県警対組織暴力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/25 16:31 UTC 版)
評価
本作は警察の末端組織とヤクザとの癒着及び対立、警察組織内の上層部と末端の対立をテーマに、笠原の綿密な構成力と深作欣二の迫真の演出力が存分に発揮され、娯楽性と社会的なテーマ性をともに併せ持つ作品となった。笠原が『仁義なき戦い』で習得した広島弁のセリフ創作術はこの作品によって究極の達成を見たといっても過言ではない[30]。
広島県警からは制作発表当初より強硬な抗議が届いた[2]。
三池崇史は「『仁義なき戦い』とか、『県警対組織暴力』とか、いま、僕らが子供のころ観た映画って絶対に作れないです」と述べている[31]。
斉藤ひろしは「シナリオの勉強をするためには『仁義なき戦い』より『県警対組織暴力』の方がいいですね。でも『県警対組織暴力』は完璧すぎなんで、これからシナリオを学ぶ人にとって『仁義なき戦い』からの方がいいかもしれないです」などと述べている[32]。
エピソード
- 『カックラキン大放送!!』(日本テレビ)のコーナーで、カマキリ拳法を駆使するラビット関根(関根勤)が、拳法を大げさに繰り出す割には、野口五郎扮する刑事ゴロンボに簡単にやられる、あるいは自滅するというネタは、本作の取調室での暴行シーンをヒントにしているという[33]。
- 予告編に『やくざ対Gメン 囮』と『仁義なき戦い 頂上作戦』の流用映像と、本作で使われなかった中華料理店で野口貴史演じるヒットマンが広谷の返り討ちにあう未公開シーンと、『新仁義なき戦い』『実録飛車角 狼どもの仁義』、『ザ・カラテ2』、『山口組外伝 九州進攻作戦』のBGMを流用している。
川谷拓三への取調室での暴行シーン
本作品は、ヤクザ役の川谷拓三へ、警官役の菅原文太と山城新伍が取調室で暴行を加えるシーンが有名な見所になっている[34]。暴力的な取締のシーンは数あれど、その域を超えている[35]。たまたま笠原和夫が撮影を観ていて、ひっくり返って喜んでいたという[35]。最初いきがっていた川谷は、菅原と山城に、投げられ、裸に剥かれ、殴る蹴るの暴行を受けて泣き叫ぶ。滑稽さと迫真性から川谷の演技は評判となり、のちの川谷たちピラニア軍団の出世へとつながっていった。萩原健一は、このシーンを観て川谷のファンになり、倉本聰脚本のテレビドラマ『前略おふくろ様』のプロデューサーを通じて川谷に「共演したい」とオファーを出し、川谷は同作の利夫役に抜擢され、お茶の間でもブレイクした[36]。同じピラニア軍団の室田日出男にも出てもらうことになったという。
このシーンに関して川谷は、これは正に自分の役だと感じたと語っている。公務執行妨害をしてしまい、4人くらいの警官に囲まれ、殴る蹴るの暴行を受けるというよく似た経験をしたことがあったからである。川谷が「本当に殴って下さい」というので、深作は本人が言うんだから仕方ないと、菅原と山城に川谷を本気で殴らせたと述べている[35]。翌日、川谷は顔がぼこぼこになっていた。ロッテルダム国際映画祭でも場内が笑いの連続で沸きに沸いたという[35]。
なお、同じく深作欣二監督、笠原和夫脚本の映画『やくざの墓場 くちなしの花』では、川谷は本作と逆に取調室でヤクザを痛めつける警官役を演じている。
1993年10月21日放送分の『ダウンタウンDX』でくしくもこの三人が揃ってゲスト出演し当時を回顧。川谷は「あれは楽しかったなぁ」と満面の笑みで感想を述べ、「痛めつけられたのに何で楽しいんですか!」とダウンタウンを驚かせた。
ソフト化
東映ビデオからDVD・ブルーレイが販売されている。
- 県警対組織暴力 Blu-ray(2015年5月13日発売)
- 県警対組織暴力 DVD(2015年3月13日発売・廉価版)
- 県警対組織暴力 DVD(2009年6月1日発売・廉価版)
- 県警対組織暴力 DVD(2003年3月21日発売)
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- ^ 『私と東映』 x 三池 崇史監督 (第1回 / 全2回) - Facebook
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- ^ 杉作J太郎、植地毅『トラック野郎 浪漫アルバム』徳間書店、2014年、p.216
- ^ 快楽亭ブラックの黒色映画図鑑「県警対組織暴力」
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固有名詞の分類
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