多治比高子とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 多治比高子の意味・解説 

多治比高子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/25 18:13 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

多治比 高子(たじひ の たかこ、延暦7年(788年) - 天長3年3月2日826年4月12日))は、平安時代嵯峨天皇。官位は贈従一位

生涯

大同元年(806年)に肥前介に任じられた従五位下多治比氏守の娘[1]で、神野親王(後の嵯峨天皇)に寵愛され、嵯峨天皇即位後の大同4年(809年)に橘嘉智子(のちに皇后)とともに夫人となった[2]弘仁元年(810年)には従三位に叙せられている[3]

弘仁6年(815年)にはとなる[4]。妃は内親王のみに許されていた后妃身分で、高子は臣下から妃になった珍しい例である。天長3年(826年)薨去。死後従一位を追贈された。嵯峨天皇との間に子女はいなかった。

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 一代要記
  2. ^ 日本後紀』大同4年(809年)六月丁亥条
  3. ^ 『日本後紀』弘仁元年(810年)十一月己未条 
  4. ^ 『日本後紀』弘仁6年(815年)七月壬午条

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「多治比高子」の関連用語

多治比高子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



多治比高子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの多治比高子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS