焼玉エンジン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/26 21:02 UTC 版)
産業遺産としての保存
小型ガソリンエンジンや高速ディーゼルエンジンに置き換えられた後の焼玉エンジンは、鋼材・鋳鉄の塊であって、ほとんどがスクラップにされた。
だが、ごく一部は本来の動力としての役割を終えてからも、産業遺産としての価値や、エンジンそのものの趣味性を認められ、主として欧米で民間の愛好家によって、稼働可能な状態での保存対象となっており、定置状態や農業用トラクターに搭載された状態で稼働させる運転イベントも開かれている。
日本でも同様な主旨で、1990年代以降、各地の地場零細メーカーによって盛んに製造された小型の石油発動機を可動状態にレストアし、旧車イベントに持ち込んだり、発動機単独の運転イベントを開く趣味者が現れるようになっており、それら類似用途のエンジンイベントに、再生された焼玉エンジンが持ちこまれて運転される事例も見られる[要出典]。
ディーゼリング
ガソリンエンジンのシリンダーヘッドやシリンダーブロックが過熱した状態となり、焼玉エンジンが焼玉の熱で強制点火するのと同じ点火メカニズムで、点火プラグによる火花点火なしに、高温になった燃焼室内壁との接触部分で混合気が強制点火され、エンジンの回転が停止しなくなる状態を「ランオン」や「ディーゼリング」と言う。燃焼室内の混合気の温度は決してディーゼルエンジンほど高熱になってはいない。混合気の温度は発火点以下であり「ディーゼリング」という言葉と裏腹にその点火メカニズムは自己着火ではない。
脚注
関連項目
外部リンク
- ^ 一部文献にこれを「水の熱分解による水素と酸素に発生により、それが燃焼した」という記述が散見されるが、この当時の焼玉機関程度の温度(400℃前後)では水の熱分解(少なくとも700℃以上が必須)は発生しないため誤りである。
- ^ 重油はもちろん、例えば日本ではJIS1号灯油(主に暖房・灯具用)制定前の石油系軽質燃油には多量の硫黄が含まれていた。後年ディーゼルエンジンの排ガス浄化の妨げにもなっており、動力用の石油系脱硫燃油が主流となるのは時代も大きく下って21世紀を待たなければならない。
- ^ 藤田護『小型船エンジン読本、三訂版』成山堂書店、1998年、157頁。ISBN 4-403-61051-X。
- ^ 大半の車両は歯車駆動。
- ^ 文献によっては80輌以上とするものもあるが、早期に運用停止した事業者から他社に譲渡された車両を重複計算している可能性があり、正確な数値は判然としない。
- ^ 申請に対する認可という形で各軌道ごとに施行された。
- ^ 最大在籍輌数は20輌。廃線前の1939年(昭和14年)4月に偶然同地を訪れた牧野俊介が撮影した写真と記述(『昔々の軽便のアルバム 自転車に抜かれたコッペルたち』プレス・アイゼンバーン、1980年、pp94-99)によれば、当時少なくともNos.2・7・10・12・18の5両が現役として存在し、車庫には10両分以上の石油発動車用部品が蓄積されていたという。なお、1934年(昭和9年)の段階で羽犬塚 - 黒木間の路線長は17.2 km、自動車では所要50分のところを石油発動車は1時間20分かけて運行していた。
- ^ “中岩瀬SLを走らせる会(NSL)”. 2014年9月20日閲覧。
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