多治比邑刀自とは? わかりやすく解説

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多治比邑刀自

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/05 08:54 UTC 版)

多治比 邑刀自(たじひ の おおとじ、生没年不詳)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての女官真人位階従四位下。名は大刀自とも表記される。

生涯

その活躍は桓武朝に限られ、延暦8年(789年)1月、藤原数子紀若子とともに無位から従五位下に叙位され[1]、更に延暦10年(791年)12月に、同じく紀若子とともに従四位下に昇叙された[2]平安遷都後の延暦14年(795年)12月、度者(得度枠)7人を賜り[3]、2年後の延暦16年(797年)3月、長岡京の土地5町を与えられている。この時の位階も従四位下である[4]。以上の経歴から、天皇の信任も厚く、高級職事に就任したものと推定されるが、以降の消息は知られていない。

官歴

六国史』による

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』延暦8年正月27日条
  2. ^ 『続日本紀』延暦10年12月17日条
  3. ^ 『日本後紀』延暦14年12月4日条
  4. ^ 『日本後紀』延暦16年3月11日条

参考文献




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