神の十戒復古運動 神の十戒復古運動の概要

神の十戒復古運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/06 06:23 UTC 版)

神の十戒復古運動
分類 カトリック教会
教派 終末論
ドゥームズデー・カルト
代表 ジョセフ・キブウェテーレ英語版
ジョセフ・カサプラリ
ジョン・カマガラ
ドミニク・カタリバーボ
クレドニア・ムウェリンデ
地域 ウガンダ
創設者 クレドニア・ムウェリンデ
ジョセフ・キブウェテーレ英語版
ビー・テート
創設日 1989年
創設地 ウガンダ ントゥンガモ県 ルワシャマイア
独立 ローマ・カトリック教会[1]
信徒数 1,000~4,000人(最盛期)
2000年に教祖によって信者の多数が虐殺され消滅した
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教義

神の十戒復古運動の目的は、モーセの十戒イエス・キリストの説教への服従であった[1]。彼らは、黙示による終末から逃れるためには、これらの戒律を厳しく守っていく必要があると説いた[1]。戒律厳守の強調は、9番目の十戒である「隣人に関して偽証してはならない」を破ることへの恐怖心を呼び起こし、信者たちに会話への勇気を悉く奪い去り、遂には手話のみを用いてコミュニケーションが行われるまでになった。断食が日常的に行われ、金曜日月曜日に1食のみ食べることが許された。性行為や石けんの使用は禁止された[6]

教団の指導者たちは、終末は1999年12月31日に起こると述べていた。この教団では、黙示に示された終末の時が殊更強調されており、それを示す重要な資料として教団の書物である『A Timely Message from Heaven: The End of the Present Time』が挙げられる[7]。新しい信者はこの書物を学ぶことが求められ、その書かれた文章を6回もの回数読み上げなければならないなど、徹底的に教え込まれた。これに加えて、指導者たちは聖母マリアが終末の中で重要な役割を果たすと説いており、彼女が指導者達に教えを授けたとも説いていた。彼らは、彼ら自身のことを堕落の海の中を航海する正義の船、ノアの方舟と同じ存在であると考えていた[4]

教団では、霊的ビジョン英語版に応じてヒエラルキーが形作られており、トップにはムウェリンデが君臨していた。彼らの背後には神学を修めた元聖職者がおり、啓示を説明していた。このカルトはカトリック教会から分派した集団であり、カトリックの象徴として、破門された聖職者や修道女が指導者の中に顕著に配置されていた一方で、カトリック教会との繋がりは非常に薄いものしかなかった[4]

教団の信者達は、を着ており、一部の信者のみがの服を着用していた[2]。近隣住民とも言葉を交わすことはなく、手話で意思疎通を図っていたが、食事を振舞うことがあったという[1]。また、体毛を焼きと混ぜた液体を体に塗るということも行っていたという[1]

背景

現代のウガンダは、政治的、社会的混乱の最中に在る事が多かった。イディ・アミンによる独裁AIDSパンデミック、そしてウガンダ・ブッシュ戦争英語版が国中に大きな破壊をもたらしていた[4][8]。人々は悲観的、宿命論的な価値観に支配されるようになり、既存のローマ・カトリック教会はスキャンダルに揺れ、信心深い人々は不満を募らせるなど、勢力を失いつつあった。この空白の時代の最中、数多くのポスト=カトリックと呼ぶべきグループが1980年代後半に設立された。このグループは、混乱し精神的苦痛を受けた大衆を、政府や教会の権力と絶縁したカリスマ的自称救世主へと惹きつけさせた[8]。この現象の一例として、キリスト教抵抗組織である「聖霊運動英語版」は、ヨウェリ・ムセベニ政権への闘争を行っている[4]

別の無関係の教団の元メンバー、ポール・イカジレは、神の十戒復古運動へ参加する動機を次のように語っている。

我々は、カトリック教会への抗議としてこの運動に参加しました。我々は素晴らしい目的を持っていたのです。(カトリック)教会は堕落し、聖職者達はスキャンダルに染まり、そしてAIDSによる天災は、敬虔な信者に犠牲を強いていたからです。この世界は終焉へと向かっているようでした[6]


  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 江木 慎吾 (2013年6月1日). “狂信と500人の焼死 思い出したオウム事件 @カヌング”. 朝日新聞. http://www.asahi.com/special/news/articles/TKY201305310574.html 2018年10月16日閲覧。 
  2. ^ a b c d カルト宗教の終末論が生んだ最悪の結末・大量殺人! 教祖は今も逃亡中か”. ハピズム (2011年10月31日). 2018年10月16日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g "Uganda Survivor Tells of Questions When World Didn't End Ian Fisher" The New York Times April 3, 2000
  4. ^ a b c d e Quiet cult's doomsday deaths BBC News March 29, 2000
  5. ^ a b c d Cult in Uganda Poisoned Many, Police Say New York Times July 28, 2000
  6. ^ a b c d e f g h i Uganda Cult's Mystique Finally Turned Deadly Ian Fisher The New York Times April 2, 2000
  7. ^ Fateful Meeting Led to Founding of Cult in Uganda Henri E. Cauvin The New York Times March 27, 2000
  8. ^ a b Cults: Why East Africa? BBC News March 20, 2000
  9. ^ a b c d e The preacher and the prostitute BBC News March 29, 2000
  10. ^ a b A party, prayers, then mass suicide Anna Borzello The Guardian March 20, 2000
  11. ^ a b Evidence Indicates Uganda Cult Held an Eerie Prelude to Fire Henri E. Cauvin New York Times March 26, 2000
  12. ^ a b Mass graves found in sect house Anna Borzello The Guardian March 25, 2000
  13. ^ Fisher, Ian (2000年4月2日). “Uganda Cult's Mystique Finally Turned Deadly” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/2000/04/02/world/uganda-cult-s-mystique-finally-turned-deadly.html 2018年4月16日閲覧。 
  14. ^ NTVUganda (2014-04-03), Kanungu Massacre: Report claims Kibwetere is hiding in Malawi, https://www.youtube.com/watch?v=jOgZAcFRuyE 2018年4月16日閲覧。 


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