ロバート・A・ハインライン 生涯

ロバート・A・ハインライン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/09 08:35 UTC 版)

生涯

海軍兵学校時代のハインライン(1929年)

誕生と幼少期

1907年7月7日ミズーリ州バトラーで、ドイツ系の家庭に生まれる[4]カンザスシティで育つ[5]。この時代のこの地方の価値観(ハインラインはバイブル・ベルトと呼んだ)が作品に強く影響しており、特に晩年の『愛に時間を』や『落日の彼方に向けて』の設定や雰囲気に反映されている。しかし、最盛期の作品ではそういった価値観や道徳観を打破しようとする傾向があった。

海軍時代

軍隊もハインラインに大きな影響を与えた。生涯を通じて忠誠心、リーダーシップといった理想を信じたのも軍隊の影響である。1925年アナポリス海軍兵学校に入学。1929年に卒業するとアメリカ海軍の士官となった。1931年、空母レキシントン (CV-2) に乗る。このころ無線通信に取り組み、さらに実用化されたばかりの航空機にも取り組んだ。当時の艦長アーネスト・キングは、第二次世界大戦期にはアメリカ海軍作戦部長になっている。後にハインラインはアメリカ海軍初の現代的空母の艦長だったアーネスト・キングについて、軍事史家から頻繁にインタビューを受けている。1933年から1934年まで駆逐艦 USS Roper (DD-147) に勤務。その間に中尉に昇進している。兄弟のローレンス・ハインラインは陸軍、空軍、ミズーリ州軍に勤務し、少将となっている[6]

1929年、カンザスシティ出身の女性とロサンゼルスで結婚[7]。しかし、1年で破局した[4]。1932年には2度目の結婚をしている。このときの相手は政治的に過激な思想を持っており、アイザック・アシモフによればこのころのハインラインは妻に影響され「激しい自由主義者」だったと記している[8]

カリフォルニアへ

1934年結核を患い、海軍を退役。長い入院生活の中でウォーターベッドを思いつき、後にそれについて詳細に小説に書いている。このため、ハインラインの小説が先例となって、ウォーターベッドの特許は成立しなかった[9]

その後UCLA大学院数学を学んだが、数週間で退学。再び病気が悪化したという理由もあるが、政治家を目指したからでもある[10]

ハインラインは不動産販売のセールスマンや銀鉱の作業員などの職を転々としたが、その間ずっと困窮していた。この頃のハインラインは社会主義者のアプトン・シンクレアの活動に参加していた。1934年のカリフォルニア州知事選ではシンクレアが民主党の推薦を受けて立候補したため、熱心に選挙活動を行った。1938年にはカリフォルニア州議会議員選挙に自ら立候補したが、落選した[注釈 1]。1954年のノンフィクションでハインラインは「多くのアメリカ人は…マッカーシーが「恐怖の時代」を生み出したと声を大にして断言していました。あなたは恐れていますか? 私はそういうことはなく、マッカーシー上院議員よりも左よりの立場で政治活動していた経験があります」と書いている[11]

L・スプレイグ・ディ・キャンプ(中央)、アイザック・アシモフ(右)と共にフィラデルフィア海軍造船所に勤務するロバート・A・ハインライン(左)1944年

作家になる

選挙後はそれほど貧困だったわけではないが(海軍から少額ながら障害年金を受け取っていた)、ハインラインは借金を清算するために小説を書き始め、1939年にアスタウンディング誌にて「生命線」でデビューした。その後すぐさま社会派SFの旗手として認識されるようになった。デンバーで開催された1941年のワールドコンではゲストとして招待されている。第二次世界大戦中、1943年から技術士官(航空工学)として海軍に復帰。アイザック・アシモフL・スプレイグ・ディ・キャンプと共にペンシルベニア州フィラデルフィア海軍造船所で働いた。

1945年に戦争が終わると、ハインラインは自分の経歴を再評価し始めた。広島・長崎に対する原爆投下冷戦の勃発に刺激され、彼は政治的なノンフィクションを書くことを思い立った。同時に原稿料の高い市場に参入したいという考えもあった。1947年2月の「地球の緑の丘」を初めとして、サタデー・イブニング・ポスト誌に4編の重要な短編小説を発表している。これにより「パルプ・ゲットー」から抜け出した最初のSF作家となった。原作を提供した1950年の映画『月世界征服』では、脚本にも参加し、特殊効果についても助言している(この映画はアカデミー賞特殊効果賞を受賞している)。また、チャールズ・スクリブナーズ・サンズ社から年に1冊のペースでジュブナイルSF小説のシリーズを初め、1950年代末まで続けた。

1947年、2人目の妻と離婚。翌年、バージニア・ガーステンフェルド(ジニー)と再婚し、40年後に死別するまで添い遂げた。

その後間もなくコロラド州に引っ越すが、1965年に標高のせいでジニーが健康を害してしまう。そこでカリフォルニア州サンタクルーズに引越し、サンタクルーズに程近いボニー・ドーンに新たな家を建てた[12]。独特の丸い形状の家はハインライン自身が妻と共同で設計したものである(北緯37度3分31.72秒 西経122度9分30.46秒 / 北緯37.0588111度 西経122.1584611度 / 37.0588111; -122.1584611 (ハインラインの家))。

ハインラインの作品に登場する聡明で勇敢な女性のモデルは間違いなく妻のジニーである[13][14]。1953年から1954年にかけてハインライン夫妻は船で世界一周の旅をし、その旅行記を Tramp Royale として出版した。また、この旅が『天翔る少女』や『ガニメデの少年』といった長い宇宙旅行を扱ったSF小説に役立っている。ジニーはハインラインの原稿を最初に読む役目を担った。またエンジニアとしてはハインラインよりも優秀だったという[15]

アシモフによると、ハインラインはジニーと再婚したころから急激に右翼に転向したという[8]。夫妻は1958年に小規模な「パトリック・ヘンリー同盟」を結成し、1964年にはバリー・ゴールドウォーターの大統領選の選挙活動に参加している。また、Tramp Royale にはマッカーシー聴聞への2つの長い弁明文が含まれている。このころハインラインは『異星の客』(1961) を書いているが、こちらは非常にリベラルな内容で、1960年代後半には「ヒッピー運動の非公式なバイブル」とまで言われるようになった[要出典]

ハインライン(左)とバージニア・ガーステンフェルド(タヒチ島、1980年)

ハインラインのSF小説のうち、ジュブナイルとされる作品群も重要な位置を占めている。ジュブナイルでは話題性のある題材を扱ったが、1959年の『宇宙の戦士』はテーマが子供向けとしては物議をかもすものだったため、出版社(スクリブナーズ)に出版を断られ、別の出版社から出版した。これ以降ハインラインはジュブナイルの制約を越え、一連のSF小説の境界を描き直すような挑戦的作品(1961年の『異星の客』や1966年の『月は無慈悲な夜の女王』など)を書きはじめた。

晩年と死

1970年代になるとハインラインは急激に健康が衰え、趣味の石工もできなくなった(私信で彼は石工について「本と本の合間の普通の好きな仕事」と書いている[16])。まず腹膜炎で命に関わるような状態となり、その回復に2年を要した。回復するとすぐさま『愛に時間を』(1973) を書き始めた。この作品は晩年の作品群の多くのテーマを含んでいる。

1970年代中ごろ、Britannica Compton Yearbook に2つの記事を書いている[注釈 2]。また妻と共にアメリカ合衆国における献血活動の再編のために奔走し、1976年にはカンザスシティで開催されたワールドコンに3度目のゲストとして招待された。1978年初めにタヒチで休暇を過ごしている最中に一過性脳虚血発作に襲われた。その後数か月間は徐々に衰弱していき、健康状態が悪化した。問題は頚動脈の血栓であることが判明し、最初期の頚動脈バイパス手術を受けた。ハインライン夫妻は共に喫煙者で[17]、小説にも喫煙シーンがよく描かれている。

その年にアメリカ合衆国下院上院の合同委員会に出席するよう要請され、宇宙技術を民間に技術移転することで弱者や老齢者に役立っているという確信を証言した。手術によって回復したハインラインは1980年から1988年5月8日に肺気腫心不全で就寝中に亡くなるまでに、5つの長編小説を書いた。

彼の死後、妻のバージニア・ハインラインはハインラインの手紙や手稿を交えた伝記を編集し Grumbles from the Grave と題して1989年に出版した。ハインラインの資料はカリフォルニア大学サンタクルーズ校McHenry Library の特別コレクション部門に収蔵されている。それには原稿、手紙、写真などが含まれている。主要な資料はデジタイズされ Robert A. and Virginia Heinlein Archives としてオンラインで公開されている[18]


注釈

  1. ^ 保守的な選挙区で民主党左派の候補として奮闘したが、民主党の予備選挙で敗れた(For Us, The Living: A Comedy of Customs 2004年版のあとがき247ページ)。そのころコンラート・ヘンラインの名が新聞の見出しに出たことも影響したとしている。
  2. ^ 1つはポール・ディラックと反物質についての記事で、もう1つは血液の化学についての記事である。前者は Paul Dirac, Antimatter, and You という題で、後に Expanded Universe に収録された。この中でディラック方程式を間違って紹介しており、科学の普及者としての一面をよく表しているとともに物理学の素養のなさも露呈している。
  3. ^ ハインラインがプライバシーを重視していたことは For Us, the Living などの小説にも現れているが、その行動にも現れていた。ハインラインは彼の作品を分析したアレクセイ・パンシンと諍いを起こしている。ハインラインはパンシンが「彼の行動を覗き込み、プライバシーを侵害している」として、パンシンを告発し、パンシンへの協力を取りやめた。ハインラインはパンシンの出版社に警告の手紙を出している。1961年のワールドコンに招待された際の講演で核シェルターを作って未登録の武器を隠すことを主張し、実際に自宅に核シェルターを作っている。ヌーディストでもあったため、サンタ・クルーズの自宅の周囲にフェンスを張り、『異星の客』に影響された人々に覗かれないようにした。年を経るに従って徐々にかつての左翼政治への関与を隠すようになり、サム・モスコウィッツがそうした情報を含む伝記を出版しようとするのを全力で阻止しようとした。Enter.net
  4. ^ チャールズ・マンソンが『異星の客』に影響を受けていたという都市伝説があるが、マンソンの仲間の中にはそれを読んでいた者もいたが、マンソン本人は読んでいなかったと述べている。しかし、ハインライン夫妻がマンソン・ファミリーを特に警戒していたことが Grumbles from the Grave (Reason.com) に収録されているバージニア・ハインラインの手紙からうかがわれる。Church of All Worlds は明らかに『異星の客』の影響を受けて設立されている。ハインラインはその教祖と個人的にやり取りし、機関紙を購読していたが、教団設立には全く関わっていない(Heinleinsociety.org 参照)。
  5. ^ 『ルナ・ゲートの彼方』がよい例だが、大学でこの本をテキストとして使っていた講師によると、一部の学生が必ず「彼は黒人ですか?」と聞いてきたという[1]
  6. ^ 例えば『宇宙の戦士』で兵科決定係のミスター・ヴァイスがそういう意味のことを言っている (p. 37, New English Library: London, 1977 edition.)
  7. ^ 同題の児童向け抄訳版がある。
  8. ^ a b c d 別題は児童向け抄訳版
  9. ^ a b 福島正実による抄訳版がある。
  10. ^ 福島正実による児童向け抄訳版
  11. ^ 井上勇訳 創元推理文庫
  12. ^ ハヤカワSFシリーズ

出典

  1. ^ WonderCon 2008 :: Robert A. Heinlein Memorial Blood Drive
  2. ^ Robert J. Sawyer. The Death of Science Fiction
  3. ^ Sir Arthur Clarke Named Recipient of 2004 Heinlein Award. Heinlein Society Press Release. May 22, 2004.
  4. ^ a b c d Houdek, D. A. (2003年). “FAQ: Frequently Asked Questions about Robert A. Heinlein, the person”. The Heinlein Society. 2007年1月23日閲覧。 See also the biography at the end of For Us, the Living, 2004 edition, p. 261.
  5. ^ a b c William H. Patterson, Jr. (1999). “Robert Heinlein—A biographical sketch”. The Heinlein Journal 1999 (5): 7–36.  Also available at Robert A. Heinlein, a Biographical Sketch. Retrieved July 6, 2007.
  6. ^ James Gunn, "Grand Master Award Remarks; "Credit Col. Earp and Gen. Heinlein with the Reactivation of Nevada's Camp Clark," The Nevada Daily Mail, June 27, 1966."
  7. ^ "Social Affairs Of The Army And Navy", Los Angeles Times; Sep 1, 1929; p. B8.
  8. ^ a b Isaac Asimov, I, Asimov.
  9. ^ "Robert A. Heinlein's Legacy" by Taylor Dinerman. The Wall Street Journal, 7/26/07.
  10. ^ For Us, The Living: A Comedy of Customs 2004年版のあとがき, p. 245.
  11. ^ Tramp Royale, 1992, uncorrected proof, ISBN 0-441-82184-7, p. 62.
  12. ^ Heinlein, Robert A. Grumbles from the Grave, ch. VII. 1989.
  13. ^ The Rolling Stone
  14. ^ Heinlein’s Women, by G. E. Rule
  15. ^ The Passing of Ginny Heinlein. January 18, 2003.
  16. ^ Virginia Heinlein to Michael A. Banks, 1988
  17. ^ Photograph, probably from 1967, pg. 127 of Grumbles from the Grave.
  18. ^ The Heinlein Archives”. www.heinleinarchive.org/. 2024年3月22日閲覧。
  19. ^ Robert A. Heinlein, Expanded Universe, foreword to "Free Men", p. 207 of Ace paperback edition.
  20. ^ Heinlein in Dimension, Chapter 3, Part 1
  21. ^ James Blish, The Issues at Hand, page 52.
  22. ^ John J. Miller. “In A Strange Land”. National Review Online Books Arts and Manners. 2009年11月27日閲覧。
  23. ^ Centenary a modern sci-fi giant The Free Lance Star, June 30, 2007.
  24. ^ Robert A. Heinlein: A Reader's Companion, James Gifford, Nitrosyncretic Press, Sacramento, California, 2000, p. 102.
  25. ^ See, e.g., Review of Vulgarity and Nullity by Dave Langford. Retrieved July 6, 2007.
  26. ^ William H. Patterson, Jr., and Andrew Thornton, The Martian Named Smith: Critical Perspectives on Robert A. Heinlein's Stranger in a Strange Land, p. 128: "His books written after about 1980 ... belong to a series called by one of the central characters World as Myth." The term Multiverse also occurs in the print literature, e.g., Robert A. Heinlein: A Reader's Companion, James Gifford, Nitrosyncretic Press, Sacramento, California, 2000. The term World as Myth occurs for the first time in Heinlein's novel The Cat Who Walks Through Walls.
  27. ^ Robert A. Heinlein, 1907-1988”. Biography of Robert A. Heinlein. University of California Santa Cruz. 2009年11月27日閲覧。
  28. ^ Was Robert A. Heinlein a Libertarian?”. 2010年9月18日閲覧。
  29. ^ Robert A. Heinlein, Expanded Universe, foreword to Solution Unsatisfactory, p. 93 of Ace paperback edition.
  30. ^ Citations at Sixth Column.
  31. ^ Appel, J. M. Is all fair in biological warfare? The controversy over genetically engineered biological weapons, Journal of Medical Ethics, Volume 35, Pp. 429-432 (2009).
  32. ^ Robert A. Heinlein, Expanded Universe, p. 396 of Ace paperback edition.
  33. ^ Robert A. Heinlein, Starship Troopers, p. 121 of Berkley Medallion paperback edition.
  34. ^ 『愛に時間を』の「幕間 ラザルス・ロングの覚え書抜粋」
  35. ^ William H Patterson jnr's Introduction to The Rolling Stones, Baen: New York, 2009 edition., p.3.
  36. ^ Gary Westfahl, "Superladies in Waiting: How the Female Hero Almost Emerges in Science Fiction", Foundation, vol. 58, 1993, pp. 42–62.
  37. ^ a b The Heinlein Society
  38. ^ Panshin, p. 3, describing de Camp's Science Fiction Handbook
  39. ^ Robert A. Heinlein: A Reader's Companion, p. xiii.
  40. ^ The New York Times Magazine, On Language, by William Safire, September 3, 2006
  41. ^ Church of All Worlds | religious organization” (英語). Britannica. 2023年7月5日閲覧。
  42. ^ The Hammer and the Feather. Corrected Transcript and Commentary.
  43. ^ Miller, John J.. “In a Strange Land on National Review / Digital”. nrd.nationalreview.com. 2008年10月21日閲覧。
  44. ^ 第二次世界大戦における枢軸国の勝利での歴史改変SF
  45. ^ 1956 Award Winners & Nominees”. Worlds Without End. 2010年9月16日閲覧。
  46. ^ 1960 Award Winners & Nominees”. Worlds Without End. 2010年9月16日閲覧。
  47. ^ 1962 Award Winners & Nominees”. Worlds Without End. 2010年9月16日閲覧。
  48. ^ 1967 Award Winners & Nominees”. Worlds Without End. 2010年9月16日閲覧。






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