井沢元彦
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経歴
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東京都立千歳高等学校(東京都立芦花高等学校の前身の一校)を経て、早稲田大学法学部卒業。大学在学中、「倒錯の報復」が江戸川乱歩賞候補となる。1977年にTBSへ入社(三雲孝江、吉川美代子、神津栄子、田代冬彦、金平茂紀、齊藤薫は同期)。報道局(政治部)記者時代の1980年に『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞。1985年にTBSを退職して、以降は作家に専念。
2012年1月、愛知県が立ち上げた「中京独立戦略本部」の本部員に就任(2014年以降、会合が行われた形跡はない)。2012年4月、種智院大学客員教授。
人物
小説家としては、推理小説、ことに歴史上の謎を題材に取りつつ現代の殺人をからめた「歴史ミステリー」と呼ばれる分野で多数の作品を発表している。その他、時代小説作品も手がけている。初期はファミコンゲーム『ドラゴンバスター』の小説版やファンタジーなども手がけていた。
1992年から連続執筆中の『逆説の日本史』を中心に独特の歴史推理を展開している。崇徳天皇を日本最大の怨霊として強調する怨霊史観や、天智天皇と天武天皇が兄弟でないという説などがある[1]。
批判
日本中世史家の呉座勇一は「井沢氏の種々の主張には問題が多い。学界では既に過去のものとなった俗説の焼き直しか、作家的な想像力が旺盛すぎて学問的な批判に耐えない奇説が大半」であると評している[1]。
忠臣蔵に関する主張に対しては、中央義士会理事長の中島康夫から「世の中にばい菌をまき散らしているだけ」「人より良い文章ができる訳がない。作家は、フィクションを書いていれば良いのである」などと批判されている[2]。
『逆説の日本史1古代黎明編』では、大国主命を祀る出雲大社は怨霊を鎮める神社であると述べたため、批判を受けている[3]。
主張
- 日本人には言霊(コトダマ)という感覚があるという。コトダマの世界では雨が降ると言えば雨が降るのであり、これにより日本のジャーナリストは不吉な事実をありのままに書くことが出来ないという。また、日本では意思決定や実行に関与していなくとも、何か意見を発言した者が、お前が余計な事を言ったから失敗したなどと責任を追及されることがあり、発言をした事で結果の責任を追及されるのは論理的にはおかしなことであると言う[4]。
- 日本人には穢れ思想があるという。その穢れの代表が死であり、その穢れに関わる職業への差別が日本では見られるという。例えば日本人は軍人が嫌いであるという[5]。
- 韓国起源説について、「かつて中国スタンダードに反する『オリジナル』の許されなかった『つらさ』はわかるが、だからといってなんでもかんでも韓国が発祥という『ウリジナル』は行き過ぎだろう」と批判している[6]。
- ^ a b 呉座勇一 (2019年1月11日). “『日本国紀』監修者・久野潤氏の反論に応える②”. アゴラ 2019年2月22日閲覧。
- ^ 逆説の日本史への反論、批判1
- ^ 『出雲大社は怨霊の神社?』
- ^ 井沢 元彦 『「言霊(コトダマ)の国」』 小学館、1998、ISBN 978-4-09-402302-2
- ^ 井沢 元彦 『穢穢れと茶碗:日本人は、なぜ軍隊が嫌いか』 祥伝社、1999、ISBN 978-4-396-31114-8
- ^ 井沢元彦 (2011年12月9日). “日本海の「東海」表記に「韓国はいつから世界の中心に?」”. 週刊ポスト. オリジナルの2020年10月24日時点におけるアーカイブ。
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