坂越
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/07 20:06 UTC 版)
歴史
播磨灘に位置する天然の良港坂越浦には、渡来人であった秦河勝を始め、南朝(南北朝時代)の忠臣であった児島高徳など、多くの偉人伝説が残る。地元に残るそれら人々の伝承記録をみると、坂越が瀬戸内往来の重要な中継地として長くあった事が窺える。
807年(大同2年)、中国からの帰途であった空海、901年(延喜元年)、都から九州の大宰府へ下る途中であった菅原道真、1565年(永禄7年)、長崎・平戸から京都に向かう途中のイエズス会宣教師ルイス・フロイスの他、1587年(天正15年)、九州遠征中の豊臣秀吉を見舞った細川幽斎も、その帰途に坂越に足跡を残す[7][8]。
17世紀に入ると、瀬戸内海有数の廻船業(西廻り航路)の拠点として発展[9]、奥藤、大西、岩崎、渋谷などの豪商が廻船業を営み、坂越浦には西回り航路用の大型廻船31艘、内海航路用の小型廻船15艘余りが犇いていたという。また、西国大名の参勤交代の港としても使われていた。
この頃の坂越港には、数回にわたってオランダ船の入港記録もあり、1787年(天明7年)には、蘭学者でもあった司馬江漢が坂越に立ち寄っているのが興味深い(『江漢西遊日記』)。
18世紀以降、北前船が停泊する日本海諸港の台頭によって瀬戸内の港町の多くが衰退する中、坂越は「赤穂の塩」を運ぶ北前船の港として明治時代まで栄え、坂越浦から、高瀬舟の発着場があった千種川まで続く「大道(だいどう)」と呼ばれる通りの風格ある町並みは、往時の繁栄を今に伝えている。
坂越と景教
坂越にある大避神社には、渡来人であった秦河勝が祀られており、その一族はネストリウス派キリスト教徒の末裔であったという。
日本のキリスト教の研究者によると、日本で最も古くイースターを礼拝したのは、ネストリアンと呼ばれていた景教を崇拝する人々であり、西暦544年(欽明5年)頃には、坂越に教会を築いてイースターを祝っており、日本で最初となる孤児院(悲田院)としての役割をも担っていたのが大避神社であると推測している。事実であれば、ローマカトリックの宣教師であった聖フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸する1,000年前に景教は坂越に伝来していた事になる。
道真伝説
坂越には菅原道真を由来とする地名が多く残る。
『901年(延喜元年)、九州の太宰府に左遷される途中に道真は、潮まちのため、坂越に小船をつけて立ち寄る(大泊・御泊(おおとまり))。歓迎の村人で大騒ぎになる坂越の様子に驚いた道真であったが、思わぬ歓待に心をよくし、暫く坂越に逗留する(洞龍(とうりゅう))。道真は浜の岩(天神岩)に腰をおろし、集まった人々に、讃岐国の国司をしていた時に見た塩造りの話や、京の都話などをして次第に坂越の人と親しくなっていった。』
道真公が去った後、人々は、天神山(北之町)の北野天満宮(現在は大避神社境内に移設)に道真公を祀る。有名な『こち吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな』は、ここでは、道真公が坂越を離れる時に、坂越の山に咲く梅の花を眺めながら、京を思いつつ、詠んだ歌であるとされている。
坂越沖で撃沈された せりあ丸
坂越沖では、太平洋戦争末期に日本本土への石油輸送に成功したことで知られる一隻の大型タンカーがアメリカ海軍機動部隊に空爆を受けて沈没している。
1945年(昭和20年)7月28日、せりあ丸は相生の播磨造船所で貨物船に改造されるため坂越湾に停泊していたが、5時30分頃から始まったアメリカ軍の波状攻撃で船尾楼左舷に爆弾1発を被弾、13時20分再び機関室上部に命中した2発が致命傷となり大火炎に包まれながら生島の西方沖に沈没した。 この空襲では乗組員48人のうち一等機関士や甲板員、調理員など6人が犠牲になった[10][11]。1948年(昭和23年)5月に引き揚げられ、日立造船桜島工場[注釈 1]で改造の後、中東・バーレーンからの石油輸送に活躍した。老朽化に伴って1963年(昭和38年)2月にシンガポールで解体された。(詳細は、せりあ丸を参照)
脚注
- ^ “赤穂市統計書令和元年版「人口・国勢調査」” (PDF). 赤穂市. 2020年6月4日閲覧。
- ^ “赤穂市指定文化財一覧” (PDF). 赤穂市教育委員会 (2018年7月30日). 2020年7月26日閲覧。
- ^ “坂越のまち並みを創る会 - 第8回ゆめづくりまちづくり賞 奨励賞受賞”. 国土交通省近畿地方整備局 (2017年). 2020年7月26日閲覧。
- ^ “兵庫県HP 西播磨県民局長関連文化財7件紹介メッセージ”. 兵庫県. 2020年7月26日閲覧。
- ^ “日本遺産「北前船寄港地」赤穂市が追加認定”. 赤穂民報 (2018年5月24日). 2020年7月26日閲覧。
- ^ “日本遺産認定の港町・坂越(さこし)で、町並み散策と絶景の旅!/兵庫県赤穂市”. 瀬戸内Finder. 2023年11月5日閲覧。
- ^ 坂越略式年表
- ^ “坂越(坂越湾周辺)地区年表” (PDF). 赤穂市教育委員会. 2020年7月26日閲覧。
- ^ “「北前船寄港地」でまちおこし”. 赤穂民報 (2016年4月16日). 2020年7月25日閲覧。
- ^ “戦後七十年・語り継ぐ(3)~坂越沖に沈んだ「せりあ丸」”. 赤穂民報 (2015年8月1日). 2020年7月25日閲覧。
- ^ “赤穂で唯一空襲にあった「せりあ丸」”. 神戸新聞NEXT (2015年8月16日). 2020年7月25日閲覧。
- ^ “赤穂市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則”. 赤穂市. 2020年11月28日閲覧。
- ^ “日本遺産・坂越浦”. 兵庫県赤穂市教育委員会. 2019年7月18日閲覧。
- ^ “児島高徳卿の遺徳偲ぶ遥拝所再建”. 赤穂民報 (2008年5月3日). 2020年7月25日閲覧。
- ^ “坂越浦の歴史と文化 ぶらり見て歩きガイド 小倉御前の墓”. 赤穂市教育委員会. 2020年7月26日閲覧。
- ^ “鳥井の坂に伝統の音頭響”. 赤穂民報 (2014年1月13日). 2020年7月25日閲覧。
- ^ “日本の結婚式「日本各地に今も残る懐かしい婚礼 坂越の嫁入り(兵庫・赤穂)”. 株式会社IBJウエディング. 2020年7月25日閲覧。
- ^ “赤穂観光周遊バス 陣たくん号”. 赤穂観光協会. 2020年7月26日閲覧。
注釈
- ^ 1997年(平成9年)に閉鎖された後、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの敷地として使用されている。
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