悲しき天使 悲しき天使の概要

悲しき天使

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/08 20:08 UTC 版)

悲しき天使
メリー・ホプキンシングル
B面 ターン・ターン・ターン
リリース
ジャンル ポップス
時間
レーベル アップル・レコード
東芝EMI
作詞・作曲 ジーン・ラスキン
プロデュース ポール・マッカートニー
ゴールドディスク
ゴールドディスク
チャート最高順位
  • 1位(イギリス)
  • 1位(オリコン
  • 2位(アメリカ)
メリー・ホプキン シングル 年表
悲しき天使
(1968年)
グッドバイ
(1969年)
ミュージックビデオ
「Those Were the Days」 - YouTube
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ロシア語原曲

原曲は、コンスタンチン・ポドレフスキーロシア語版英語版(Константин Николаевич Подревский、1889年1930年)の詩に、ボリス・フォミーンロシア語版英語版(Борис Иванович Фомин、1900年1948年)がクレズマーないしはジプシー音楽の様式で曲づけした歌「Дорогой длинною」(「長い道を」)である。1910-1920年ごろの作品とされる。歌詞の内容は、昔の思い出を懐かしみ感傷に浸っている様子を描いたものである。

初期のころの録音としては、タマーラ・ツェレテリロシア語版英語版(Тамара Семёновна Церетели、1900年1968年)の版(1925年)やアレクサンドル・ヴェルチンスキーロシア語版英語版(Александр Николаевич Вертинский、1889年1957年)の版(1926年)が知られる。

またヴェルチンスキーは1920年1943年、ソ連国外を転々とし、世界各地でこの歌を含む数々の望郷の名曲を歌い続けるが、そのことも亡命ロシア人たちがこの歌を記憶にとどめ続けるのに一役も二役も買った。1930年代にはコロムビア・レコード(欧州)、ワルシャワシレナ・レコードロシア語版英語版などでの録音盤もある[1]

ソ連国内では、1929年にレニングラードで開催された全ロシア音楽会議で、ロシア・ロマンスロシア語版英語版(18世紀以降ロシアで盛んに作られた都会的歌謡)は「反革命的」とされ、フォミーンの作品も含め演奏が禁止された[2]。またフォミーン自身も1937年から1年間モスクワで投獄されている[2]。特に『長い道を(後の「悲しき天使」)』が政府に嫌われた理由を、山之内重美は、ジプシー音楽風のリフレインや「7弦ギターロシア語版英語版」というジプシーを連想させる言葉が、1930年代の政府の方針に合わなかったため、と述べている[3]大祖国戦争後もフォミーンは忘れ去られたまま、失意と不遇のうちに結核[4]1948年に世を去った。その後もこの歌は長らく発禁扱いだったが、愛好者の間や地方のレストランなどでは秘かに歌い継がれていたと見られ、そのためロシア語歌詞にも幾つかのヴァリアントがある[5]。そして外国に亡命したロシア人たちも各地で望郷の歌としてこの曲を歌い継ぎ、それが1960年代後半、後述の英語版「悲しき天使」の西側での大ヒットを生む。これが逆輸入されたことにより、ソ連国内でもこの歌はリバイバルされ、ソ連人アーチストのレコードも一気に出た[5]

英語版

「悲しき天使」は、しばしば、イギリスで活躍したアメリカ合衆国出身の歌手、ジーン・ラスキンの作詞作曲と紹介されている。これは「Дорогой длинною」がソビエト連邦からの亡命者によって欧米に広められるうち、いつしか作者不詳の「ロシア民謡」と呼ばれるようになり、その後1962年にラスキンが英語版を編曲し自作として発表したために、ラスキンの作品と呼ばれるようになったためとされる。

1968年ポール・マッカートニーが、当時18歳のフォーク歌手メリー・ホプキンをプロデュースして「悲しき天使」のシングルを発表。国際的にヒットし、その後さらにスペイン語版、ドイツ語版、ヴィッキー・レアンドロスによるフランス語版(「Le Temps des fleurs」、ただし、邦題は「悲しき天使」のまま)もリリースされた。なお、シングル盤の「悲しき天使」は、アップル・レコードから発売された最初のレコードであり、B面にはピート・シーガーのカバー「ターン・ターン・ターン」が収録されている。また、この曲はホプキンのアルバム『ポスト・カード』(1969年)のアメリカ盤LPや再発CDにも収録された。

原題「Those were the days」は、「あの頃はよかった・あの頃がなつかしい」という意味であり、歌詞は、壮年期の人間が青春時代を思い返してロマンティックに美化している場面を描いている。また邦題の「悲しき天使」については、日本で発売された当時、外国の楽曲に邦題を付ける際の常套手段として、「悲しき…」や「恋の…」といった言葉を冠していたことによるものであり、英語歌詞の内容とは特に関係はない。

2005年にはドリー・パートンがメリー・ホプキンとともにこの曲をカバーし、同名のアルバム『Those Were the Days』に収録した。


  1. ^ 長い道を(ロシア語版)
  2. ^ a b ボリス・フォミーンロシア語版
  3. ^ 山之内『黒い瞳から百万本のバラまで ロシア愛唱歌集』(東洋書店、2002年8月第2刷)、p.15。
  4. ^ ボリス・フォミーン英語版。尚、英語版には「彼の友人たちはペニシリンを手に入れようとしたが」とあるが、当時結核の特効薬とされ、且つ特権階級しか入手できなかったものはストマイである(ペニシリンは肺炎の治療薬)。要検証。Wiki英語版が間違っている可能性も高い。
  5. ^ a b 『NHK ロシア語入門 1974年11月号』(日本放送出版協会。当時のラジオ講座用テキスト)の「今月の歌」(p.2-3)解説より(文・ウサミナオキ)。尚、CD「つかれた太陽 岸本力・ロシア民謡集」(キング・インターナショナル、KDC-2、2001年)のライナーノーツにもこの過程の概説があるが(文・伊東一郎)、伊東は英語版のヒット年を「1962年」と書いている。


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