牙山市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 09:13 UTC 版)
歴史
- もともと牙山は百済の牙述で、景徳王が陰峯(陰岑とも)に改名し、高麗時代は仁州→牙州を経て李氏朝鮮時代に牙山となった。温陽は湯井(景徳王改名はなし)から温水、新昌は屈直を景徳王が祁梁に変えて高麗が新昌とした。李氏朝鮮時代は一時期温水と新昌を合わせて温昌となり、その後温陽・新昌となった。
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、牙山郡・温陽郡・新昌郡を牙山郡として編成。牙山郡に以下の面が成立。[2](12面)
- 霊仁面・仁州面・陰峰面・塩峙面・屯浦面・排芳面・温陽面・松嶽面・湯井面・鶴城面・椒井面・道高面
朝鮮総督府令第111号
朝鮮総督府令第111号 旧行政区域 新行政区域 牙山郡県内面、二北面 霊仁面 牙山郡近南面、遠南面、三西面の一部 塩峙面 牙山郡一北面、一東面、二東面 陰峰面 牙山郡三北面、毛山面 屯浦面 牙山郡新興面、一西面、二西面、三西面の一部 仁州面 温陽郡邑内面、郡内面の一部、西面 温陽面 温陽郡南上面、南下面 松嶽面 温陽郡東上面、東下面、郡内面の一部 排芳面 温陽郡二北面、一北面 湯井面 新昌郡大西面、北面 椒井面 牙山郡徳興面 新昌郡南上面、南下面 道高面 新昌郡郡内面、大東面、小東面 鶴城面
- 1917年10月1日(12面)
- 鶴城面が新昌面に改称。[3]
- 椒井面が仙掌面に改称。
- 1941年10月1日 - 温陽面が温陽邑に昇格。[4](1邑11面)
- 1973年7月1日 - 湯井面の一部(権谷里・毛宗里)が温陽邑に編入。(1邑11面)
- 1983年2月15日 - 新昌面の占梁里・得山里・実玉里、排芳面の南里、湯井面の新里が温陽邑に編入。[5](1邑11面)
- 1986年1月1日 - 温陽邑が温陽市に昇格し、牙山郡から分離。[6](11面)
- 1987年1月1日(11面)
- 排芳面南里が温陽市に編入。
- 湯井面九霊里が排芳面に編入。
- 1990年4月1日 - 塩峙面が塩峙邑に昇格。(1邑10面)
- 1995年
- 1996年1月1日 - 礼山郡新岩面の一部が仙掌面に編入。(1邑10面)
- 1998年6月4日 - 市長選、李吉永が再選。
- 2002年6月13日 - 市長選、姜熙福が当選。
- 2006年5月31日 - 市長選、姜熙福が再選。
- 2009年5月1日 - 排芳面が排芳邑に昇格。(2邑9面)
固有名詞の分類
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