藤原数子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/31 10:03 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動藤原 数子(ふじわら の かずこ、生没年不詳)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての女官。藤原南家雄友の娘で、藤原北家藤原総継の妻。光孝天皇の外祖母。姓は朝臣。位階は正五位上(贈正一位)。
生涯
桓武朝の延暦8年(789年)1月、多治比邑刀自・紀若子とともに無位から従五位下に叙せられた[1]、という記録が残されているだけで、詳しいことはよく分かっていない。
光孝天皇即位後の元慶8年(884年)8年3月、夫の従五位上の藤原総継とともに、正五位上から正一位を贈位され、同年12月にはに山城国愛宕郡八坂郷地10町を墓地とされている[2]。
官歴
『六国史』による。
脚注
参考文献
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