文系と理系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/05 03:13 UTC 版)
概要
伝統的に、文系とは主に人間の活動を研究の対象とする学問(主に人文科学と社会科学に分類される)の系統とされ、理系とは主に自然界を研究の対象とする学問(およそ自然科学に分類される)の系統とされてきた。しかし現在では、研究対象よりもむしろ課題解決のために用いる手法で分類されることが多い。たとえば金融工学や社会工学は、研究対象こそ「人間の活動」であるが、研究対象をほとんど同じくする経済学や社会学とは異なり一般には理系とみなされる[注 1]。
個別の学問分野がいずれに属するのかについては、文系的と捉えられることが多い学問、理系的と捉えられることが多い学問を参照のこと。なお、橋爪大三郎は学問分野を理系と文系で区別する概念がある国は日本だけと主張している[10][要ページ番号]。
文系と理系とを特徴づける性質
1981年に細胞生物学者の太田次郎が「どうも、文科と理科というのは、(中略)旧制高校時代にはそれなりにはっきりしていたが、しだいにその区別がぼやけてきたような感じがする」と述べている[11]。
数理科学の応用度
一般に、理系の学問は数学との親和性が高いため、「理数系」と呼ばれる場合もあるが、理系であっても、全分野で一様に高度な数学を用いるとは限らない。工学博士の森博嗣は、解剖学者の養老孟司と対談した際、「総じていえば、実験科学に高度な数学は不要でした」と述べ[12]、たとえば自身の専門であるコンクリートの研究においては「研究の六割方は実験」「微積分も不要」「文系の人でもできる作業」などと発言した[12]。しかしその後
「どうしてその強度が発現するのか」が研究者の視点であって、そうなると数学が必要になります。 — 森博嗣による発言[注 2]、『文系の壁―理系の対話で人間社会をとらえ直す』(養老孟司、PHP新書、2015)24頁
とも述べ、実験科学においても突き詰めて研究していけば数学が必要になることも認めている。
また、後に述べるように、文系分野における数学・物理学の活用は皆無ではない。それら例外については文系的と捉えられることが多い学問を参照のこと。
業績評価の違い
太田次郎は、研究業績の評価について、文理間では大きな違いがあると指摘している。いわく、
理工系では、ふつう論文第一主義である。オリジナルな研究論文を、いつ、何編、発表したかが問題であって、その他の業績は付随的にしか扱われない。たとえば、その専門分野で一般に認められている著書を書いたにしても、あまり評価されないことが少なくない。啓蒙書や専門向きのテキストなどは、業績としてはノー・カウントにされることが多い。先端の研究をまとめた総説にしても、論文ほどには認められない。 — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)15頁
とのことであり、少なくとも理工系においては「一次情報第一主義」がとられているという。また、理系の多くの分野は、研究に際して高額な実験器具や測定器具があったほうが有利であり[13]、そのための研究費は論文数にほぼ比例して支給されるので、研究費を求める理系の研究者はとにかくたくさんの論文を量産しなければならない[14]。 一方、文系においては事情はかなり異なる。太田によれば、
この点は、文科系とはたいへん違うように思われる。大学の同僚に聞いてみると、文科系では、著書は論文より大きな評価を受けるのがふつうの由である。(中略)研究の集大成的な著書の方が価値が高いと考えられるようである。 — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)15頁、中略は引用者
とのことであり、論文をこまめに発表することは「悪いとは言われない」[15]が、基本的に業績評価の中心は総説であって、むしろ論文のほうが業績評価においてマイナーな扱いを受けることさえあるという。
論文様式の違い
1973年にノーベル医学・生理学賞を受賞したコンラート・ローレンツ(動物行動学者)の論文について、太田は「きわめて文科的な表現の仕方」[16]と評している。なぜなら、
彼の著書や論文には、図や表がほとんどなく、気の短い人には耐えがたいと思えるほど、淡々と観察結果とそれに基づく自分の考えが記されている。 — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)18頁
からだという。当時生物学の最先端であった分子生物学の専門家からは、観察結果のみを図や表を用いて簡潔にまとめ、考察も極力排したような論文が好まれる傾向にあり、[16]また理系の他の分野についても
理工系の論文の大部分は、単なるデータの報告に過ぎず、それから著者の考え方や人間像を推測するのは、とうてい無理であり、また初めからこんなことは問題となっていないということができよう。 — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)19頁
などといわれるように、ほとんど考察の無い図表のみの論文が多い。このように、論文の様式も文理では大きく違うものである。
研究適齢期
理系の研究者の場合、一般に若い頃の方が画期的な成果を出しやすい。数学者の広中平祐が「数学は、若いうちにやらないと駄目である」[17]と発言したように、数学や理論物理学の分野では、二十代がピークとされ、三十代半ばを過ぎると新たな成果は稀になる。顕著な業績をあげた学者というのは、三十歳くらいですでに傑出していることが多い。[17]
数学や理論物理学ほどではないものの、実験科学の分野でも、アイデアは若いときに出て、その後はそれを実証したり、さらに幅を広げるという人生を送ってきた研究者が多い。[18]
一方、文系の学問の場合は必ずしもそうではないという。太田次郎によれば、
基本的な文献や資料を調べて、研究を進め、さらに集大成して、初めて一つの業績となる分野もあるように思われる。また、長期間の学習を重ねて、ものを見る眼がしだいに養成される分野もあるであろう。 — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)80頁
とのことで、「どうも、理科系と文科系では、一般に勝負の速さに違いがあるように感じている」[18]という。
歴史と現状
歴史
学問を文系と理系に分けることの起源がおそらく日本にあるということは、多くの論者が指摘しているところである。太田次郎は、文系と理系の区別について、「おそらくその起源は、旧制高校の制度にあると思われる」と述べた。[19]山梨大学講師(当時)で理学博士の藤井康男によれば、「おそらくわが国だけの分け方ではないかと思う」[20]とのことである。また藤井は、「外国の事情をよく調べたことはないのだが、」[21]とことわったうえで、「外人と話してみてわかることは、彼らは文科とか理科とかをあまり口にしないということである」[21]とも述べている。
どうも外国では、この文科、理科というものの区別が日本ほどはっきりしていないような気がする。少なくともそういった名前の分け方はないようである。 — 藤井康男、『文科的理科の時代 新・学問のすすめ』(福武書店、1982)12頁
日本においては、第2次・高等学校令(大正7年勅令第389号)の第8条に「高等学校高等科を分ちて文科及理科とす」(原文は平仮名部分がカタカナ)という規定があった。明治中期から第二次世界大戦降伏前は、旧制高等学校は、旧制大学で教育を受けるための準備教育を行う場としての位置づけが大きかった。高等学校の高等科においては、学修する外国語(英語およびドイツ語が大半)によって、「文科甲類」「文科乙類」「理科甲類」「理科乙類」などに分け、「文科」「理科」のどちらで学んだのか、学んだ外国語は何であったかによって、旧制大学で学ぶ専攻分野を大きく左右した[20]。
東京工業大学教授で社会学が専門の橋爪大三郎によれば、学問を文系と理系とに区別することの本来の動機は、予算がかかる学問の学生数を制限することだという。
そもそもこんな区別があるのは、発展途上国の特徴である。黒板とノートがあればすむ文系にくらべ、理系は実験設備に金がかかるので、明治時代の日本は、学生数をしぼらざるをえなかった。そこで数学の試験をし、文系/理系をふり分けることにした。入試問題が別々なので、その前の段階で文系/理系を選択しなければならない。 — 橋爪大三郎、『橋爪大三郎の社会学講義2』(夏目書房、1997)63頁
近代の日本において、大学教育に対する準備教育の課程を「文科」と「理科」に区分したことは、現代における文系と理系の区分に事実上引き継がれている。現代において文系を文科系と、理系を理科系と呼ぶのは、旧制高等学校の区分けの名残である。「系」の語が付与されているのは、「文科」「理科」という学科組織に基づく分類によっていないからである(なお、現代においても「高等学校」および「中等教育学校の後期課程」に「理数科」という学科があり、この場合、「理数科」を卒業した場合は、「理数科卒業」となる。ただし、大学進学に際し文系の学部・学科・課程への入学制限は、一切ない)。
現状
専門教育の準備段階において
ひとりの人間の発達史において、文系・理系の区分が初めて明確に意識されるようになるのは、一般には大学受験に備える高校の高学年からである。[19]しかしながら、大学受験という一回のチャンスに人生が大きく影響されるという考えが根強い日本では、幼いころから「この子は算数や理科が得意だから理系」「この子は社会や国語を好むから文系」などと言われるようである。[19](後述)
旧制高校の廃止に伴い「文科」「理科」のあからさまな区分を廃した現代の日本の大学では、入学試験を学部単位、学科単位あるいは専攻単位といった細かい区分のもと行うことが多く、それぞれ入試科目や試験制度をきめ細やかに設定することも多い。とはいえ、文系学問を専攻する学部・学科どうし、理系学問を専攻する学部・学科どうしでそれぞれ比較すると、多少の差異はあれども入試科目のパターンはそれぞれ似通っていることが多い。国公立大学の個別試験や私立大学の入学試験では、文系ならば英語、国語の2教科を必須とした上で数学、地理歴史(大学によっては公民も選択可能)のいずれか1科目から選択させることが一般的であり、理系ならば英語、数学の2教科を必須とした上で理科のうちいずれか1科目または2科目を選択させることが一般的である。国公立大学の入学試験にはこのほかに大学入試センター試験の受験が必須とされるが、ここでも文系は地理歴史と公民を合わせて2科目受験することが要求される一方理系は1科目で許されたり、同様に理科に関しても文系は理系よりも科目数ないしは試験範囲を少なくして良いなど、入試科目構成が文理それぞれで定型化してしまっている現状がある。
このような事情もあって、「高等学校」および「中等教育学校の後期課程」などにおいて、大学進学を希望する生徒が授業を履修する際には、大学の入学者選抜に対応するために、生徒の希望学部・学科・専攻の入試科目に応じて、生徒の履修科目が文系型または理系型になるように、教員や保護者が指導することが慣習化[注 3][注 4]し、学習塾もこれを受けた事業を展開している。
太田次郎によれば、文系と理系に分かれるさい、最大の要因となるのは数学の得手・不得手である。[22]「理系」分野へ進学を希望する場合、入学試験科目の一つに数学が課せられることが多い反面、「文系」では数学が選択できないか、選択できても必須でない大学が圧倒的に多く、また数学を必須とする大学でも文系の場合には配点が低めに設定されている。このことから「数学が出来ないから理系をやめて文系を目指そう」と考える者が少なくない[23]。一方、理系の大学入試で国語が独立科目として必須とされる例は東京大学、京都大学などほんのわずかしかなく、選択できるのもごくごく一部の私立大学のみにとどまっている。数学と地理歴史の選択制をとっている入試が多い文系に比べると、理系の入試は科目選択の幅が小さく、見方を変えればそれは苦手科目を抱えてしまった際の逃げ道が少ないということにもなる。
理系の入試においてほぼ必ず数学が課せられている現状に対しては、太田次郎による次のような批判がある。
演算が不得意であっても、空間感覚がすぐれていたり、言語に対する感覚がすぐれている人は少なくない。そんな人が、入試でふるい分けられて、理科系へ進めないのは、残念なことである。 — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)99頁
京都大学経済学部のように、入学試験を文系受験生用と理系受験生用に分け、それぞれ異なる科目構成で行う大学・学部も存在する[24]。
専門教育において
旧制高等学校は、戦後になって新制大学教養部として大学に組み込まれた。多くの大学で教養部が廃止された現在においても、その名残から文系と理系のどちらかに大学教育の内容を分ける習慣がある。多くの大学では、1・2年次の教養科目の選択パターンが文系学部同士・理系学部同士でそれぞれ酷似していたり、必修授業の一部を文系学部全体・理系学部全体の合同で行ったりする。また法科大学院には理系学部出身者を優先的に入学させる「理系枠」なるものがあるなど、専門課程を過ぎても「文系」「理系」の括りは何かにつけて付いて回る。
しかしながら西欧圏では、学問分野は基本的に自然科学・人文科学・社会科学の3つに大別される。文系と理系は、日本の歴史的な事情によって形成された便宜的な分類である。実際に事物を深く学修・研究しようとすると、文系と理系という二者択一の区分法に、限界が見て取られることは多い。太田次郎は
どうも、文科系と理科系という分け方は、あまりに粗雑であるし、その分け方にもとづいて、高校や大学で教育が行われるというのは、現代的でないように思われる。もっとカリキュラムを多様化して、様々な選択ができるようにした方が、現在の学問により適合するであろう。 — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)99頁
と指摘している。
学位(修士号・博士号)取得状況とその扱い
日本では理系のほうが文系に比べて修士・博士課程に進学する割合や意識が高く[25]、博士号取得者の8割が理系である。これは卒業後の就職・採用事情と大きく関係しており、理科系大学生は大学院修了者も含めての技術職や研究職の募集に関しても往々にしてあり、研究室の教員の紹介などのルートもあるのに対して、文科系には大学院修了見込者用求人や研究職の募集自体が極端に少なく、文科系卒業生が一般的に就職する就職先の職場では経理や営業現場でのOJTを重視する傾向にあるためと見られる。文系とされる博士号取得者は欧米には多数存在する一方で、日本では付与条件や取得状況が極端に厳しく、これが海外留学生の受け入れにおいてしばしば問題とされる[26]。
専門化と学際化
旧制高校には全寮制のところが多く、しかも文系と理系の学生がひとまとまりに同居する形であった[27][28]ため、文系・理系の学生たちは最低限の知識を共有することができ[28]、互いの交流を通して「全人的な影響」[29]を受け、「文科と理科のカオスなかに若い燃えたぎる生命が打ち込まれ、陶冶され、そして磨かれてい」[30]った。ところが、旧制高校は「エリート教育だから」という理由で戦後の学制改革により廃止され[28]、学生運動対策として学生寮もどんどん壊された[28]結果として、現在の大学が輩出する人材は戦前に比べて文系・理系のどちらかへとより偏り、後述のごとき「会社人間」が蔓延することにつながっている[28]。
また専門化と同時に隣接分野の融合(学際化)も起こっており、言うなれば「○○系寄りの□□系」、「□□系寄りの○○系」といった分野も存在するため、これが同一学問系内における更なる乖離を生み出している。
学際化が文系と理系にまたがると
(ぶんりゆうごう)と呼ぶ。また、そのような分野が文系・理系の両方にわたることを強調して学際系と呼称することもある。なお、工学的知見と文系諸学問の知見の双方が扱われる分野を「 (ぶんこうゆうごう)」と呼ぶ者もいるが、あまり普及した言葉とは言えない。社会とのかかわり
文系・理系の区別は、社会生活にも大きな影響を与えている。橋爪大三郎によれば、大学が社会へ送り出す人材が文系と理系とに専門化されることにより、個の力が弱まり、大組織中心の社会が形成されるという。
会社に就職してから、理系の人間は研究所や現場で新製品の開発にたずさわり、文系の人間は営業・経理・人事・総務・労務など、製品の販売や会社の管理にたずさわる。手分けをして会社を支えましょうという、予定調和なのだ。知識が偏っているから、独立しようにも一人では何もできない。会社を飛び出してベンチャービジネスを起こそうというタイプの人間は、だからほとんどいなくなる。文系/理系の区別は、卒業生の知識を偏らせ、会社に依存させるための仕組みなのである。 — 橋爪大三郎、『橋爪大三郎の社会学講義2』(夏目書房、1997)64頁
技術系の最高資格である技術士一次試験での共通科目受験免除の条件の一つとして理科系の学部学科卒が挙げられている。またNASAの宇宙飛行士に応募するためには理系出身でなくてはならない。
過去には太平洋戦争末期に行われた学徒出陣において、理科系学生には技術要員として徴兵猶予が継続された一方、文科系学生は士官候補生として動員された。
注釈
- ^ 例えば技術士経営工学部門の科目に金融工学がある。
- ^ 引用文中の「その強度」とは、実験によって得られたコンクリート強度のことを指している。
- ^ 進学校でなくても、普通科高校では生徒を文系・理系に分け、課目選択の型を決めてしまっていることが多い。
- ^ 大学付属高校でも、内部進学の際に理系学部、文系学部がそれぞれ付属高校での生徒の文系理系選択をもって、該当学部への進学条件としている場合もある。
- ^ ただし、日本の考古学研究者には数学・理科の素養が乏しい者が多く、理系研究者からは「単に外部委託した分析結果を理解もせずに利用しているだけ」という批判も多い。
- ^ 理系大学入試で地学を使える大学・学部は限られているため、ほとんどの受験生は地学以外の科目で受験する。また多くの大学では物理学・化学は必修である一方、地球科学に関しては授業自体が開講していないか、開講していても選択履修とされているところが多い。それゆえ、地球科学を履修しないと卒業できないという大学・学科は少ない。
出典
- ^ a b c “Economics Bachelor's Degree (B.S.) Online - Penn State World Campus” (英語). www.worldcampus.psu.edu. 2023年1月24日閲覧。
- ^ a b “Bachelor of Arts in Economics” (英語). McMaster Faculty of Social Sciences. 2023年1月24日閲覧。
- ^ “「文理分けは日本だけ」は本当か? 隠岐さや香・名古屋大教授に聞く”. 朝日新聞EduA. 2022年2月13日閲覧。
- ^ “リベラルアーツってなに? Art and Scienceの学びとは”. 留学ボイス. 2022年5月3日閲覧。
- ^ “STEM教育とは、科学技術の発展を支える理系人材を育てる4つの分野”. 工学の今とこれから (2018年7月3日). 2022年5月3日閲覧。
- ^ Bachelor of Science. コトバンクより。
- ^ “留学用語集【Bachelor Degree】”. 留学くらべーる. 2022年5月3日閲覧。
- ^ “BA、BSc、BBAの学位の違いとは?”. 名古屋商科大学. 2022年5月3日閲覧。
- ^ “理工農系大学院の目的とそれに沿った教育研究の在り方について-国際的な水準における理工農系大学院の確立を目指して-[理工農系ワーキング・グループ報告書]”. 文部科学省. 2023年1月12日閲覧。
- ^ 『社会学講義〈2〉新しい社会のために 橋爪大三郎978-4931391246
- ^ 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎、講談社現代新書、1981)196頁、中略は引用者
- ^ a b 『文系の壁―理系の対話で人間社会をとらえ直す』(養老孟司、PHP新書、2015)24頁。フックやファラデーが正規の数学教育を受けずに物理学者として顕著な業績をあげたという話題から転じて。
- ^ 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎、講談社現代新書、1981)140頁
- ^ 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎、講談社現代新書、1981)16頁
- ^ 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎、講談社現代新書、1981)15頁
- ^ a b 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎、講談社現代新書、1981)18頁
- ^ a b 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎、講談社現代新書、1981)79頁
- ^ a b 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎、講談社現代新書、1981)80頁
- ^ a b c 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎著・講談社現代新書)8ページ
- ^ a b 『文科的理科の時代』(藤井康男著・福武書店、1982)11頁
- ^ a b 『文科的理科の時代 新・学問のすすめ』(藤井康男、福武書店、1982)12頁
- ^ 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎、講談社現代新書、1981)96頁
- ^ 『文系?理系?―人生を豊かにするヒント』(志村史夫、ちくまプリマ―新書、2009)52頁
- ^ 京都大学一般入試学生募集要項 - 2017年11月6日閲覧。リンク先PDFファイルを参照のこと
- ^ 東大博士が語る理系という生き方
- ^ 第96回参議院文教委員会 宮之原貞光
- ^ 『文科的理科の時代』(藤井康男著・福武書店、1982)32頁
- ^ a b c d e 『橋爪大三郎の社会学講義2』(橋爪大三郎、夏目書房、1997)64頁
- ^ 『文科的理科の時代』(藤井康男著・福武書店、1982)34頁
- ^ 『文科的理科の時代』(藤井康男著・福武書店、1982)35頁
- ^ 大谷・松繁・梅崎「卒業生の所得とキャリアに関する学部間比較」
- ^ 「理系出身者と文系出身者の年収比較」経済産業研究所2011.3[1]
- ^ J-CAST会社ウォッチ「やっぱり「理系」の方が「文系」より高給だった」2011.3.21[2]
- ^ 『旧制専門学校』天野郁夫著 日経新書 p154
- ^ 『サラリマン物語』(昭和3年)前田一著 東洋経済出版部
- ^ 帝国大学年鑑 (帝大新聞社)
- ^ 「文系理系の生涯賃金格差は5000万円」~さらば工学部
- ^ 理系は損か? 文系は損か? 学部別での年収格差を分析
- ^ 「文系より理系が高収入で出世する 慶大などの約3500人分析で判明」(産経ニュース 2010/12/09)
- ^ 「理系は文系より年収が100万円高い」 京大など調査 (朝日新聞 2010/8/24)
- ^ 理系出身者と文系出身者の年収比較-JHPSデータに基づく分析結果-(経済産業研究所)
- ^ 物理が得意な理系、高所得 平均681万円、科目間でも格差 経済産業研究所(産経ニュース 2011/10/21)
- ^ 「週刊東洋経済」(2011.3.19号)
- ^ 学歴・文理別年収ランキング
- ^ 寺田好秀(2018)「文系出身者と理系出身者間の所得格差の推移-格差拡大の検証と要因分解-」『クオリティ・エデュケーション』Vol.9,pp.23-38.
- ^ 『歴史学事典 11 宗教と学問』p382,弘文堂
- ^ “経済学部って文系?理系?”. 東進ハイスクール 巣鴨校 (2020年8月18日). 2022年5月3日閲覧。
- ^ a b c d “理工農系「250学部の新設・転換」目指し支援、文科省が10年計画(読売新聞オンライン)”. Yahoo!ニュース. 2023年1月11日閲覧。
- ^ “共通テスト「理科基礎」はどれを選ぶ? 各科目の特徴とおすすめ組み合わせ4パターン” (英語). 旺文社 StudiCo スタディコ. 2022年5月3日閲覧。
- ^ a b “【理科選択】理科選択どれを選べばいいの?地学選択がオススメ! - 予備校なら武田塾 福岡校”. 武田塾. 2022年5月3日閲覧。
固有名詞の分類
- 文系と理系のページへのリンク