小田急2400形電車 沿革

小田急2400形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/31 05:12 UTC 版)

沿革

登場当初

1959年12月18日に最初の編成となる2451×4が入線[33]、1960年1月20日から運用を開始した[33]。同年4月のダイヤ改正までに3編成が増備された[33]。さらに同年9月までに4編成が増備され[34]、この年の10月1日に行われたダイヤ改正では、HE車を朝ラッシュ時の各駅停車に集中的に運用し、急行列車と各駅停車の所要時間差の縮小が図られた[35]。1961年には5編成が[34]、1962年には6編成が入線している[17]

しかし、理論的にはABFM車と同等の性能を確保ということになっていたが、実際には加速時の空転や減速時の滑走に悩まされた[36]。特に雨の降り始めなどの時にはどう操作しても滑走を防ぎきれず[37]、一度ホームの途中で停車してから停車位置まで移動したことさえあったという[38]。また、これによって制御車の車輪偏磨耗(タイヤフラット)が多発してしまったという[36]。一方、制動時に床下の抵抗器から発する熱は駅で停車後も発散されるため[30]、特に夏場には乗降中に熱気が床下から舞い上がり「HE車はヒーター車の略か」とさえ言われたこともあったという[30]

この間の1961年1月17日和泉多摩川駅 - 登戸駅間の踏切で、新宿発向ヶ丘遊園行きの下り各駅停車で走行中の2459×4が、踏切の警報を無視して進入したダンプカーと衝突[39]、先頭のクハ2460は多摩川橋梁から転落して横転、2両目のデハ2410は宙吊りとなり、3両目のデハ2409も脱線した[40]。クハ2460とデハ2410は当時の日本車輌製造蕨工場にて復旧された[39]。多摩川橋梁上に残った2両はキハ5000形によって経堂工場に収容された[41]。これがHE車の歴史上では唯一の大事故である[39]。一方、同年には、3000形SE車で採用されたKD17形シュリーレン台車をHE車の制御車に転用する案があった[14]ため、クハ2474を使用して走行試験が行われた[14]。特に問題となる点はなかった[14]が、実現には至っていない[14]

1962年12月3日のダイヤ改正からはHE車とABFM車を連結することによって、各駅停車の6両編成化が行われた[35]。その後、1963年には10編成が増備されたことによって、HE車は29編成116両となり、小田急では初めて1形式で100両を超えた形式となった[42]。なお、増備途上で電動車・付随車とも50両を超えたため[34]、デハ2449・クハ2499の次はデハ2400・クハ2450となり[42]、その後の車両ではデハ2501・クハ2551から附番されている[42]

急行列車中心の運用へ移行

しかし、その後も輸送人員の増加傾向は止まらず、増発の余地がない中で郊外からの輸送力を確保するには、近郊区間の各駅停車の単位輸送力増強、言い換えれば各駅停車1列車あたりの定員を多くして本数の減少を補うしか方法がなくなった[23]。このため、1964年からは近郊区間の各駅停車には車体を大型化したNHE車の投入が開始され[30]、HE車は次第に急行列車を中心とする運用に変更されていった[6]。しかし、箱根登山鉄道線には大型車両が入線できなかったため[39]、その後長期にわたり湯本急行の主力車両として運用されることになった[39]

なお、1965年前後の数年間、特急需要のピーク時や検査入場時などに特急車両が不足する事態となり[43]、これを補うために「サービス特急」と呼ばれる特急料金不要の特急列車が設定され[43]、一部の特急「えのしま」にHE車が運用された[43]。この列車は座席定員制で[43]、HE車のうち車内に号車番号札と座席番号表示を装備した車両が運用された[43]

冷房搭載試験

試験的に冷房化改造されたクハ2478
冷房改造後のクハ2478車内

1960年代後半になると、京王帝都電鉄(当時)では1968年から同社の初代5000系において、関東地方では初めて冷房装置を装備した通勤車両が登場する[44]など、通勤車両の冷房化が検討されるようになった[39]。小田急においても、通勤車両の冷房化に着手することになったが、特急車両において既に3100形NSE車で冷房装置の採用実績があったものの保守に問題を生じていた[45]上、定員の2倍以上の乗客が乗っている状態ではどの程度の冷房能力が必要かという懸念があった[45]。そこで、HE車の1両に冷房を搭載し、実用試験を行なうことになった[45]

試験車両に選定されたのは2477×4の編成で小田原方先頭車となるクハ2478で、8,500kcal/hの能力を有するCU-12型分散式冷房装置を屋根上に5台搭載し[39]、冷房用の電源として60kVAの容量を有するCLG-326E形電動発電機を搭載した[27]。これが小田急の通勤車両では初の冷房車[46]で、1968年8月から試験が開始された。車内は冷房装置が突き出すような配置で、他の車両と比較して車内がやや暗い印象となった[45]

1970年夏まで試験が行なわれ、この試験の結果をもとに5000形量産冷房車が登場した[47]。しかし、HE車の冷房化は行われなかったため、中型車の冷房車はこの1両だけに終わっている[39]

急行列車運用から撤退

1968年から1969年にかけて、OM-ATSの設置[47]が行われたほか、1969年には正面の連結器が密着自動連結器から密着連結器に交換され[39]、同時期には列車種別表示装置(種別幕)の設置が行われた[39]

なお、1972年、2551×4のクハ2551に台枠下部覆い(スカート)を試験的に取付けた[47]が、中型車は不採用となり、1977年に撤去された[47]

1979年からは車体修繕工事が開始され、1982年までに4編成を除いて完了した[47]

この時期になると、急行列車について10両編成での運行や車両大型化が進められ、HE車の急行運用は減少しており[48]、1979年3月からは多摩線の各駅停車にも運用されるようになった[49]が、前述のとおり箱根登山鉄道線への直通する湯本急行については、大型車が乗り入れできなかったためにHE車が主力として運用されていた[39]。しかしながら、急行列車が大型車による10両編成で運行される状況下、中型車の4両編成では輸送力不足となっていた[50]。これを解決するため、1982年7月12日から湯本急行に使用される車両の大型化が開始され[50]、HE車は湯本急行の運用から撤退した[48]

その後も江ノ島線の急行列車へは運用されていたが、1985年4月には日中の急行列車の運用から外された[48]。なお、1982年からはABFM車の淘汰が開始されており、その過程で同年11月からABFM車とHE車を連結した運用が復活している[49]

淘汰

廃車が始まったころの2400形
1985年5月 海老名付近にて

1985年からは8000形1000形の新造にともないHE車の淘汰が開始されることになり、捻出されたHE車の主電動機を当時吊り掛け駆動方式の非冷房車であった4000形に流用することになった[42]。2557×4の編成が同年4月1日付で廃車となった[39]のを皮切りに淘汰が開始され、試作冷房車の編成であった2477×4の編成も同年11月30日付で廃車された[48]。その後、冷房化と高性能化が行われた4000形と入れ替わるようにHE車の廃車が進められた[51]。朝ラッシュ時に残されていた急行列車の運用も1987年3月のダイヤ改正で撤退[48]、同年9月から翌1988年3月にかけては多摩線の運用からも撤退した[49]。最後に残されていた小田原線末端区間[注釈 14]の各駅停車での定期運用も、1988年11月18日に1000形[注釈 15]に置き換えられ撤退した[49]

最後に残ったのは2483×4の編成で、1989年1月20日以降は予備車として残され[52]、時折江ノ島線の大型4両編成運用に入ることもあった[49]が、同年3月のダイヤ改正を前に運用を終了[53]、同年3月20日付で廃車となり[17]、HE車は全廃となった。

車両自体の中小私鉄等への譲渡は生じず、廃車後は全車両が解体された[39]三岐鉄道にFS30形・FS330形台車が譲渡された[54]ほか、神奈川県藤沢市辻堂海浜公園にFS30形台車が保存されている[55]


注釈

  1. ^ a b 客室部分の定員を各車で合わせるために、1m前後の不等長で設計された電車の例は多く、小田急に置いても台枠を流用したために電動車と付随車で車体長が異なる事例が1700形に見られるが、意図的に車体長を大幅不等長にする手法は、西日本鉄道300形電車1次車(1939年)など限られた先例があるのみで、連接車や編成で使用することを意図しない地方私鉄を除けばあまり例がない。
  2. ^ このころ、国鉄の国鉄モハ90系電車も、変電所容量などの理由により、全車電動車方式の見直しを余儀なくされていた。
  3. ^ Mは電動車、Tは付随車のこと。
  4. ^ 車輪とレールの間の滑り摩擦係数。
  5. ^ ただし、2320形は通勤用にも使用されていたが、登場時の用途は準特急用車両であった。
  6. ^ なお、クハ2478号車は冷房改造された後は通年ガラス窓であった。
  7. ^ 実際に使用された事はなかった(『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.40)。
  8. ^ 1959年時点では、競合する直角カルダン駆動方式や中空軸平行カルダン駆動方式の主電動機は、狭軌用で最大110kW、標準軌用でも三菱の125kW級が最大級であり、小田急と三菱電機の取り組みは最先端の水準であった。1950年代のカルダン駆動方式向けの主電動機出力向上は、機械的なスペース効率の追求に終始した傾向があった。その後1960年代に入ってからカルダン駆動方式向けの主電動機の出力は飛躍的に向上し、標準軌のWNでは新幹線近畿日本鉄道の180kW級、狭軌のWN駆動方式や中空軸式で150kW級も出現したが、これは継手の小形化と許容変位角の増大による電動機の大形化、より効率よく空間を利用できる8角形枠の採用や遠心力に対する構造の強化、ベアリングの改良などといった構造面での進化、冷却効率の向上、それに熱耐性と絶縁性能の双方に優れたエポキシ樹脂をはじめとする絶縁材の飛躍的な性能向上でF種・H種絶縁が実用化されるなど、総合的な技術改良によって負荷余裕のある大出力の主電動機を作れるようになったためである。
  9. ^ ただし、雨天時などでは微少の空転でもカムが進段してしまうため、直流電動機の特性に依る空転の抑制が効かず、大空転が頻発し、それに伴う過電流故障も多くなる傾向もある。HE車での空転検知回路もこれらの問題への対処であった。
  10. ^ この後もバーニヤ制御器は、東武・近鉄(本形式と同じ1959年の1600系から採用)・南海(以上全て日立VMC)など一部の大手私鉄や帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄、三菱ABFM)さらには国鉄(103系910・1000・1200番台)で1960年代に使用されたが、1970年代以降は半導体技術利用の次世代制御器であるチョッパ制御器に主流の地位を譲った。小田急においても採用例は本形式と5000形のみであった。
  11. ^ 小田急電鉄発行のHE車パンフレットの2ページに空転再粘着機構の概要が、17ページの主回路図に空転検知用のブリッジ回路が掲載されている。また、表紙は主制御器の無接点制御装置をデザイン化したもので、その中に空転検知回路も掲載されている。
  12. ^ 後年NHE車で採用された再粘着装置とは異なる機構である。
  13. ^ 重量も電動車が5,150kg、制御車が3,890kgと大きく異なっていた。
  14. ^ 新松田小田原の間(『鉄道ピクトリアル』通巻513号 p.85)。
  15. ^ このときに投入されたのは1059×4・1060×4・1061×4で(『鉄道ピクトリアル』通巻513号 p.85)、2009年3月から登山色に塗られて新松田以西の限定運用になった編成である(『鉄道ピクトリアル』通巻829号 pp.254-255)。
  16. ^ 冷房改造後のクハ2478のみMG搭載(『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.179)。
  17. ^ 冷房改造後のクハ2478のみ24.47t(『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.178)。

出典

  1. ^ a b c d e f g h 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.178
  2. ^ a b c d e f 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.147
  3. ^ a b c 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.153
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.134
  5. ^ 『鉄道ダイヤ情報』通巻145号 p.15
  6. ^ a b 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.40
  7. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』 pp.66-67
  8. ^ a b c d e 『小田急 車両と駅の60年』 p.64
  9. ^ 『日本の私鉄5 小田急』(1981年版) p.61
  10. ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.131
  11. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 pp.131-132
  12. ^ a b c d e f g h i j 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.132
  13. ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル』通巻513号 p.68
  14. ^ a b c d e f g h i j k 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.135
  15. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.109
  16. ^ 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.144
  17. ^ a b c d e f 『鉄道ピクトリアル』通巻513号 p.69
  18. ^ a b 『小田急物語』 p.61
  19. ^ 『私鉄の車両2 小田急電鉄』pp.76-77
  20. ^ a b 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.77
  21. ^ 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.76
  22. ^ a b 『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』p.67
  23. ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.137
  24. ^ a b c d 『電気鉄道ハンドブック』(1962年版) pp.82-83
  25. ^ a b c 『鉄道とテクノロジー』通巻12号 p.103
  26. ^ a b c 『鉄道とテクノロジー』通巻12号 p.104
  27. ^ a b c d 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.179
  28. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.53
  29. ^ a b c d e f g h 『鉄道とテクノロジー』通巻12号 p.105
  30. ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.138
  31. ^ a b 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.155
  32. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.95
  33. ^ a b c 『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』p.73
  34. ^ a b c 『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』p.80
  35. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.20
  36. ^ a b 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.17
  37. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.16
  38. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 pp.16-17
  39. ^ a b c d e f g h i j k l m 『鉄道ピクトリアル』通巻513号 p.70
  40. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.174
  41. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』p.132
  42. ^ a b c d 『小田急 車両と駅の60年』 p.65
  43. ^ a b c d e 『鉄道ダイヤ情報』通巻145号 p.55
  44. ^ 『私鉄の車両17 京王帝都電鉄』p.57
  45. ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.136
  46. ^ 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.79
  47. ^ a b c d e 『私鉄の車両2 小田急電鉄』p.80
  48. ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル』通巻513号 p.84
  49. ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル』通巻513号 p.85
  50. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.148
  51. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.151
  52. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.153
  53. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻513号 p.78
  54. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.173
  55. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.197
  56. ^ 『私鉄の車両2 小田急電鉄』pp.178-179






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