京福電気鉄道 車両

京福電気鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 08:13 UTC 版)

車両

合併などの経緯により路線同士が離れていたり、異なる路線規格を複数持ったりしている鉄道事業体は他にも存在するが、京福の3路線群は鉄道技術面での統一がまったく行われず(電動貨車の嵐電モト1000形・叡電デト1000形のみ共通車体)、たとえば300形電車をとっても、嵐山線はモボ301形・叡山線はデオ300形・越前線はホデハ301形(その後モハ・クハに変更してえちぜん鉄道になってからはMC・TC)と車両番号が重複するどころか、形式記号までバラバラであった。嵐山線の「ボ」や越前線の「ホ」はボギー車を意味するが、この形式記号を使っている鉄道会社は現在ではごくわずかである。

嵐山線と鋼索線の現有車はすべて阪神電鉄系の武庫川車両工業製であり、分社された叡山線も現有車は武庫川車両製で統一されており、越前線でも阪神電鉄からの移籍車両を多く受け入れていた。2002年の武庫川車両工業解散後(後身として阪神車両メンテナンスを設立)は新車が導入されていない。モボ101形は更新時の車体組立を担当した。

車体塗装は全路線において、上半分が薄茶色・下半分が緑色となっていた。1970年代に京福バスが白地・茶帯塗装(京都バスも同一塗装)を採用すると、越前線でも比較的すぐこれを採用。尾灯部分も茶色に塗ったり、同じ形式でも頭部を茶色に塗った車両と白に塗った車両が混在したりするなどの特徴があった。叡山線でも叡電分離後の新車に白地・茶帯塗装が採用されたが、現在は叡電・えちぜん鉄道ともに全く新しい塗装が採用され、この塗装の車両は消滅した。嵐電においても塗装簡略化を目的として2010年の開業100周年を機に、塗色が「京紫」に変更されることになり、2020年6月現在で塗色変更車が19両まで拡大されており、従来の塗色車は徐々に数を減らしている。(2020年6月現在で従来塗装車は301号、103号の2両のみ)

嵐山線

車体デザインは大きく変更しながらも、全車が同一性能を持つという車両設計の下、1990年代後半になるまでモボ101形の主要機器類を踏襲した自動加速制御の吊掛け駆動車を導入してきた。これは鉄道事業者としては異例である。だが、最新のモボ2001形WN駆動方式VVVFインバータ制御を採用するなど、最新技術も多数採用している。ただ、そのためにモボ2001形は他形式との併結ができず、2両編成になる場合は2001号と2002号の組み合わせに限定される。方向幕はモボ501形以降に搭載され、それまでの車両には運行標識を掲出して運行している。方向幕はモボ501形とモボ611形以降とでは変更されている(モボ501形には「ワンマン」の表示が入る)。

現有車両

電車

製造順に配列

貨車

過去の車両

  • モボ111形
  • モボ121形
  • ク201形(制御付随車)
  • 1形 1-20
    • 嵐山電気軌道の四条大宮-嵐山間の開業に際して1910年3月川崎造船所で製造された。丸屋根の木造単車で車体長は約8,5m、吹きさらしのデッキで側面窓は8枚、台車は21Eで電動機は22.4 kW×2であった。1919年から1923年にかけてベスビューゲル形に変わったがそれ以外に目立った変化は無く、1924年以降17両が21形に改造され、2両(5・20)は有蓋電動貨車フモ501形に機器が流用された。残り1両は不明。
  • 31形 31-37
    • 阪神1形31-37であり、1921年11月に入線し、翌年3月より使用された。京福への入線にあっての目立った改造は無く、32は1929年4月16日の北野線での事故により1920年1月18日付で、他の6両もモボ121形の登場により1926年12月28日付で廃車となっている。
  • 21形 21-27・51-61
    • 1形を改造し23-25が1924年8月に、21・22が同年10月、26・27が同年12月に竣工。車体長は9,296mmであり、出入台に扉が設けられ、ホイルベースが1,981mmから2,734mmに延長されている。その後残存の1形も改造することになり11両が51-61となった。20番台車との差異は社内灯が2灯ブランケットから3灯バルベット4個になった点である。路面からの乗降にはステップを利用する必要がある事から、北野線で使用された。モボ101系の増備に伴い、22・23・27・53・59・60・61は1932年5月20日付で、21・24・25・26・51は1938年6月15日付、54・56・57は1939年3月15日付、52・55・58が1940年5月に廃車となった。このうち54・56・57は奉天交通株式会社に売却されている。

車両数の変遷

年度 モボ101形 モボ111形 ク201形 モボ121形 モボ301形 モボ501形 モボ611形 モボ621形 モボ21形 モボ631形 モボ2001形 合計(冷房車)
1982
-1984
6 7 3 10 2 28(0)
1985 6 6 3 9 2 2 28(2)
1986
-1988
6 6 3 7 2 4 28(4)
1989 6 6 3 7 2 4 28(6)
1990 6 6 3 7 2 4 28(8)
1991 6 6 3 5 2 4 2 28(10)
1992 6 6 3 5 2 4 2 28(14)
1993 6 3 3 5 2 4 3 2 28(17)
1994 6 0 3 5 2 4 6 2 28(20)
1995 6 3 3 2 4 6 2 2 28(22)
1996 6 2 1 2 4 6 4 2 1 28(25)
1997
-2000
6 0 0 2 4 6 5 2 3 28(28)
2001 6 2 3 6 5 2 3 1 28(28)
2002
-2011
6 2 2 6 5 2 3 2 28(28)
2012
-現在
6 1 2 6 5 2 3 2 27(27)
  • 事業用車除く
  • 1982・83年は1月1日現在、84年以降は4月1日現在
  • 『私鉄車両編成表』各年版、ジェー・アール・アール

鋼索線

叡山線

越前線

ここではえちぜん鉄道に継承されなかった車両を記す。

電車

福井駅に並ぶモハ1001形電車(左)とモハ251形(1991年3月撮影)
京福電気鉄道設立以後入線
1974年11月の形式称号改定以後在籍
  • モハ241形 241-244
    • 前身は京福叡山線(現、叡山電鉄デナ11形を狭軌化・制御車化したホクハ31形(初代)を1949年5月[27][28]に電装したホデハ31形。木造車だった同車を1957年[27][28]に新造車体で鋼体化した際に新形式となった。241、242は日本車輛、243,244はナニワ工機製。244は1989年4月[27]、241 - 243は1991年3月[27]廃車。
  • モハ251形 251-254
    • ホデハ11形など1957年11月の福井口車庫火災焼失車の4両の代替として、被災車の電装品などを流用してホデハ(→モハ)241形と同型の車体を日本車輌で新造した車両。台車も被災した電動車3両からD-14やD-16を流用したが、254のみND-6という日本車輛が手持ちの試作台車を改造したものを履いていた[28]。251と253は1974年にホデハ→モハの形式称号変更時に番号を入れ替え、1988年に改めて番号を入れ替えて旧に復している[27]。253・254は1991年3月[27]に廃車。残り2両はワンマン化改造されて使用されたが、251は2000年12月17日に正面衝突事故を起こし[27]、それ以降は252も運用に就くことなく、全線運行停止中の2002年3月[27]に廃車された。
  • モハ261形 261-263
  • モハ271形 271-273
    • 相鉄モハ1000形(1004 - 1006)。1965年入線。271[30]と273は片運転台、272は中間電動車の3両固定編成。1973年に主電動機を廃車になったホデハ13、225などのものと交換[27]している。乗客の減少に伴い2両編成が恒常化したため、272は1983年6月[27]に、他の2両は1987年6月に廃車[27]
  • モハ281形 281-284
  • モハ301形 301-304
    • 元東急デハ3250形(3255 - 3257、3254)。太平洋戦争後に東急に投入されたデハ3700形などの見返りの車両供出で割り当てられ、1947年から1948年に[28][32]入線。301・304が、1928年汽車製造東京支店製の前面貫通形の池上モハ100形(後の目蒲モハ120形)、302・303が、1930年汽車製造製の前面非貫通形の池上モハ200形(後の目蒲モハ130形)が前身であるが、京福では全車とも1930年製として扱っていた[28]。後年302は外板張替えでウィンドシルとリベットがなくなり[28]、301は全面を非貫通化[33]。1978年4月[27]廃車。
  • モハ3001形 3001-3008
形式称号改定以前に除籍された車両
  • ホクハ31形(2代) 31・32・33
    • ホサハ17形残存車の更新名目で、1964年に同車のTR10台車阪神861形の車体を乗せて竣工した両運転台構造の制御車。両運転台のままなのは福井方に電空カム軸式(RPC)、越前大野・三国方に手動進段式(HL)と異なる制御器を載せ、どちらの制御器を持った電車でも総括制御が可能にしたため[34]。31が1971年7月[34][35]、33が1972年2月[34][35]、32が勝山 - 京福大野間廃止後の1974年11月[35]廃車。
  • ホサハ61形 61・62
旧京都電燈所属
  • ホデハ201形 201-202
  • ホデハ211形 211-212
    • 1928年日本車両製。三国芦原ホデハ11型の類似車[39]で台車もD-16。ただし電機品は三菱製で2個モーター装備の間接非自動制御車[37]であった。1972年8月に廃車[37]
  • ホデハ221形 221-225
    • 1930年田中車輛製。メーカーは違うがホデハ11形とほぼ同一形態・同一性能。222は1957年の福井口車庫火災で焼失しホデハ(→モハ)252として復旧、225は1972年、221、223、224は1974年廃車。
  • ホデハ231形 231-233
    • 1937年川崎車両製。台車は高野山電気鉄道101形の台車交換で発生した、川崎車両の手持ち台車である汽車製造BW54-18Lを流用したが、乗り心地が悪く戦後TR-11に交換している。233は1972年、231と232は1974年廃車。
  • ホサハ17形 17-22
    • 1919年梅鉢鉄工所製。ダブルルーフの木造付随車で、かつて電動車であった。叡山線の車両と似ているが新製時から越前線の所属である。18と20は戦災で焼失しホサハ61、62として復旧。17は1957年の福井口車庫火災で被災し、ホデハ251が代替新造された際、電装品を供出したホデハ103をホサハ17(2代目)とした。残る19、21、22の3両は1964年に廃車、車体更新名義で先述のホクハ31形3両に台車を提供している。
旧三国芦原電鉄所属
  • ホデハ11形 11-20
    • 11 - 16が1928年、17 - 20が1929年。いずれも日本車輌製造製。当時日車が地方私鉄向けに設計していた15メートル級車両で、上田温泉電軌デナ200形琴平電鉄3000形一畑電気鉄道デハ1形など多数の類似車がある。制御器は電空カム軸式の芝浦RPC-50。地方私鉄としては異例の1形式10両が投入されたが、20は1935年に焼失して新形式のホデハ21形として復旧、15、17は1957年の福井口車庫火災で焼失してホデハ253、254に更新されている。戦災復旧車だった13が1972年、他は勝山 - 京福大野間廃止後の1974年11月[37]廃車。
  • ホデハ21形 21
    • 1935年に福井車庫で焼失したホデハ20を、加藤車輛製の二段窓の新車体で復旧。勝山 - 京福大野間廃止後の1974年11月[37]廃車。
旧永平寺鉄道所属
  • デハ1形
    • 1925年加藤車両製。永平寺鉄道開通時の車両で、全長9mの2軸単車であったが、1935年にボギー化された。後に福井口車庫の入替車となり1969年廃車。
  • ホデハ101形 101
    • 1926年加藤車輛製。全長14.4メートル級ボギー車。集電装置がボウコレクター(Yゲル)の直接制御車。戸袋窓は楕円形だったが後年埋め込まれている。丸岡線廃止直後の1968年8月に廃車。
  • ホデハ102形 102-103
    • 1929年日本車両製。ホデハ211形の同形車であるが、101同様集電装置がボウコレクター(Yゲル)の直接制御車であった。台車は日車D-14。102は永平寺線部分廃止の1969年9月に廃車[40]。103は1957年に焼失したホサハ17(初代)の代替新造車・ホデハ251に電装品を譲りホサハ17(2代目)となり、1972年2月に廃車[36][41]
  • ホデハ104形 104-107
    • 1930年日本車輛製。ホデハ102形とほぼ同型の増備車。直接制御車でボウコレクターを使用していた[42]のも同じだが、1964年までにパンタグラフ化されている[43]。106、107が永平寺線部分廃止の1969年に、104、105が南海からの譲渡車に代替され1972年に廃車。

電気機関車

  • テキ7形 (7, 8) - 1919年梅鉢鉄工所製。えちぜん鉄道に継承されたテキ6形と同形の車体だが、搭載された制御器が異なる。
  • テキ501形 (501) - 元庄川水力電気専用鉄道庄水5。1980年廃車。
  • テキ511形 (511, 512) - 元国鉄EC40形。片側のボンネットを取り除きデッキが設置されていた。511は、1964年に国鉄が10000形に復元保存するため、ED28 11(後のテキ531)と交換され、鉄道記念物として保存されている。512は、1970年廃車。
  • テキ531形 (531) - 元国鉄ED28 11。前記テキ511との交換で入線した。1980年廃車。

注釈

  1. ^ その後、叡山電鉄は1991年に京福の親会社・京阪電気鉄道(現・京阪ホールディングス)が筆頭株主となり、2002年に京阪電気鉄道完全子会社となった。沿革節および「叡山電鉄」も参照。
  2. ^ なお、保存鉄道や遊覧鉄道も含めれば、明治村N電は現在も詰襟とトロリーポールを使用している。

出典

  1. ^ 会社概要 - 京福電気鉄道株式会社
  2. ^ a b c d e f g h i j k 京福電気鉄道株式会社『第115期(2020年4月1日 - 2021年3月31日)有価証券報告書』(レポート)2021年6月23日。 
  3. ^ 各年度 決算短信
  4. ^ a b 嵐電・嵯峨野フリーきっぷ (PDF) - 京都バス、2013年3月29日
  5. ^ 京福グループ中期経営計画(2016年度~2018年度)の実施施策と進捗状況 (PDF)
  6. ^ 京福電気鉄道社史編さん事務局(編)『京福電気鉄道50年の歩み』京福電気鉄道、1993年、20頁。 
  7. ^ 京福電気鉄道社史編さん事務局(編)『京福電気鉄道50年の歩み』京福電気鉄道、1993年、78-79頁。 
  8. ^ 井上広和『日本の私鉄 22 東海・北陸』保育社、1983年、108頁。 
  9. ^ 『京福電気鉄道 88年回顧録 越前線写真帖』京福電気鉄道、2003年 p.29
  10. ^ 「鉄道ピクトリアル」1969年12月号p.24, 25『江若鉄道始末記』・「鉄道ピクトリアル」1973年7月増刊京阪電気鉄道特集号pp.35 - 38『京阪電気鉄道と琵琶湖・叡山の開発』
  11. ^ 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成18年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会、p.249
  12. ^ a b 京福電気鉄道株式会社及びえちぜん鉄道株式会社の第一種鉄道事業の譲渡譲受の認可について”. 国土交通省 (2003年1月17日). 2004年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月6日閲覧。
  13. ^ a b “京福電鉄とえちぜん鉄道の事業譲渡譲受に認可”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2003年1月21日) 
  14. ^ 鉄道ピクトリアル』1993年10月号(NO.581)98頁。
  15. ^ 『会社概況』2018年度版、6頁 - ウェイバックマシン(2020年5月12日アーカイブ分)
  16. ^ 祝 江ノ電・嵐電姉妹提携! 嵐電『江ノ電号』が出発しました - 京福電気鉄道、2009年10月14日。
  17. ^ 江ノ電・嵐電姉妹提携に関するお知らせ(Internet Archive) - 江ノ島電鉄、2009年10月2日
  18. ^ 路面電車を利用した低炭素型集配システム開始について - ヤマト運輸、2011年5月17日。
  19. ^ 妊婦さんに席をゆずりましょう! - 京福電気鉄道、2013年3月1日。
  20. ^ a b 交通系ICカードの全国相互利用サービスについて - PiTaPa.com、2012年12月18日。
  21. ^ “京福電鉄、東映撮影所の近くに新駅開業…駅番号も振り直し”. レスポンス. (2016年4月1日). http://response.jp/article/2016/04/01/272636.html 2016年4月2日閲覧。 
  22. ^ (繁体字中国語)〈新聞稿〉高雄捷運受肯定 首與日本關西京福地鐵跨國合作 打開高捷國際市場 2017年6月8日,高雄捷運
  23. ^ (日本語) 広がる日台の鉄道交流 高雄メトロが京福電鉄・江ノ電と観光連携 - 『フォーカス台湾』中央通訊社、2017年6月10日
  24. ^ 会社概要 Archived 2015年8月31日, at the Wayback Machine. - 京福電気鉄道
  25. ^ a b c 森口誠之『鉄道未成線を歩く 〈私鉄編〉』JTB、2001年、p.180
  26. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』 1924年9月3日国立国会図書館デジタルコレクション)
  27. ^ a b c d e f g h i j k l m n 高井 (2023) p.194-195
  28. ^ a b c d e f 『鉄道ピクトリアル』No.295 p.69
  29. ^ 『鉄道ピクトリアル』No.295 p.74
  30. ^ 小田原線時代の1944年2月に経堂工場の火災で全焼しており、相模鉄道に譲渡された後の1949年6月に車体を復旧している[29][27]
  31. ^ 鉄道ジャーナル』第21巻第4号、鉄道ジャーナル社、1987年3月、122頁。 
  32. ^ 高井 (2023)は、301-303については1947年6月と記載し、304は入線時期を記載していない[27]
  33. ^ 高井 (2023) p.81
  34. ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』No.295 p.70
  35. ^ a b c d e f 高井 (2023) p.198-199
  36. ^ a b c d e f g 『鉄道ピクトリアル』No.295 p.73
  37. ^ a b c d e f g h i j k 高井 (2023) p.192-193
  38. ^ 高井 (2023)は1927年6月と記載[37]
  39. ^ 車体幅が100mmほど狭い[37]ことを除けば、窓配置などほぼ同一
  40. ^ 『鉄道ピクトリアル』No.295 p.71
  41. ^ 高井 (2023)は1969年9月と記載[35]
  42. ^ 高井 (2023) p.67
  43. ^ 高井 (2023) p.71
  44. ^ a b c d 嵐山線の旅客運賃改定の実施について” (PDF). 京福電気鉄道 (2023年3月3日). 2023年3月31日閲覧。
  45. ^ 嵐電、220円に 4月1日から運賃値上げ - 京都新聞、 2017年1月30日
  46. ^ 4月1日より嵐電(京福電車)でPiTaPaがご利用いただけます - PiTaPa.com 2011年3月16日。
  47. ^ 京都市交通局関連の1日券類の価格改定のお知らせ”. 嵐電. 京福電気鉄道 (2021年9月28日). 2021年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月31日閲覧。
  48. ^ 8月11日〜15日 京福電気鉄道で「嵐電妖怪電車」運転”. 鉄道ファン・railf.jp. 鉄道イベント. 交友社 (2018年8月6日). 2023年9月7日閲覧。 “運賃:大人220円,こども110円,妖怪50円”
  49. ^ お盆の恒例、嵐電・妖怪電車が10周年”. Lmaga.jp. 京阪神エルマガジン社 (2016年8月1日). 2023年9月7日閲覧。 “いつもは50円の「妖怪運賃」が10円になるなど、”
  50. ^ 京福電車、「嵐電妖怪電車」を8月11日~15日運行”. トラベルWatch. インプレス (2019年8月2日). 2023年9月7日閲覧。 “「妖怪電車専用乗車券」は大人220円、子供110円、妖怪100円”
  51. ^ 「嵐電妖怪電車」 運行ダイヤ、関連イベントのお知らせ』(PDF)(プレスリリース)京福電気鉄道、2023年8月4日https://www.keifuku.co.jp/cms/wp-content/uploads/2a2b0ade36a8c5bea9f75c20ecada7d4.pdf2023年9月7日閲覧 






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