無理数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/06 23:04 UTC 版)
歴史
無理数の発見は古代ギリシア文明にまで遡る。一説では、無理数の発見者は古代ギリシャの大数学者、ピタゴラスの弟子であったヒッパソスという人物であった。ヒッパソスは正方形の研究をしているうち、その辺と対角線の長さの比は整数でも分数でも表せない未知の数、すなわち無理数であることを発見したという。
彼の師匠のピタゴラスは、宇宙の万物は数から成り立つこと、そして宇宙を構成する数は、調和した比を保っていると信じていた。ピタゴラスと教団は教義の反証である無理数が存在する事実に動揺し、不都合な事実を隠すため、発見者のヒッパソスを縛りあげ、船から海に突き落として殺害したという伝承が残っている。
しかし、プラトンが現れると、彼の著書『テアイテトス』の中で平方数でない数の平方根が有理数でないことを論じ、さらに同じ論法が立方根にも適用できると述べている。これらの数学的な蓄積を受けて、エウクレイデスは『原論』の中で統一した形で実数論を展開している。
円周が円の直径の3倍より少し大きいことは古来知られていた。古代インドやギリシアの数学者たちの間では半径 r の円の面積が円周率 π を使って πr2 であることも知られ、アルキメデスは半径 r の球の体積が 4/3πr3 であることや、この球の表面積が 4πr2 (その球の大円の面積の4倍)であることを示していた。円周率 π が無理数であることはすでにアリストテレスによって予想されていたが、実際に証明されたのはそれよりはるかに後の時代のことである(ヨハン・ハインリヒ・ランベルト)。
自然対数の底であるネイピア数 e は、1618年にジョン・ネイピアが発表した対数の研究の付録の表にその端緒があるが、定性的に研究したのはレオンハルト・オイラーである。
1872年にリヒャルト・デデキントは『連続性と無理数』を出版し、デデキント切断を用いて無理数を定義した。
リーマンゼータ関数の特殊値 ζ(3) は、アペリーによって1979年に無理数であることが証明された(アペリーの定数)。π + eπ は、ネステレンコによって無理数であることが証明された。
- ^ 堀場芳数『無理数の不思議』講談社、1993年 ISBN 978-4061329782
- ^ 吉田武『オイラーの贈物 人類の至宝eiπ=-1を学ぶ』東海大学出版会、2010年 ISBN 978-4486018636
- ^ 吉田武『虚数の情緒 中学生からの全方位独学法』東海大学出版会、2000年 ISBN 978-4486014850
- ^ Niven 2005, p. 21.
- ^ ピーター・フランクル『ピーターフランクルの中学生でも分かる大学生にも解けない数学問題集1』日本評論社、2001年、10頁。ISBN 4-535-78262-8。
- ^ Irrationality Measure
無理数と同じ種類の言葉
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