浅倉大介 略歴

浅倉大介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 18:16 UTC 版)

略歴

1985年よりヤマハのシンセサイザー・ミュージックコンピュータの部門でシステム開発等に従事する傍ら、ゲームミュージックを制作。

小室哲哉から「ほぼ打ち込みのサウンドをライブで再現したい」というオファーが来た際にヤマハの意向で当時のMIDIサンプラーデジタルシンセサイザーの事情を熟知して、音楽理論にも精通していた浅倉が出向したことから、小室との付き合いが始まる。

TM NETWORKのサポートメンバーとして1987年の「Kiss Japan TM NETWORK Tour '87〜'88」からマニピュレーターとして2人で音色の打ち込み・ライブアレンジを施し、小室の描いたセッティング表を基にライブ用の機材の同期システムの構築を担当して、ヤマハ・EOSシリーズの開発にも小室と共に関わった。

1990年から「TM NETWORK RHYTHM RED TMN TOUR」にてサポートキーボーディストを務め、ステージに立ちながら、ライブでの照明とバックバンドの配置・パフォーマンス等の演出等のエンターテイメントの仕組みを実地で学んでいった[1][2]。2人で共同で作業する際は理数系・コンピューターの問題・最終的な形の仕上げは浅倉に任せ、小室は話や言葉を思い描き、世界観・歌詞を作っていく役割を分担し、その関係性は出会った時から変わっていない[3]

1991年11月、アルバム『LANDING TIMEMACHINE』でソロデビュー。1992年7月、貴水博之とのユニットaccessを結成。同年11月にシングル『Virgin Emotion』でデビューし、1995年1月の活動休止までに15枚のシングル、3枚のアルバムをリリース。『DRASTIC MERMAID』『MOONSHINE DANCE』『MISTY HEARTBREAK』など数々のヒット曲を手掛けた。オリコン年間ランキング作曲家別セールスでは1993年にトップ60[注 1]1994年にトップ20入り[注 2][注 3]を記録している。

1995年3月、92年以来3年ぶりにソロ活動を再開。同年7月、3rdアルバム『ELECTROMANCER』をリリース。また、1996年には黒田倫弘伊藤賢一とのユニットIcemanを結成。同年7月にシングル『DARK HALF〜TOUCH YOUR DARKNESS』でデビューし、2000年3月の活動休止までに6枚のシングル、5枚のアルバムをリリースした。1998年から2004年にかけては、伊藤賢一とのユニットMad Soldiersとしても活動。コタニキンヤを共同プロデュースした。

1995年から2004年にかけては、T.M.Revolution藤井隆Fayray木村由姫pool bit boysLAZY KNACK雛形あきこなど多くのアーティストをプロデュース。『WHITE BREATH』『HIGH PRESSURE』『HOT LIMIT』(いずれもT.M.Revolution)など数々のヒット曲を手掛けた。オリコン年間ランキング作曲家別セールスでは1995年にトップ50[注 4][注 5]、1996年にトップ60[注 6]1997年1998年にトップ10[注 7][注 8]1999年にトップ20[注 9]、2000年、2002年にトップ30[注 10][注 11]、2004年にトップ40入り[注 12]を記録している。

2001年1月、96年以来5年ぶりにソロ活動を再開。2002年9月、コンプリートBOX『21st Fortune』をリリース。2004年3月から2005年3月にかけては、アルバム「Quantum Mechanics Rainbow」シリーズを7枚連続リリース。2008年6月から2020年10月までに、配信限定シングル「DA METAVERSE」シリーズを38曲リリース。また、DJとして2003年から2020年にかけてクラブミックスアルバム「Sequence Virus」シリーズを9枚リリースしている。

2002年1月、95年以来7年ぶりにaccessとしての活動を再開。以降、2017年12月現在までに17枚のシングル、5枚のアルバムをリリースしている。2003年から2007年にかけては宇都宮隆木根尚登葛城哲哉阿部薫によるTM NETWORKトリビュートライブに小室哲哉の代役として参加している。

また、2010年2月には土屋公平吉田建屋敷豪太とのバンドSugar & The Honey Tonesとしてアルバム『SO SWEET!』をリリース。2018年1月には小室哲哉とのユニットPANDORAとしてシングル『Be The One』を、同年2月にはミニアルバム『Blueprint』をリリースしている。

近年はaccessおよびソロでの活動を中心に、コタニキンヤ.のスーパーバイズ、外部への楽曲提供など精力的な活動を続けている。オリコン年間ランキング作曲家別セールスでは2005年にトップ60入り[注 13]を記録。2018年9月現在までに作曲を手掛けたシングルは155作。うちオリコン週間ランキングにて1位を獲得したのは4作、5位以内にランクインしたのは38作、10位以内にランクインしたのは52作。シングルの総売上枚数は約1280万枚である。


注釈

  1. ^ 1993年はAXS名義で51位、シングルの総売上枚数は48.4万枚(『オリコン年鑑 1994年版』)
  2. ^ 1994年はAXS名義で16位、シングルの総売上枚数は140.7万枚(『オリコン年鑑 1995年版』)
  3. ^ 1994年はAXS・朝霧遥名義で87位、シングルの総売上枚数は27.4万枚(『オリコン年鑑 1995年版』)
  4. ^ 1995年は42位、シングルの総売上枚数は55.3万枚(『オリコン年鑑 1996年版』)
  5. ^ 1995年はAXS・朝霧遥名義で75位、シングルの総売上枚数は30.0万枚(『オリコン年鑑 1996年版』)
  6. ^ 1996年は53位、シングルの総売上枚数は38.1万枚(『オリコン年鑑 1997年版』)
  7. ^ 1997年は7位、シングルの総売上枚数は229.8万枚(『オリコン年鑑 1998年版』)
  8. ^ 1998年は7位、シングルの総売上枚数は273.1万枚(『オリコン年鑑 1999年版』)
  9. ^ 1999年は15位、シングルの総売上枚数は110.0万枚(『オリコン年鑑 2000年版』)
  10. ^ 2000年は25位、シングルの総売上枚数は93.2万枚(『オリコン年鑑 2001年版』)
  11. ^ 2002年は25位、シングルの総売上枚数は38.0万枚(『オリコン年鑑 2003年版』)
  12. ^ 2004年は34位、シングルの総売上枚数は27.3万枚(『オリコン年鑑 2005年版』)
  13. ^ 2005年は52位、シングルの総売上枚数は21.2万枚(『オリコン年鑑 2006年版』)

出典

  1. ^ リットーミュージック刊『サウンド&レコーディング・マガジン』2017年6月号より。
  2. ^ シンコーミュージック・エンタテイメント刊『B-PASS ALL AREA』Vol.6「浅倉大介 PANDORA Be The One」pp.58-73より。
  3. ^ リットーミュージック刊「キーボード・マガジン」2017年10月号pp.6-10より。
  4. ^ a b 浅倉大介のディープなディズニー&鉄道知識にマツコも感心!ネットでは「親近感マックス!」の声”. plus.tver.jp. 2022年11月9日閲覧。
  5. ^ 中間淳太、風間俊介、浅倉大介ら、『ヒルナンデス!』でディズニーロケ”. マイナビニュース (2022年10月26日). 2022年11月9日閲覧。
  6. ^ Inc, Natasha. “「GIRLS' FACTORY」番組化!MCはまゆゆ&浅倉大介”. 音楽ナタリー. 2024年1月29日閲覧。
  7. ^ https://twitter.com/disneystudioj_a/status/1735464830524666340?s=46&t=bJ1We55x36EVSbvgUhBkfA”. 2024年1月25日閲覧。






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