小田急2400形電車
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小田急2400形電車 High Economical car | |
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小田原線の各駅停車で運用される2400形HE車(1987年) | |
基本情報 | |
運用者 | 小田急電鉄 |
製造所 | 日本車輌製造・川崎車輛 |
製造年 | 1959年 - 1963年 |
製造数 | 29編成116両 |
運用開始 | 1960年1月20日 |
運用終了 | 1989年 |
主要諸元 | |
編成 | 4両固定編成 |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 |
直流1,500V (架空電車線方式) |
最高運転速度 | 100 km/h |
設計最高速度 | 110 km/h |
起動加速度 | 3.0 km/h/s |
減速度(常用) | 4.0 km/h/s |
減速度(非常) | 4.5 km/h/s |
車両定員 |
116名(先頭車)[1] 155名(中間車)[1] |
全長 |
15,970 mm(制御車)[1] 19,300 mm(電動車)[1] |
全幅 | 2,755mm[4] |
全高 |
4,014 mm(制御車)[1] 4,125 mm(電動車)[1] 4,020 mm(冷房改造後のクハ2478)[1] |
台車 |
住友金属工業 FS330(電動台車)[2] 住友金属工業 FS30(付随台車)[2] |
主電動機 | 三菱電機 MB-3039-A |
主電動機出力 | 120 kW |
駆動方式 | WN駆動方式 |
歯車比 | 92:15=6.13 |
制御方式 | 電動カム軸式抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁 |
制御装置 | 三菱電機 ABFM-168-15MDH[3] |
制動装置 | 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ (HSC-D) |
保安装置 | OM-ATS |
小田急では、編成表記の際には「新宿方先頭車両の車両番号(新宿方の車号)×両数」という表記を使用している[5]ため、本項もそれに倣い、特定の編成を表記する際には「2477×4」のように表記、特定の車両については車両番号から「デハ2400形」などのように表記する。また、特に区別の必要がない場合は2200形・2220形・2300形・2320形をまとめて「ABFM車」と表記し、本形式2400形は「HE車」、2600形は「NHE車」と表記する。本項で「急行列車」と記した場合は、準急や急行を、「湯本急行」という表記は箱根湯本へ直通する急行列車を指すものとする。
概要
近郊区間の輸送力増強のために登場した車両で[6]、経済性を重視した設計が行われたことから "High Economical car"(略して「HE」)という愛称が設定された[7]。先頭車と中間車の長さが3m以上も異なることが外観上の特徴で[8][注釈 1]、1959年から1963年までの5年間にわたって4両固定編成×29編成の合計116両が製造された[9]。
登場の経緯
小田急では1954年に初めてカルダン駆動方式や電磁直通ブレーキを採用した2200形を登場させており、途中で駆動方式の変更などが行われた2220形に移行しつつ1959年初めまでの間に34両が増備されていた[10]。ABFM車と通称されるこれらの車両は、18m級車体の3扉車で、出力75kWのモーターによる全軸駆動方式であり、2両分8個のモーターを制御器1台で制御する経済的な「1C8M制御方式(MM'ユニット制御方式)」等を採用した高性能な車両であった[10]。このような高加速車を投入し、ダイヤの密度を高めることは輸送改善に役立った。複々線化や待避線の建設など大がかりな地上設備の改善を図るよりは、安上がりな輸送改善策でもあった。しかし、これらの車両はそれまでの吊り掛け駆動方式の車両と比較すれば加減速性能に優れた車両であったが、全車電動車方式の採用は主電動機の台数も倍増することになり、新造・保守のコスト増も招いていた[10][注釈 2]。
一方、1950年代後半、小田急小田原線の沿線では宅地開発が急速に進み教育機関等の郊外移転も進行したことから、輸送需要の増加は毎年10%近くも増加するようになっていた[10]。このため、これまで以上のペースで車両数の増加を図る必要に迫られると予測された[11]が、車両の製造単価が上昇する上に、製造する両数までこれまで以上に増加することは、投資額の増加を招き、会社経営的に問題視されるようになった[12]。そこで、車両製作費を抑えるべく、全車電動車方式を見直し、電車の電動車と付随車の比率、いわゆる「MT比」[注釈 3]を1:1とした、言い換えれば電動車と付随車を同じ両数で編成を組成する、経済性を重視した新型車両を開発することになった[13]。ただし、これには「高加減速の性能を低下させてはならない」という条件がつけられることになった[13]。
この時期、全長20m級の通勤車両である1800形が運用されていたことから、新型車両についても20m級とすることが検討された[12]。しかしこの当時の小田急では、各駅停車の停車駅ホーム長は17.5m車4両編成が停車可能な70mしかなく[12]、20m車では3両編成までしか組成できないためにかえって輸送力が減少してしまうこと[12]、ホーム延伸についてはすぐに対応できる問題ではないと考えられた[12]ため、新型車両は全長70mの4両固定編成とすることになった[12]。また、ABFM車の4両編成では編成重量が132tであったところ、新型車両では4両固定編成で編成重量を105tとすることを目標として設定した[12]。
これらの課題を満たす新型通勤車として開発された車両がHE車である。
注釈
- ^ a b 客室部分の定員を各車で合わせるために、1m前後の不等長で設計された電車の例は多く、小田急に置いても台枠を流用したために電動車と付随車で車体長が異なる事例が1700形に見られるが、意図的に車体長を大幅不等長にする手法は、西日本鉄道の300形電車1次車(1939年)など限られた先例があるのみで、連接車や編成で使用することを意図しない地方私鉄を除けばあまり例がない。
- ^ このころ、国鉄の国鉄モハ90系電車も、変電所容量などの理由により、全車電動車方式の見直しを余儀なくされていた。
- ^ Mは電動車、Tは付随車のこと。
- ^ 車輪とレールの間の滑り摩擦係数。
- ^ ただし、2320形は通勤用にも使用されていたが、登場時の用途は準特急用車両であった。
- ^ なお、クハ2478号車は冷房改造された後は通年ガラス窓であった。
- ^ 実際に使用された事はなかった(『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.40)。
- ^ 1959年時点では、競合する直角カルダン駆動方式や中空軸平行カルダン駆動方式の主電動機は、狭軌用で最大110kW、標準軌用でも三菱の125kW級が最大級であり、小田急と三菱電機の取り組みは最先端の水準であった。1950年代のカルダン駆動方式向けの主電動機出力向上は、機械的なスペース効率の追求に終始した傾向があった。その後1960年代に入ってからカルダン駆動方式向けの主電動機の出力は飛躍的に向上し、標準軌のWNでは新幹線や近畿日本鉄道の180kW級、狭軌のWN駆動方式や中空軸式で150kW級も出現したが、これは継手の小形化と許容変位角の増大による電動機の大形化、より効率よく空間を利用できる8角形枠の採用や遠心力に対する構造の強化、ベアリングの改良などといった構造面での進化、冷却効率の向上、それに熱耐性と絶縁性能の双方に優れたエポキシ樹脂をはじめとする絶縁材の飛躍的な性能向上でF種・H種絶縁が実用化されるなど、総合的な技術改良によって負荷余裕のある大出力の主電動機を作れるようになったためである。
- ^ ただし、雨天時などでは微少の空転でもカムが進段してしまうため、直流電動機の特性に依る空転の抑制が効かず、大空転が頻発し、それに伴う過電流故障も多くなる傾向もある。HE車での空転検知回路もこれらの問題への対処であった。
- ^ この後もバーニヤ制御器は、東武・近鉄(本形式と同じ1959年の1600系から採用)・南海(以上全て日立VMC)など一部の大手私鉄や帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄、三菱ABFM)さらには国鉄(103系910・1000・1200番台)で1960年代に使用されたが、1970年代以降は半導体技術利用の次世代制御器であるチョッパ制御器に主流の地位を譲った。小田急においても採用例は本形式と5000形のみであった。
- ^ 小田急電鉄発行のHE車パンフレットの2ページに空転再粘着機構の概要が、17ページの主回路図に空転検知用のブリッジ回路が掲載されている。また、表紙は主制御器の無接点制御装置をデザイン化したもので、その中に空転検知回路も掲載されている。
- ^ 後年NHE車で採用された再粘着装置とは異なる機構である。
- ^ 重量も電動車が5,150kg、制御車が3,890kgと大きく異なっていた。
- ^ 新松田と小田原の間(『鉄道ピクトリアル』通巻513号 p.85)。
- ^ このときに投入されたのは1059×4・1060×4・1061×4で(『鉄道ピクトリアル』通巻513号 p.85)、2009年3月から登山色に塗られて新松田以西の限定運用になった編成である(『鉄道ピクトリアル』通巻829号 pp.254-255)。
- ^ 冷房改造後のクハ2478のみMG搭載(『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.179)。
- ^ 冷房改造後のクハ2478のみ24.47t(『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.178)。
出典
- ^ a b c d e f g h 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.178
- ^ a b c d e f 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.147
- ^ a b c 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.153
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.134
- ^ 『鉄道ダイヤ情報』通巻145号 p.15
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.40
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』 pp.66-67
- ^ a b c d e 『小田急 車両と駅の60年』 p.64
- ^ 『日本の私鉄5 小田急』(1981年版) p.61
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.131
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 pp.131-132
- ^ a b c d e f g h i j 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.132
- ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル』通巻513号 p.68
- ^ a b c d e f g h i j k 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.135
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.109
- ^ 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.144
- ^ a b c d e f 『鉄道ピクトリアル』通巻513号 p.69
- ^ a b 『小田急物語』 p.61
- ^ 『私鉄の車両2 小田急電鉄』pp.76-77
- ^ a b 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.77
- ^ 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.76
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』p.67
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.137
- ^ a b c d 『電気鉄道ハンドブック』(1962年版) pp.82-83
- ^ a b c 『鉄道とテクノロジー』通巻12号 p.103
- ^ a b c 『鉄道とテクノロジー』通巻12号 p.104
- ^ a b c d 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.179
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.53
- ^ a b c d e f g h 『鉄道とテクノロジー』通巻12号 p.105
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.138
- ^ a b 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.155
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.95
- ^ a b c 『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』p.73
- ^ a b c 『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』p.80
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.20
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.17
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.16
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 pp.16-17
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『鉄道ピクトリアル』通巻513号 p.70
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.174
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』p.132
- ^ a b c d 『小田急 車両と駅の60年』 p.65
- ^ a b c d e 『鉄道ダイヤ情報』通巻145号 p.55
- ^ 『私鉄の車両17 京王帝都電鉄』p.57
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.136
- ^ 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.79
- ^ a b c d e 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.80
- ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル』通巻513号 p.84
- ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル』通巻513号 p.85
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.148
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.151
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.153
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻513号 p.78
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.173
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.197
- ^ 『私鉄の車両2 小田急電鉄』pp.178-179
- 1 小田急2400形電車とは
- 2 小田急2400形電車の概要
- 3 車両概説
- 4 沿革
- 5 編成表
- 6 脚注
固有名詞の分類
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