築造時期と被葬者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 17:15 UTC 版)
白石は岩屋山式に属する小谷古墳の家形石棺の型式および岩屋山式の前後の時期に属すると考えられる横穴式石室出土須恵器の編年などから岩屋山古墳および岩屋山式の横穴式石室の古墳の築造時期を7世紀中葉前後から7世紀第3四半期と推定している。また、岩屋山古墳の被葬者としては667年(天智6年)に越智岡上陵に葬られたとされる斉明天皇の可能性があることを指摘している。 一方、岩屋山式とされる前記の大阪府叡福寺北古墳(西暦621年または622年に死没した聖徳太子の墓とされている)、および同じ河内地方にあって、同じく岩屋山式とされる塚穴古墳(西暦603年に死没した来目皇子の墓とされている)の被葬者の没年から、これらの古墳の造営年代を7世紀第3四半期まで下げるのは無理と考え、岩屋山式の造営年代を7世紀第1四半期に引き上げる説も提唱されている。この説は岩屋山式の1つ前の段階にあたる石室を持つ石舞台古墳の造営年代をその被葬者とされる蘇我馬子の没年の西暦626年前後とするのではなく、馬子が572年に大臣となった時点で造営に着手したと考えようとすることで成り立っているものである。この説が正しかった場合、岩屋山古墳=斉明陵説は当然成り立たないわけであるが、馬子が大臣になった時点から天皇陵クラスの規模を持つ石舞台古墳の造営を開始したのではないかという考えにも無理がないわけでなく、今後の研究、調査と議論の進展が待たれる。
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