嵐ヨシユキ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/06 14:38 UTC 版)
出生名 |
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生誕 | 1955年4月15日 |
出身地 | 日本・神奈川県横浜市戸塚区 |
死没 |
2022年7月4日(67歳没) 日本・神奈川県川崎市 |
学歴 |
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ジャンル | ロック |
職業 | ドラマー、音楽プロデューサー、社長 |
担当楽器 | ドラム、歌 |
活動期間 | 1980年 - 2022年 |
レーベル | |
配偶者 | 田宮美羽 (2012年10月16日 - ) |
著名な家族 | 翔(弟) |
事務所 |
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共同作業者 | 横浜銀蝿 |
公式サイト | 嵐の人生留年[リンク切れ] |
身長:170cm、体重:70kg。血液型:AB型。 湘南工科大学附属高等学校卒業、関東学院大学を8年通って除籍。 所属事務所はユタカプロダクション → 嵐レコード。公認候補者として所属した自由連合では組織委員会文化局次長を務めた。
来歴
1980年代前半に登場したロックンロールバンド、横浜銀蝿のメンバーとして、ドラムを担当。本名の"タミヤヨシユキ"名義で何曲か作詞・作曲・編曲しており、中でも『ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)』が大ヒットした。
1983年12月31日横浜銀蝿解散。
2001年に行われた第19回参議院議員通常選挙に、自由連合公認で比例区から立候補したが落選している[2]。
2004年、脳梗塞で倒れ入院。小脳の半分を切除した[3]。翌年奇跡的に復活し、ステージに立つ。
2006年、横浜銀蝿25周年コンサートではドラムを叩く姿を見せている。
2013年、自身のリハビリバンド『THE CALVER』を結成。ヴォーカルを務めている。
2020年、1年間限定でJohnnyが復活し「横浜銀蝿40th」として、オリジナルメンバー4人での活動開始[5]。
2022年7月4日、肺炎のため神奈川県川崎市の病院で死去[6][7]。67歳没。
ディスコグラフィ
CDシングル
# | タイトル | 発売日 | レーベル | 規格 | 品番 | 最高位 |
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1 | 走れ!!30代! | 1993年10月21日 | Columbia | CODA-262 |
CDアルバム
# | タイトル | 発売日 | レーベル | 規格 | 品番 | 最高位 |
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1 | 生涯現役! | 2016年3月23日 | SOLID | CDSOL-1725 |
- ^ “横浜銀蝿リーダー嵐ヨシユキさん死去 67歳、肺炎 実弟でボーカル翔「兄貴、早過ぎるよ」”. 日刊スポーツ (2022年7月11日). 2022年7月11日閲覧。
- ^ “横浜銀蝿・嵐「オレが都知事になったらアイドルイベントばかりやります」 (2016年7月30日) - エキサイトニュース”. exciteニュース. 東京スポーツ (2016年7月30日). 2021年11月11日閲覧。
- ^ “脳梗塞コラム 第6回 脳梗塞の一種=小脳梗塞と梗塞後出血から生還した横浜銀蝿のリーダー、嵐ヨシユキさん”. 脳梗塞ネット. 田辺三菱製薬 (2012年4月20日). 2021年11月11日閲覧。
- ^ “「地上波にも力強さある」有吉が横浜銀蝿の嵐にタブーな質問 - お笑いナタリー”. お笑いナタリー. Natasha (2015年12月18日). 2021年11月11日閲覧。
- ^ “天才テリー伊藤対談「横浜銀蝿40th」(4)俺がバンドに影響を与えていたのか | アサ芸プラス”. アサ芸プラス. アサヒ芸能 (2020年1月5日). 2021年11月11日閲覧。
- ^ “嵐ヨシユキさん死去 ロックバンド「横浜銀蠅」リーダー”. 時事ドットコム. 時事通信 (2022年7月11日). 2022年7月11日閲覧。
- ^ 「横浜銀蝿」リーダー、嵐ヨシユキさんが肺炎で死去 67歳 実弟・翔「兄貴、早過ぎるよ」 - Sponichi Annex 2022年7月11日
固有名詞の分類
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