県警対組織暴力 宣伝・興行

県警対組織暴力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/25 16:31 UTC 版)

宣伝・興行

当時は映画出演者がテレビに出て番宣をするようなことは無かったが[24]、映画公開前にテレビで『菅原文太のすべて』のような番組が放映され[24]、映画宣伝の珍しい方法として映画関係者の反響を呼んだ[24]

この1975年のゴールデンウィークは、東宝山口百恵主演の『潮騒』と和田アキ子主演の『お姐ちゃんお手やわらかに』、松竹桜田淳子主演の『スプーン一杯の幸せ』と中村雅俊檀ふみ出演の『想い出のかたすみに』で、東映がこの『県警対組織暴力』と志穂美悦子主演の『華麗なる追跡』のそれぞれ二本立てで、邦画界はほぼアイドル映画一色に染められた[2][25]。マスメディアは大手三社のメイン作の対決を「モモかサクラか、桜の代紋か」などと盛んに取り上げ[2][26][25][27][28]、山口百恵、桜田淳子、菅原文太がそれぞれ都心の劇場で派手な宣伝合戦を展開した[27][28]。ゴールデンウィーク初日の1976年4月26日、百恵は千代田劇場前で通行人のホッペに"チュ"をするというウッシッシ作戦を行うと告知[27]。同所に登場はしたが[28]、"チュ"を実行したかは不明。淳子は銀座松竹前で「幸せになりましょうネ」と幸せのベルをプレゼントすると告知[27]、これは実行された[28]。色気のない『県警対組織暴力』は当初、銀座のど真ん中・丸の内東映前で"ドカーン"と花火を打ち上げるかと予定したが、都民を驚かせてまた警視庁を怒らせても困るなどと中止し[27]、東映宣伝部員が警官姿になって菅原を囲み舞台挨拶する予定だったが、これも警察当局の逆燐に触れることを恐れて自粛した[2]。初日の興行成績は『県警対組織暴力』に軍配が上がり[28]、菅原は「テレビの人気者に負けるようじゃ、本職の恥」[2]「映画でメシを食ってる本職がポッと出のジャリ歌手に負けたんじゃ、オレ、役者をやめるよ」[26]などと胸を張った。しかし当時志穂美悦子が、文太、松方、渡、千葉と並ぶ"東映の五大黒字スター"などと呼ばれるほど[29]人気が爆発しており[29]、一部のメディアには「百恵ちゃん、淳子ちゃん、悦ちゃんの三ちゃん・女の闘い」とも書かれ、実際『華麗なる追跡』上映中には「悦ちゃん、悦ちゃん」の大唱和が起き『県警対組織暴力』だけの成績かは不明だった。当時は10代の映画ファンの興行への影響力が大きくなってきており、東映は「実録路線」が当たってはいたが、さらに若いファン層の開拓を目指して岡田茂東映社長は「ことしから二本立ての1本は19歳以下の若者を対象にしていく」と"青春路線"に取り組むと発表した[2]


  1. ^ a b c d サンデー毎日、1975年3月9日号、p.38
  2. ^ a b c d e f g 藤木TDC「藤木TDCのヴィンテージ女優秘画帖(53)」『映画秘宝』、洋泉社、2010年12月号、101頁。 
  3. ^ a b 俊藤浩滋山根貞男『任侠映画伝』講談社、1999年、232-235頁。ISBN 4-06-209594-7 
  4. ^ a b c 春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』文藝春秋、2013年、326-328頁。ISBN 4-1637-68-10-6 
  5. ^ a b c 緊急追悼連載! 高倉健 「背中の残響」(7)“刑事役”と“舟唄”を結ぶ線
  6. ^ a b 岡田茂『悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、180-181頁。ISBN 4-87932-016-1 岡田茂『波瀾万丈の映画人生:岡田茂自伝』角川書店、2004年、223-227頁。ISBN 4-04-883871-7 
  7. ^ a b c d 日下部五朗『シネマの極道 映画プロデューサー一代』新潮社、2012年、95-97頁。ISBN 978-410333231-2 
  8. ^ 山口組分裂 東映「仁義なき戦い」シリーズなどを手がけた大物プロデューサーが激白 「ドンパチがないと映画にはならん!」”. 産経ニュース. 産業経済新聞社 (2016年5月7日). 2021年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月21日閲覧。
  9. ^ “日本映画の企画・製作について語り合う—前篇− 塩田明彦×斉藤守彦対談”. Cinemas PLUS (株式会社クラップス). (2016年5月23日). オリジナルの2016年8月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160826095532/https://cinema.ne.jp/recommend/shiota2016052307/2/ 2018年9月27日閲覧。 笠原和夫『映画はやくざなり』新潮社、2003年、82頁。ISBN 978-4104609017 高岩淡『銀幕おもいで話』双葉社、2013年、126 -127頁。ISBN 4-5757-14-01-1 新潮45』2004年9月号、新潮社、p. 206
  10. ^ 「オヤオヤこんどは東映"両面作戦"」『週刊読売』、読売新聞社、1975年3月8日号、33頁。 
  11. ^ a b c d 笠原和夫、荒井晴彦絓秀実『昭和の劇:映画脚本家笠原和夫』太田出版、2002年10月、364-373頁。ISBN 4-87233-695-X 
  12. ^ a b 深作欣二・山根貞男『映画監督深作欣二』ワイズ出版、2003年7月、280-281頁。ISBN 4-89830-155-X 
  13. ^ a b c 平野共余子『日本の映画史-10のテーマ』くろしお出版〈日本語学習者のための日本研究シリーズ2〉、2014年9月、52-56頁。ISBN 978-4-87424-632-0 
  14. ^ 総特集=菅原文太-反骨の肖像- /【追悼】 野良犬のように 文・上野昂志」『現代思想』2015年4月臨時増刊号、青土社、15頁、ISBN 978-4-7917-1298-4 
  15. ^ シナリオ作家協会『笠原和夫 人とシナリオ』シナリオ作家協会、2003年。ISBN 4-915048-12-8 
  16. ^ a b c d e f “松方因縁のリリーフ 再び渡の代役…頼れる男『 県警対組織暴力』”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 13. (1975年3月13日) 
  17. ^ a b c d e f “渡、突如出演を辞退東映首脳大あわてカゼこじらせ『県警対組織暴力』”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年3月11日) 
  18. ^ 脇田巧彦 (2011年12月26日). “最後の活動屋 岡田茂 映画こそ我が人生 実録!! 東映六十年(76) 渡哲也を石原プロから引き抜き作戦”. 埼玉新聞 (埼玉新聞社): p. 14 脇田巧彦 (2011年12月27日). “最後の活動屋 岡田茂 映画こそ我が人生 実録!! 東映六十年(77) 渡哲也東映移籍を拒否”. 埼玉新聞 (埼玉新聞社): p. 14 
  19. ^ 「随想 東映スター渡哲也が誕生するまで」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1975年2月下旬号、48-49頁。 
  20. ^ “なになにッ! "良心の東映"悲壮な決意 病欠渡のポスターはがし”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 15. (1975年3月20日) 
  21. ^ a b “なになにッ! コイの身を焼く松方弘樹忙しすぎてああダメダ”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 15. (1975年3月25日) 
  22. ^ 深作欣二山根貞男『映画監督 深作欣二』ワイズ出版、2003年、324-328頁。ISBN 4-89830-155-X 
  23. ^ “東映、二つの暴力"新路線"スタート『血で染めた"殴込み"』”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 15. (1975年4月4日) 
  24. ^ a b c 「松竹夏の総進撃態勢語る人・三嶋与四治氏(松竹取締役・製作本部長・宣伝担当) 訊く人・北浦馨」『映画時報』1975年5月号、映画時報社、9頁。 
  25. ^ a b “なになにッ! 花のアイドル"大学対抗"スクリーン黄金週間の激突”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 13. (1975年3月27日) 
  26. ^ a b 「〈ルック〉 百恵ちゃんに辛勝した菅原文太」『週刊現代』1975年5月15日号、講談社、27頁。 
  27. ^ a b c d e “なになにッ!キス?それともプレゼント?天下分け目の"GW"PR戦”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 15. (1975年4月25日) 
  28. ^ a b c d e “モモは鯉に…サクラはダルマで気勢 "GWの顔"呼込み合戦まず文太リード、邦画火ぶた”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年4月27日) 
  29. ^ a b “なになにッ! "跳び蹴り"でかせぐ2億円 東映の孝行娘・志穂美悦子”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年2月19日) 
  30. ^ 「深作欣二の軌跡」2003年、キネマ旬報社、p. 174
  31. ^ 『私と東映』 x 三池 崇史監督 (第1回 / 全2回) - Facebook
  32. ^ 「『チーム・バチスタの栄光』脚本家インタビュー 斉藤ひろし 〈聞き手・構成〉野村正昭」『シナリオ』2008年4月号、日本シナリオ作家協会、19頁。 
  33. ^ 杉作J太郎、植地毅『トラック野郎 浪漫アルバム』徳間書店、2014年、p.216
  34. ^ 快楽亭ブラックの黒色映画図鑑「県警対組織暴力」
  35. ^ a b c d 深作欣二・山根貞男『映画監督深作欣二』ワイズ出版、2003年7月、324-328頁。ISBN 4-89830-155-X 
  36. ^ スポーツニッポン2009年11月8日、p.6
  37. ^ a b 「興行景況前半は順調後半は低空飛行全般的にあまり活気のなかった興行街」『映画時報』1975年6月号、映画時報社、40頁。 
  38. ^ 「今号の新作」『キネマ旬報』1975年5月下旬号、34頁。 
  39. ^ 『古都金沢撮影の現場から 文・牧口雄二』日本シナリオ作家協会、1975年8月号、30-31頁。 


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