石川源晃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/10 22:05 UTC 版)
人となり
- 大正10年紀元節(2月11日)朝6時27分、東京にて生まれる。
- 初等科から高等科(高校)まで学習院。卒業後は、学習院では大学科が廃止された後だったので、東京工業大学に進む。
- 日本で最初のモービルハム(車載など移動運用アマチュア無線実践家)(免許取得第1号)。社団法人 日本アマチュア無線連盟(The Japan Amateur Radio League,Inc. 略称:JARL)の役員を務め、戦後のアマチュア無線の復活に尽力し、電波法の作成にも携わる。
- 若年時(帝国海軍大尉時代より前)に、四柱推命、断易(五行易、鬼谷易)などの大家の元に出入りし、東洋占術を習得した。
- 海軍では技術研究所に勤務、艦砲射撃用の精密なレーダー装置の開発に従事する。戦後も技術者、発明家としての姿勢は変わらず、さまざまな分野で開発、発明を続け個人として多数の特許を出願した。特許庁七十周年記念の白書に、法人に属さない個人の発明家名鑑のトップに記載されている。
- 敗戦後、米国オハイオ州の自動車部品会社に勤務しているとき、天体と人間のかかわりあいに興味をもち、主にアラン・レオの著作で占星学(Astrology)を学ぶ。
- 1975年よりAFA(米国占星学者連盟)の機関誌に次々と研究論文を発表し、日本では占星学の研究及び自由討論・の輪を提供する機関「アストロサークル」を発足。1978年より刊行された「アストロサークル通信」は占星学研究を専門とする日本で唯一の非営利の月刊誌であった。占星学の研究・著作活動の他、文化センター・カルチャーセンターで占星学の講師を務め、後進の育成に努めた。
- 晩年は占星学の教育と研究のため、400ページにも及ぶ研究論文を自身のホームページ「占いでない占星学」で公開。インターネットの場でも研究の推進を熱く語り続けた。
- 2006年6月13日死去。85歳。
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