育四十五年 時任正夫著作集』「北星教育四十五年——時任正夫著作集」刊行会、札幌市中央区南4条西17-2-1、1992年、68頁。 「最北端で最先端の勉強を」など。
  7. ^
    稚内北星学園大学(以下、「稚内北星」という。)は、情報メディア学部情報メディア学科のみの単科大学で、1987 年に短期大学として開学した当初から、UNIX システム管理者教育をはじめとする情報処理教育に力を入れていた。

    —滝澤修,金山典世(『情報通信研究機構季報』Vol.50 Nos.1/2 2004年3・6月号 稚内地域実験研究ネットワークプロジェクトの経過と成果より)

    本学は、短大時から、いち早くインターネットを全学必須科目としてきました。そればかりか「コボル言語はもう古い、これからはC言語が必要とされる」というような、常に次の時代を見据えた先進教育をめざしていました。UNIXも短大時から科目に取り入れたり、現在でもJava言語は、数ある教育機関の中でも先端を行っていると思います。

    稚内信用金庫による稚内北星学園大学教授 加藤潔 へのインタビュー記事(稚内信用金庫 ズームアップ北 Vol.52/平成15年6月発行より)

    他に、大学公式サイト 情報メディア学部紹介 〜 稚内北星学園大学 など。(2009年4月6日閲覧)
  8. ^ イベント当時のサン・マイクロシステムズ公式サイト内のタイムテーブルを参照。(リンク先はインターネットアーカイブサン・マイクロシステムズ - JavaOne Tokyo 2005 -タイムテーブル サン・マイクロシステムズ - JavaOne Tokyo 2005 -タイムテーブル サン・マイクロシステムズ - JavaOne Tokyo 2005 -タイムテーブル サン・マイクロシステムズ - JavaOne Tokyo 2005 - ハイライト
  9. ^ 「コミュニティの自由な連合体に」---日本Javaユーザグループ準備会代表 丸山不二夫氏:ITpro, JJUG発足の裏には——Javaを取り巻く日本事情 - ITmedia エンタープライズ, ついに“日本Javaユーザグループ”が設立に--地域活性化と技術者の地位向上を目指す - ソフ - ZDNet Japanなど。
  10. ^ 稚内北星学園大学情報メディア学部教授 岩本和久 profile 大学公式サイト内 教員紹介のページより。(2009年4月6日閲覧)
  11. ^ 大学公式サイト、シラバス、各種大学発行物より
  12. ^ 北海道稚内高等学校 http://www.chikou.wakhok.ac.jp/ 北海道稚内商工高等学校 http://www.shoko.wakhok.ac.jp/ 稚内市立潮見が丘中学校 http://www.siocyu.wakhok.ac.jp/ 稚内市立稚内東中学校 http://www.toncyu.wakhok.ac.jp/ など。経緯とネットワーク構造の詳細については『情報通信研究機構季報』Vol.50 Nos.1/2 2004年3・6月号 稚内地域実験研究ネットワークプロジェクトの経過と成果 滝澤修,金山典世 186ページ「5 実験ネットの構成」など。
  13. ^ [1](2020年3月26日閲覧)
  14. ^ 稚内北星学園の新理事長に松尾氏 京都・育英館から理事4人:北海道新聞 どうしん電子版2020年3月19日22時28分の記事。(2020年3月26日閲覧)
  15. ^ 稚内北星学園大 名称変更で「育英館大」へ:北海道新聞 どうしん電子版”. 北海道新聞 どうしん電子版. 2020年12月10日閲覧。
  16. ^ 大学公式サイトより。アクセス〜 稚内北星学園大学(2010年1月7日閲覧)
  17. ^ 稚内北星学園大学 自己点検評価報告書 (2004 - 2005 年度) 45ページより。
  18. ^ 本学の特徴 〜 稚内北星学園大学より。(2009年10月2日閲覧)
  19. ^ 稚内北星学園大学 自己点検評価報告書 (2004 - 2005 年度) 46ページより。
  20. ^ 図書館 〜 稚内北星学園大学『図書館だより』などを参照。
  21. ^ 稚内信用金庫による稚内北星学園大学教授 加藤潔へのインタビュー記事より。稚内信用金庫 ズームアップ北 Vol.52/平成15年6月発行
  22. ^ 大学公式サイト、シラバス、各種大学発行物より。
  23. ^ オンライン教材〜 稚内北星学園大学サマースクール〜 稚内北星学園大学より。
  24. ^ 当時の大学公式 Web サイトより(リンク先はインターネットアーカイブ稚内北星学園大学 大学案内
  25. ^ NORTH-CAUA共同開催シンポジウム レポート online『ViewPoint』第8号 2008.3 ITを活用した大学の地域貢献金山典世。他に、稚内市民のコンセンサスこそが四年制大学実現の力丸山不二夫 1997年12月6日(リンク先はインターネットアーカイブ)。吉田智子「よしだともこのルート訪問記 第22回 “最北端は最先端”の大学でのATM-LAN構築物語」『UNIX USER 1996年11月号』、ソフトバンク 吉田智子「よしだともこのルート訪問記 第23回 特別編 ルートへの道・その第一歩」『UNIX USER 1996年12月号』、ソフトバンク など。
  26. ^ 『時報 稚内北星学園大学』特集 昼夜開講制 第10号 2008年12月13日 発行 より。
  27. ^ 括弧内は、学生ボランティア事業実施要項 より引用。
  28. ^ 稚内中学校数学授業アシスタント事業が始まりました : 稚内北星学園大学より。
  29. ^ 大学公式サイト、各種大学発行物などを参照。
  30. ^ 稚内北星学園大学情報メディア学部教授 岩本和久による個人 blog
    サハリンから「買い物ツアー」なる人たちが、今、稚内に来ている。http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/52101.html で、昨日、「観光」の一環とのことで、この方たちが総勢30人くらいで大学を訪れた

    —岩本和久(2007年9月30日付け カムチャツカの雪: 買い物ツアーより)

    他に、稚内市 建設産業部 サハリン課 コルサコフ市 日本語履修生徒の稚内訪問 『友好の架橋—日本語』 (2008年6月)など。
  31. ^ 『情報通信研究機構季報』Vol.50 Nos.1/2 2004年3・6月号 稚内地域実験研究ネットワークプロジェクトの経過と成果 滝澤修,金山典世 180ページなどより。
  32. ^
    稚内地域ネットワークのはじまりは、1995年にまで溯ります。この前年くらいからインターネット接続を周辺の学校に普及させる活動に大学として取り組み、ISDNでの高校、中学との接続実験を行っていましたが、電話代などの問題が非常に重荷になっていました

    —稚内北星学園大学("稚内地域ネットワーク"(2009年4月6日閲覧)より)

  33. ^ 「稚内商工高校との無線 LAN 接続に成功」Weekly Wakkanai Hokusei No.29より。(No.29: Dec 19 1996)
  34. ^ Weekly Wakkanai Hokusei No.37より。(No.37: Jul 28 1997)
  35. ^ 設置されたレーザ光空間通信装置の画像 地域ネットワーク
  36. ^ 「海上17kmを無線で接続する実験 11月20日実験」"宗谷中との接続" より。
  37. ^ 「海上17kmを無線で接続する実験2」"宗谷中との接続2" より。他にROOT : 最大17km 北海道稚内無線地域ネットワークなど。
  38. ^ 『情報通信研究機構季報』Vol.50 Nos.1/2 2004年3・6月号 稚内地域実験研究ネットワークプロジェクトの経過と成果 滝澤修,金山典世。
  39. ^ a b NORTH-CAUA共同開催シンポジウム レポート。online『ViewPoint』第8号 2008.3 ITを活用した大学の地域貢献金山典世。
  40. ^ 2007年12月7日 NORTH-CAUA共同開催シンポジウム「ICTで実現する元気な北海道!」〜北海道の地域情報化の現状と今後〜 での講演及び講演資料より。NORTH-CAUA共同開催シンポジウム レポート。online『ViewPoint』第8号 2008.3 ITを活用した大学の地域貢献金山典世。他に稚内地域実験研究ネットワーク
  41. ^ 平成18年8月22日 総務省北海道総合通信局 発表 「条件不利地域におけるワイヤレスブロードバンド構築に関する調査検討会」を開催します。同 平成19年4月24日発表「条件不利地域におけるワイヤレスブロードバンド構築に関する調査検討会」報告書を取りまとめより。





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