牙山市 歴史

牙山市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 09:14 UTC 版)

歴史

  • もともと牙山は百済の牙述で、景徳王が陰峯(陰岑とも)に改名し、高麗時代は仁州→牙州を経て李氏朝鮮時代に牙山となった。温陽は湯井(景徳王改名はなし)から温水、新昌は屈直を景徳王が祁梁に変えて高麗が新昌とした。李氏朝鮮時代は一時期水と新を合わせて温昌となり、その後温陽・新昌となった。
  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、牙山郡・温陽郡新昌郡牙山郡として編成。牙山郡に以下の面が成立。[2](12面)
    • 霊仁面・仁州面・陰峰面・塩峙面・屯浦面・排芳面・温陽面・松嶽面・湯井面・鶴城面・椒井面・道高面
朝鮮総督府令第111号
朝鮮総督府令第111号
旧行政区域 新行政区域
牙山郡県内面、二北面 霊仁面
牙山郡近南面、遠南面、三西面の一部 塩峙面
牙山郡一北面、一東面、二東面 陰峰面
牙山郡三北面、毛山面 屯浦面
牙山郡新興面、一西面、二西面、三西面の一部 仁州面
温陽郡邑内面、郡内面の一部、西面 温陽面
温陽郡南上面、南下面 松嶽面
温陽郡東上面、東下面、郡内面の一部 排芳面
温陽郡二北面、一北面 湯井面
新昌郡大西面、北面 椒井面
牙山郡徳興面
新昌郡南上面、南下面 道高面
新昌郡郡内面、大東面、小東面 鶴城面
  • 1917年10月1日(12面)
    • 鶴城面が新昌面に改称。[3]
    • 椒井面が仙掌面に改称。
  • 1941年10月1日 - 温陽面が温陽邑に昇格。[4](1邑11面)
  • 1973年7月1日 - 湯井面の一部(権谷里・毛宗里)が温陽邑に編入。(1邑11面)
  • 1983年2月15日 - 新昌面の占梁里・得山里・実玉里、排芳面の南里、湯井面の新里が温陽邑に編入。[5](1邑11面)
  • 1986年1月1日 - 温陽邑が温陽市に昇格し、牙山郡から分離。[6](11面)
  • 1987年1月1日(11面)
    • 排芳面南里が温陽市に編入。
    • 湯井面九霊里が排芳面に編入。
  • 1990年4月1日 - 塩峙面が塩峙邑に昇格。(1邑10面)
  • 1995年
    • 1月1日 - 牙山郡が温陽市と合併し、牙山市が発足。牙山郡消滅。車周英が合併後の初代市長に。[7](1邑10面)
    • 6月27日 - 市長選、李吉永が当選。
  • 1996年1月1日 - 礼山郡新岩面の一部が仙掌面に編入。(1邑10面)
  • 1998年6月4日 - 市長選、李吉永が再選。
  • 2002年6月13日 - 市長選、姜熙福が当選。
  • 2006年5月31日 - 市長選、姜熙福が再選。
  • 2009年5月1日 - 排芳面が排芳邑に昇格。(2邑9面)

  1. ^ 주민등록 인구통계 - 행정안전부”. 行政安全部. 2024年1月3日閲覧。
  2. ^ 朝鮮総督府令第111号(1913年12月29日)
  3. ^ 道令第8号(1917年9月25日
  4. ^ 朝鮮総督府令第253号 邑面及び邑面長官に関する規定(1941年9月29日)
  5. ^ 大統領令第11027号 市・郡・区・邑・面の管轄区域変更及び面設置等に関する規定(1983年1月10日)제4조
  6. ^ 法律第3798号 九里市等11個市設置及び管轄区域の調整及び錦城市名称変更に関する法律(1985年12月28日
  7. ^ 法律第4774号 京畿道南楊州市等33個都農複合形態市の設置などに関する法律(1994年8月3日






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