石舞台古墳 被葬者

石舞台古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 15:04 UTC 版)

被葬者

被葬者は蘇我馬子であったとする説が有力である。『日本書紀』の推古天皇34年(626年)5五月の条に「大臣薨せぬ。仍りて桃原墓に葬る」とあり、大臣は、蘇我馬子を指している[3]。封土が剥がされ、墓が暴かれたのは、蘇我氏に対する懲罰ではなかったかとする説もある。 また、三重中京大学名誉教授の上野利三は石室の壁に「馬子墓」の文字が刻まれており、肉眼でも確認可能との説を主張している[4]

ただし、異説があり、奈良大学水野正好は、石の種類、築造年代などから蘇我稲目説を唱えている。

研究・発掘史

石舞台古墳が文献に記されるのは、江戸時代になってからである[5]延宝9年(1681年)の林宗甫『大和名所記』(和州旧跡幽考)に、石太屋というがあると記しており、陵とは前後の文脈から天武天皇の陵と了解できる[6]。「石太屋」(いしふとや)は大きな石で造った屋の意味で、これが「石舞台」と転訛したのではないかとの意見がある[7]嘉永元年(1848年)の『西国三十三所名所図会』にも、石舞台を天武天皇ののあとという記述があるが[8]、現在では天武天皇の墓とする説を支持する学者はいない。

地元では他に「石蓋」(いしぶた)などの名前で呼ばれていた。「狐が女の姿に化けて古墳の上で踊ったことから石舞台と名付けられた」という伝説については、古墳のすぐそばで生まれ育った網干善教は、そのような話を自分は聞いたことがなく近年に創作された話であろう、としている[9]

明治時代に喜田貞吉が『日本書紀』にみえる桃原墓が石舞台にあたるとする説を発表し、以後これが有力になった。

1933年昭和8年)と1935年(昭和10年)に京都帝国大学(当時)の浜田耕作らが中心となり、発掘調査が行われた。これより前には前方後円墳ではないかという説もあったが、貼石列、空堀、外堤の跡が見つかり、方形であることが判明した。発掘調査で古墳周囲の堀が見つかったのはこれが初めてのことであった[10]

1954年(昭和29年)から1959年(昭和34年)にかけて古墳の復元整備事業が行われた。この時、外側の堀を掘るために上を通っていた県道が迂回させられた。

巨石が組み上げられた基本的な外観は江戸時代から変わっていないが、石室と羨道部はかなり崩れていた。現在は修復され[10]、内部が公開されているので玄室内に入ることも可能である。

入場

8時から17時まで

  • 大人・大学生:300円
  • 高校生:200円
  • 中学生:150円
  • 小学生:100円

  1. ^ 門脇 1970, p. 106.
  2. ^ 網干善教「別冊太陽 飛鳥 古代への旅」(2005年、平凡社) p.33
  3. ^ 『日本書紀』巻第22、推古天皇34年5月丁未(20日)条。新編日本古典文学全集『日本書紀』2の589頁。
  4. ^ 上野利三 (2011-03). “『別冊太陽 飛鳥』所載石舞台古墳組石の写真に見える「馬子墓」字”. 三重中京大学地域社会研究所報 (23): 305-310. 
  5. ^ 門脇 1970, p. 102.
  6. ^ 林宗甫. “大和名所記  和州旧跡幽考 第十五巻”. 国際税務の福袋 International Tax Planning 加藤英之. 加藤英之. 2016年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月28日閲覧。[要検証]
  7. ^ 泉森皎「石舞台古墳」文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第3巻 原始3』同朋舎出版、1991年、46ページ。
  8. ^ 武庫川女子大学関西文化研究センターデジタル・アーカイブ西国三十三所名所図絵No.454[リンク切れ]No.455[リンク切れ]。2011年2月18日閲覧。
  9. ^ 網干善教著・太田信隆構成 『高松塚への道』 草思社、2007年10月、66-68頁。
  10. ^ a b 門脇 1970, p. 103.


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