北川辺町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/29 19:12 UTC 版)
きたかわべまち 北川辺町 | |
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廃止日 | 2010年3月23日 |
廃止理由 |
新設合併 旧・加須市、騎西町、北川辺町、大利根町→加須市 |
現在の自治体 | 加須市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 北埼玉郡 |
市町村コード | 11424-3 |
面積 | 21.00 km2. |
総人口 |
12,691人 (2010年2月1日) |
隣接自治体 |
埼玉県:加須市、北埼玉郡大利根町、 茨城県:古河市 群馬県:邑楽郡板倉町 栃木県:下都賀郡藤岡町 |
町の木 | ウメ |
町の花 | アヤメ |
北川辺町役場 | |
所在地 |
〒349-1212 埼玉県北埼玉郡北川辺町大字麦倉1481-1 |
座標 | 北緯36度11分26秒 東経139度39分41秒 / 北緯36.1905度 東経139.66142度座標: 北緯36度11分26秒 東経139度39分41秒 / 北緯36.1905度 東経139.66142度 |
特記事項 | 市外局番0280(古河MA) |
ウィキプロジェクト |
埼玉県側の渡良瀬遊水地の玄関口として知られ、オニバス(絶滅危惧種)の自生地でもあった。東京都市圏(東京通勤圏[1])。
概要
埼玉県内で唯一町全域が利根川の左岸(北側)にあり、一説には「北川辺」の名称も「利根川の北の川辺の町」の意味で名づけられたとされる[2]。茨城県、群馬県、栃木県の3県と接するが、埼玉県の他の自治体とは利根川で隔てられており、電話の単位料金区域 (MA) は埼玉県内ではなく茨城県古河市と同一の古河MAに属する(古河MAは茨城県内区域ではなく、NTT栃木支店の管轄内で栃木県内区域である)。また、古くは埼玉県域の他の自治体への交通を渡船に頼っていたため、「陸の孤島」とも称された[2]。
前述の通勤先でも東京都区部に次いで2位が茨城県古河市であり、このように古河市との結びつきが強く、同市(旧古河市および旧猿島郡総和町)、栃木県下都賀郡野木町と三国サミット会議が発足され、相互理解が深まっている。
北埼玉郡大利根町・北葛飾郡栗橋町との合併により「東埼玉市」の新設を目指す構想があった。その後、加須市と北埼玉郡大利根町・北埼玉郡騎西町との合併協議に転じ、2010年3月23日に新たに「加須市」となった。
地理
- 河川: 利根川、渡良瀬川、谷田川、合の川、五左衛門堀、六えん樋(六右衛門樋)、中堀排水路、旧川、子之新排水路、駒場排水路、飯積用水路、高台用水路
- 湖沼: 渡良瀬遊水地(谷中湖)、仕出沼、柳生沼、八幡沼
輪中の町
北川辺町の地域は江戸時代の利根川東遷事業に伴って、利根川の新川通が開削されて渡良瀬川と接続された1621年(元和7年)以降に遊水地帯となっていた[3]。南と東を利根川と渡良瀬川、北と西を谷田川と合の川(現在は廃川)に囲まれた盆地状の低地であり、記録に残るだけでも1786年(天明6年)から1947年(昭和22年)の161年で81回の水害が発生した水害常襲地域であった[3][4]。集落や田畑は自然堤防上に発達して背後の低湿地に水田が開発されていき、水塚や構え堀といった水害への備えが施され、周囲を堤防で囲う輪中が形成されていった[3][4][5]。
隣接している自治体
※下都賀郡野木町と久喜市とは、わずかに接していない。
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固有名詞の分類
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