築造時期に関する議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 23:23 UTC 版)
三ツ塚古墳の築造時期については、従来から埴輪が採集され、助太山古墳墳頂部には石材が露呈しており、これが竪穴式石室の蓋石と考えられ、すぐそばに存在する5世紀前半の仲ツ山古墳(伝仲姫命陵)の陪塚と理解されてきた。また宮内庁も、八島塚古墳と中山塚古墳の2基は仲姫命陵の陪塚に指定し、管理している。しかしながら、仲津山古墳が主軸を南西から北東に向けるのに対し、三ツ塚古墳が東西に並ぶことからそれを疑問視し、最近では7世紀の築造とする説もある。その根拠は軸方向が異なる事以外に、従来、竪穴式石室の蓋石とされた石材が、平坦面四方に面取り加工を施し、終末期古墳に酷似している。また、石材もこの付近の終末期古墳に使用されている二上山の牡丹洞産凝灰岩であることなどである。
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