嵯峨天皇
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后妃・皇子女
- 皇后:橘嘉智子(檀林皇后)(786年 - 850年) - 橘清友女
- 妃:高津内親王(? - 841年) - 桓武天皇皇女
- 妃:多治比高子(788年 - 826年) - 多治比氏守女
- 夫人:藤原緒夏(? - 855年) - 藤原内麻呂女
- 女御:百済王慶命(? - 849年) - 百済王教俊女
- 女御:百済王貴命(? - 851年) - 百済王俊哲女
- 基良親王(? - 831年)
- 忠良親王(819年 - 876年)
- 基子内親王(? - 831年)
- 女御:大原浄子(? - 841年) - 大原家継女
- 更衣:飯高宅刀自 - 飯高岳足女
- 更衣:秋篠高子(または康子・京子) - 秋篠安人女?
- 源清(? - ?)
- 更衣:山田近子
- 源啓(829年 - 869年) - 源常の養子
- 源密姫
- 宮人:交野女王 - 山口王女
- 宮人:高階河子 - 高階浄階女
- 宗子内親王(? - 854年)
- 宮人:広井氏 - 広井弟名女
- 源信(810年 - 868年)
- 宮人:布勢武蔵子
- 源貞姫(810年 - 880年)
- 源端姫(? - 876年)
- 宮人:上毛野氏
- 源弘(812年 - 863年)
- 宮人:安倍氏 - 安倍楊津女
- 源寛(813年 - 876年)
- 宮人:笠継子 - 笠縫[20]または笠仲守[21]女
- 源生(821年 - 872年)
- 宮人:粟田氏
- 源安(822年 - 853年)
- 宮人:大原全子 - 大原真室女
- 宮人:紀氏
- 源更姫
- 宮人:内蔵影子 - 内蔵高守女?
- 源神姫
- 源容姫
- 源吾姫
- 宮人:甘南備氏
- 源声姫
- 宮人:文室文子 - 文室久賀麻呂女
- 純子内親王(? - 863年)
- 斉子内親王(? - 853年) - 葛井親王室
- 淳王
- 宮人:田中氏
- 源澄(? - ?)
- 宮人:惟良氏
- 源勝(? - 886年)
- 宮人:大中臣岑子 - のち藤原有統の妾
- 宮人:橘春子
- 宮人:長岡氏 - 長岡岡成女
- 女嬬:当麻氏 - 当麻治田麻呂女
- 掌侍:菅原閑子
- 生母不明
- 源継
- 源年姫(? - 874年)
- 源良姫(? - 884年)
弘仁元年(810年)11月23日に橘嘉智子・多治比高子・藤原緒夏とともに叙位を受けている、広長女王、藤野女王、継子女王、藤原松子、坂上御井子(坂上田村麻呂の娘か)、藤原葛子、橘安万子(橘清友の娘)、三善弟姉、三国真主も嵯峨天皇の后妃と考えられる[22]。
注釈
出典
- ^ 『続紀』
- ^ 井上辰雄『嵯峨天皇と文人官僚』(塙書房、2011年), p. 11
- ^ 『六国史』
- ^ a b c d e 『日本紀略』
- ^ 井上辰雄『嵯峨天皇と文人官僚』(塙書房、2011年), p. 12
- ^ a b c d e f g h 目崎徳衛「政治史上の嵯峨上皇」『貴族社会と古典』(吉川弘文館、1995年), pp. 2-22
- ^ 西本昌弘「桓武改葬と神野親王廃太子計画」『平安前期の政変と皇位継承』(吉川弘文館、2022年), pp. 145-156:初出:『続日本紀研究』359号(2005年)
- ^ 春名宏昭『平城天皇』(吉川弘文館、2009年), pp. 65-113
- ^ a b c d 『日本後紀』
- ^ 井上辰雄『嵯峨天皇と文人官僚』(塙書房、2011年), pp. 25-26
- ^ 井上辰雄『嵯峨天皇と文人官僚』(塙書房、2011年), pp. 27-29
- ^ 川勝政太郎「平安宮十二門に関する問題」『史跡と美術』162
- ^ 『新撰姓氏録』
- ^ 井上辰雄『嵯峨天皇と文人官僚』(塙書房、2011年), pp. 39, 305-306
- ^ 井上光貞「古代の皇太子」『日本古代国家の研究』
- ^ 井上辰雄『嵯峨天皇と文人官僚』(塙書房、2011年), p. 54
- ^ 『続日本後紀』
- ^ 『続日本紀略』
- ^ 井上辰雄『嵯峨天皇と文人官僚』(塙書房、2011年), pp. 54-55
- ^ 『尊卑分脈』
- ^ 『諸系譜』第一冊,笠朝臣(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会,1986年による)
- ^ 瀧浪[2017: 90]
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