忍城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 01:22 UTC 版)
構造
湿地帯を利用した平城であった。元々沼地だったところに島が点在する地形だったが、沼を埋め立てず、独立した島を曲輪として、橋を渡す形で城を築いた。当初は櫓を立てずに本丸は空き地とし、二の丸に屋敷を作ってそこを住まいとしていた。そのため、攻めにくく守りやすい城であったとされる。
当時の沼の名残は、水城公園に見て取れる。
考古資料
遺構
現存する建造物としては、北谷門が加須市の總願寺に、どこの門か定かではないが高麗門形式の城門が郷土博物館の駐車場脇に、それぞれ移築され現存している[11]。また、藩校進修館の門が郷土博物館の南側に移築現存する。なお、往時の城を伝えるものとして本丸土塁が残っている。
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本丸土塁跡
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總願寺に移築された北谷門
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高麗門形式の城門
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藩校進修館の門
忍城時代祭り
毎年11月の第二日曜日に、「行田商工祭・忍城時代祭り」が行われる。主会場は、行田市役所と行田市産業文化会館である。市役所前の通りから忍城にかけて武者行列(午前に1回)、忍城の堀にて火縄銃演武(午前と午後に1回ずつ)などが行われる。
また2008年(平成20年)からは、近年のB級グルメの発展によりB級グルメ大会が行われるようになった。行田のフライやゼリーフライのほかに、全国各地のご当地グルメが出店する。
現地情報
所在地
- 埼玉県行田市本丸17-23
交通アクセス
- 公共交通:各地より路線バス「忍城」停留所(朝日バス )または「忍城址・郷土博物館前」停留所(行田市内循環バス)。なお、この2停留所は同一箇所にある。
- 自家用車:埼玉県道128号熊谷羽生線沿い。
忍城が舞台となった作品
小説
- ^ a b c d e “忍城址”. 行田市教育委員会 (2015年11月2日). 2016年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月17日閲覧。
- ^ a b c d “忍城に関する歴史”. 行田市 (2014年5月26日). 2016年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月17日閲覧。
- ^ 埼玉県 編『新編埼玉県史 通史編 2 中世』埼玉県、1988年、943頁。
- ^ 戦国合戦史研究会編『戦国合戦大事典第2巻 栃木県 群馬県 埼玉県 千葉県 東京都 神奈川県 山梨県』新人物往来社、1989年、142頁。ISBN 4-404-01642-5。
- ^ 平井聖『日本城郭大系 5 埼玉・東京』新人物往来社、1979年、174頁。ISBN 4-404-00976-3。
- ^ 日本遺産ポータルサイト(文化庁)
- ^ 埼玉県 編『新編埼玉県史 通史編 2 中世』埼玉県、1988年、716頁。
- ^ “石田堤”. 行田市教育委員会 (2011年10月31日). 2012年4月20日閲覧。
- ^ a b c d “忍城に関する歴史”. 行田市 (2011年5月11日). 2012年4月20日閲覧。
- ^ 市報ぎょうだ平成14年(2002年)12月号16ページ ぎょうだ歴史系譜(105) 行田の戦後史(5) 忍公園から本丸球場へ (PDF)
- ^ a b “内堀埋めて「本丸球場」-マイタウン埼玉”. 朝日新聞社 (2011年1月29日). 2011年7月14日閲覧。
- ^ 「浜松城や忍城など選定 = 「続100名城」-日本城郭協会」時事通信、2017年4月6日
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