無文銀銭 その他

無文銀銭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 08:47 UTC 版)

その他

  • 『日本書紀』顕宗天皇2年10月6日486年11月17日)条に「稲斛銀銭一文」とあり、この時代の銀銭の使用を示すものであるとする見解もある。7世紀以前については、『魏志』東夷伝・弁辰の条に、「韓・濊(わい)・倭、皆従ってこれ(鉄)を取る。諸市(物品を)買うに皆鉄を用い、中国の銭を用いるが如し」と記述され、鉄が銭貨の代わりとして流通していた記述があり、考古学的にも古墳時代からは鉄鋌(てつてい、鉄板)が1147枚出土しており、その中でも1057枚が畿内に集中しており[22]、これらの記述と出土遺物から、『紀』の5世紀末の記事にみられる銀銭とは鉄鋌のことであると考古学者の白石太一郎は主張している。熊谷公男も、鉄鋌には、重さに一定の規格が認められ、貨幣に代わる機能を果たしていた可能性があるとしている[23]。5世紀の伽耶において鉄鋌が貨幣として用いられたという根拠の一つとして、紐で結わえて持ち運びやすいようにされている点が挙げられる[24]
  • 7世紀当時に発見された銀山は対馬銀(『日本書紀』)であり、戦国期以降に流通した石見銀ではない(「対馬銀山」の項目を参照)。

正史の記述

以下に正史である『日本書紀』および『続日本紀』から、無文銀銭に関連が深いと推定されている記事を抜粋する。銭銘のない無文ゆえ「銀銭」や「銀」の記述が無文銀銭を指しているか否かは諸説ある。

『日本書紀』顕宗天皇2年(486年)の条は、中国の古典『後漢書』の顕宗明帝紀の永平2年(59年)に「稲斛銀銭一文」部分が「粟斛三十」になっているなど置換は見られるものの殆ど同文の記録が見られ、借文に過ぎないともされる[11][13][注釈 3]

顕宗天皇二年

冬十月戊午朔癸亥(10月6日)

宴群臣。是時天下安平。民無徭役。歳比登稔。百姓殷富。稲斛銀銭一文。牛馬被野。

天武天皇三年

三月庚戌朔丙辰(3月7日)

対馬国司守忍海造大国言、銀始出于当国、即貢上。由是、大国授小錦下位。凡銀有倭国、初出于此時。故、悉奉諸神祗、亦周賜小錦以上大夫等。

天武天皇十二年

夏四月戊午朔壬申(4月15日)

詔曰。自今以後。必用銅銭。莫用銀銭。

乙亥(4月18日)

詔曰。用銀莫止。

和銅二年

正月壬午(1月25日)

詔。国家為政。兼済居先。去虚就実。其理然矣。向者頒銀銭。以代前銀[注釈 4]。又銅銭並行。比姦盗逐利。私作濫鋳。紛乱公銭。自今以後。私鋳銀銭者。其身没官。財入告人。行濫逐利者。加杖二百。加役当徒。知情不告者。各与同罪。

『後漢書』永平二年の条。

冬十月。司隷校尉王康下獄死。是歳天下安平。人無徭役。歳比登稔。百姓殷富。粟斛三十。牛羊被野。

脚注


注釈

  1. ^ 35.7 グラムで銀一両に近く[17]、直径 39.1 ミリメートルの唯一特大のものであり、6.7 グラムのものは銀の小片2枚の剥離跡あり。
  2. ^ 江戸時代の 1匁は3.73 グラムに相当する。を参照。
  3. ^ 『日本書紀』は養老4年(720年)成立で編纂も7世紀末の天武期から始まったと考えられ、顕宗天皇2年から約200年経過している。
  4. ^ 『明暦本』(1657)では「前錢」であったが『国史大系本』(1935)では「前銀」に校正された。

出典

  1. ^ a b 「貨幣ガイド 奈良」『日本の貨幣コレクション』アシェット・コレクションズ・ジャパン、2019年、8頁。 
  2. ^ 今村(2001), p135-136
  3. ^ a b c 「貨幣の歴史ミュージアム 飛鳥以前」『日本の貨幣コレクション』アシェット・コレクションズ・ジャパン、2019年、3頁。 
  4. ^ 当時の度量衡で6銖に相当(1両=24銖)
  5. ^ 今村(2001), p89-101
  6. ^ a b 田中史生『越境の古代史』KADOKAWA〈角川ソフィア文庫〉、2017年5月25日、139-142頁。ISBN 978-4-04-400262-6 
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 貨幣商組合, 1998, p1
  8. ^ 今村(2001), p51
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 松村(2009), p1, p18-23
  10. ^ 皇朝銭研究会, 2019, p12
  11. ^ a b c 西村(1933), p120-124
  12. ^ 谷口眠斎『古今金銀錢譄』
  13. ^ a b c d e 青山(1983), p10-11
  14. ^ 青山礼志 編『貨幣手帳 1973年版』頌文社、1972年9月1日、6頁。 
  15. ^ 内田銀蔵, 1921『日本経済史の研究』同文館
  16. ^ 黒田幹一, 1942,「無文銀銭に就いて」『上古無文銀銭研究』東洋貨幣協会
  17. ^ 今村(2001), p86, p114
  18. ^ 滝沢(1996), p7
  19. ^ 今村(2001), p69-70
  20. ^ 今村(2001), p73-74, p114-116
  21. ^ 今村(2001), p73-74, p114-116, p198-205
  22. ^ 鈴木靖民 編『倭国と東アジア』吉川弘文館〈日本の時代史2〉、2002年7月1日、113頁。ISBN 9784642008020 
  23. ^ 熊谷公男『大王から天皇へ』講談社〈日本の歴史03〉、2008年12月10日、29-30頁。ISBN 978-4-06-291903-6 
  24. ^ 伊錫暁 訳 兼川晋『伽耶国と倭地 韓半島南部の国家と倭地進出』新泉社、新装版2000年(1版1993年)、112-113頁。


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