メキシコ麻薬戦争 軍事組織化

メキシコ麻薬戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 10:30 UTC 版)

軍事組織化

ロス・セタスの登場以降、シナロア・カルテルやガルフ・カルテルなど他の麻薬カルテルも軍隊式の重装備や戦闘員の募集をする傾向がある。前述の通りロス・セタスの創設に関わっていたのはメキシコ軍特殊部隊の元隊員であり、彼らの多くはアメリカやイスラエルで戦闘訓練を受け、アメリカ陸軍米州学校において尋問や不正規戦について学んでいた[88]

また、カルテルの軍事組織は、カルテルの構成員たちを殺し屋および戦闘員として養成する訓練キャンプを運営しており、ここで脱落したものは売人や見張りなど戦闘に関わらない仕事に回されるという。ロス・セタスの訓練キャンプの場合、教官は元メキシコ軍のセタス構成員の他はグアテマラの特殊部隊「カイビレス」の出身者やコロンビア人の傭兵など中南米出身の戦闘技能者[89]が中心だったが、彼らもまたアメリカ合衆国など西側諸国により訓練・支援を受けた者たちだった。

カルテルが軍事組織化したことにより前述の通り暗殺、誘拐、拷問が常態化したほか、麻薬における収益に飽き足らず武力に物を言わせてメキシコの活動地域を「領地」とし、果てはその地域の石油資源や鉱山資源の略奪・密売を行うといった行為も可能になり[88]、メキシコ政府は取締を迫られている。

銃の密輸

コルト・ファイヤーアームズAR-15 A3 タクティカル・カービン
AK-47 スタイル・ライフル(現地ではCuerno de chivo(ヤギの角)と呼ばれている)
M4カービンとグレネード・ランチャー

メキシコ人には、を保有する憲法上の権利がある[90]。しかし、軍によってコントロールされているために、メキシコシティにある一つのガンショップから合法的に購入するのは非常に難しい[91]。麻薬カルテルは、アメリカもしくはグアテマラの国境を通るか、船便か、もしくは軍や警官から盗んで銃を密輸する[92]。そのため、闇市場によって銃が広く流通している。多くの銃は犯罪歴の無い女性によってアメリカで購入され、親戚や恋人、知り合いなどを通じて密輸人の手に渡り、2、3丁ずつメキシコへ密輸される[93]。密輸される銃の最も一般的なタイプは、AR-15やAK-47などの自動小銃FN Five-seveN自動拳銃、その他さまざまな50口径のライフルが含まれる[94]。AR-15およびAK-47は、メキシコで押収される前にアメリカで半自動(セミオート、引き金を引いても1発しか発射されない)の設定で購入されているが、それらはフルオート(連射)ができるように改造されていた[95]。2009年、メキシコは4,400丁以上のAR-15およびAK-47の密輸をつかんでおり、内30%のAK-47はフルオート射撃が可能なように改造するために選ばれており、事実上アサルトライフルを製作しているようなものであった[96]

また、複数の報告によると、治安部隊に対してグレネード・ランチャーが使われており[97]、少なくとも12丁のM4カービンM203 グレネードランチャーが押収された[98]。いくつかのこれら強力な武器と関連したアクセサリーは、米軍基地から盗まれた物である可能性があると考えられている[99][100]。しかしながら、大部分の米軍グレードの手榴弾のような武器と対戦車ロケットは、中央アメリカアジアでの戦争で残った、大量に供給された武器がカルテルによって獲得されたとも考えられる。2003年から2009年の間に150,000のメキシコ軍兵が逃亡したと報告されている。換言すれば、毎年メキシコ軍の約1/8が逃亡している事になり[101]、これらの逃亡者は、政府から支給されたアメリカ製の自動小銃も一緒に持ち去っている[102]

銃の起源

アメリカ政府は主にATF、ICE (en)およびアメリカ合衆国税関・国境警備局を通じて機材提供や訓練を行ってメキシコの技術を援助している[103]Project Gunrunner (en)は、メキシコ当局の協力とAFTの努力の一部分であり、その肝要は、アメリカに合法的に輸入されたか、アメリカで製造された銃を探すことを容易にするコンピューター・システムであるeTrace (en)を拡大させる事であった[104]

1992年以降(そして2009年)、米国議会調査部 (en)は、ATFの追跡システムはシステム操作上、法的な執行機関が個々の銃の所有履歴を確認することを助け、その統計を集めるようにはなっていなかったと述べた[105][106]。とは言え、2008年の2月にはAFTのフィールド・オペレーションの次官であったウィリアム・フーバーは、アメリカ中の様々な出所に由来するメキシコへの銃の密輸の90 %以上を回収したことを議会で証言した[107]。しかしながら、2010年9月にアメリカ合衆国の監査官局 (OIG, en)によるチェックによって、ATFは「メキシコの銃犯罪のごく一部にのみ適応したために議会での90 %という数字の言及は紛らわしくありえた」と認めた[104]。この2010年のOIGによる調査の間、ATFは、製造されるか輸入されるかしたことが判明している、アメリカに提供されたされたメキシコの銃犯罪に関する割合の情報の更新をすることが出来なかった[104]。そして、2010年11月にAFTに関するOIGの分析結果によると、27から44 %と非常に低い数字であったことが示唆された[108]。OIGによるATFのデータの分析によって、メキシコにおける銃拡散を追跡する試みは成功ではなかったと結論付けられた[109]。カルテルによって使われる軍用品や銃はアメリカが唯一の供給元であるわけではない一方で、カルテルの使う銃の供給元はかなりの割合でアメリカの銃販売店その他から供給されていることが確認された[110]。銃の密売人がしばし麻薬密売人と同様のルートを使うことも確立されており、さらに、ATFはメキシコのカルテルが銃と軍用品をグアテマラからメキシコへ輸送している事を発見した[110]

メキシコからの追跡要請の数は2006年度以降増加したが、メキシコに押収された銃の大部分は追跡されなかった[109]。さらに、メキシコからの大部分の追跡要請は、最初に銃を売った銃商人の特定に成功せず、追跡の成功率はProject Gunrunnerの開始以降減少した。成功していた大部分のメキシコの銃犯罪の追跡要請は、早まった、そして限られた調査の前例を生み出すために使われた[109]。アメリカのOIGの役員によって面談されたメキシコの捜査当局の上官は、追跡情報の通常の規定が限られており、ATFが銃の追跡の価値をメキシコ当局に十分に伝えていなかったために、銃の追跡が重要な捜査ツールであると見ていなかった[109]

ATFもしくはメキシコの警官が追跡情報を即座に収集できなければ、それは利用できなくなる[111]。メキシコの法律によれば、メキシコ政府に押収されたすべての銃は48時間以内にメキシコ軍に引き渡されなければならないとされている。メキシコ軍が銃の保管を行った後、ATFまたはメキシコ連邦警察は追跡を開始するために必要な情報を集めるためのメキシコ軍との早い接触を行えそうにないということが明らかとなった[111]。OIGの役員に面談されたメキシコ軍職員は、メキシコ軍の役目は武器を保管することであり、彼らは輸送調査を支援する特別な権限を有していないと述べた。武器にアクセスするためには、ATFの職員は各々の銃のためにメキシコの司法長官へと正式に要請しなければならず、アクセスを必要とする詳細な理由を挙げ、要請された情報がメキシコの犯罪捜査に必要であることを証明することで、やっと銃のシリアル番号や種類が提供される。しかし、もしATFが銃の種類とシリアル番号を持っているならば、ATFの職員は銃へのアクセスを要求する必要はない[111]。多くの武器が、基本的な情報が収集される前に軍に引き渡されるため、多くの武器に関する情報は追跡に利用されず、大多数のメキシコの銃犯罪に用いられた銃の追跡がされていない[111]。レポートによると、追跡データの質の悪さとその結果生じる高い失敗率は、トレーニングの不十分さを示唆しており、トレーニングは間違った人々に提供されたか、もしくはメキシコ警察の銃犯罪追跡に関する他の未確認の問題がある[112]

2010年11月にリリースされたOIGの最終報告では、ATFがメキシコの警察当局に銃追跡の価値を伝えることが出来なかったため、彼らは押収された犯罪に使われた銃から情報をたどる努力を優先させてeTraceへと入力することはありそうにないと結論付けた[113]。これは、メキシコ中でのスペイン語のeTraceを配備しようとするATFの計画の妨げとなっている。メキシコでの追跡の拡大がProject Gunrunnerの基礎であるため、現在、ATFのGunrunner戦略の実施の成功のためのかなりの障壁となっている。OIGの報告もまた、メキシコ政府機関からの要請の支援と多くのトレーニングに応じることが出来ず、メキシコ当局からの情報要請をATFが未処理にしていたことが、メキシコの警察とAFTとの間での調整を阻害したと報告している[114]。追加で、ATFがメキシコでのProject Gunrunnerの使命を完全に施行するための職員をメキシコのオフィスに置かなかったか構築しなかったことも判明した[114]

2009年、メキシコは彼らが305,424丁の押収された銃を保持していることを報告したが[115]、2007年から2009年の間に追跡のためにATFに提出されたデータは、69,808丁の取り戻された銃の分だけであった[95]。この押収物とトレースの差は、銃の権利団体が、大多数のメキシコの違法な銃が本当にアメリカから来たものなのかという問題を提言するような統計である[116]

アメリカの銃密売における傾向

およそ78,000人の銃のディーラーがアメリカにはいるが[117]、銃が示す窃盗と個人的な売上高は、認可されたディーラーよりも、銃犯罪に使われた銃は密売人による物の方が大きい[110]。銃の密輸業者は強要させることも知られており[118]、半自動のアサルトライフルおよび他の銃は銃ショップもしくは銃ショー (en)で購入するために市民もしくはアメリカの住民に支払われ、それからカルテルの代理人に譲渡される[95] [119] [120][121] [122] [123]。この交換はen:Straw purchaseとして知られている[124]

現在、コンピューター上での国家による銃の登録はアメリカに無い。しかし、銃の追跡システムは、個々の氏名と住所の記録を自動的に登録するなど、部分的に自動化されているとともに、情報を確認している。ATFの職員は、はじめ製造、モデル、シリアルナンバーによってナショナル・トレーシング・センター (en)で最初に5つのデータベースについて照会する。その上、職員は100以上のメーカー、輸入業者および卸売業者を自動化されたインターフェイスであるもう一つのコンピューターシステム(アクセス2000)を使用する[125]。もしこれらの方法が銃を特定する助けとならないのならば、職員はメーカーまたは輸入業者に電話をかけ、コンピューターによって最初にサプライチェーンを下って進め、それから電話し、最後の手段として徒歩や手紙を使う。銃の追跡はほとんど、最初の小売販売店以外では実際の書面や追跡に依存している。職員は始めの容疑者(購入者)を越えて銃の処理を追跡することは滅多にしないが、銃は最初の購入以来何度か売買されたかもしれない。探し出された銃の平均年齢は10年以上であり、メキシコで押収された銃には15年物もある[126][127][128][129][130][131]

メキシコへの途中に見つけられたルーマニアで製造されたAK-47の多くが、キットとしての部品かもしくは全ての銃として、アメリカが半自動アサルトライフルの輸入を禁止しているにもかかわらずヨーロッパからアメリカへ輸入されたと報告している[95]。他のタイプは2009年にも回復された。例えば、バイオレンス・ポリシー・センター (en)によると、2009年の1月1日から6月30日までに中国中国北方工業公司56式自動歩槍が281丁メキシコで押収された[95]。しかしながら、中国製の銃の輸入は1994年5月からアメリカによって禁止されている[132]

法律

アメリカ合衆国下院外交委員会では、メキシコへの違法な銃の流れを止めるためのATFの資源を増やすために7350万ドルを3年に渡って使用されることを認める請求 (H.R. 6028)が承認された[133]。議員はアメリカの銃輸送ネットワークの連邦取締りProject Gunrunnerのために、1,000万ドルの経済刺激政策を含ませた。この努力の一部として、ATFは追跡の「黄金の基準」として、ウェブ上での登録に言及したことにおいて、完全なアメリカの銃登録の経路の概略説明をした[134]

2009年6月、代表のコニー・マックは、メキシコ国境上の連邦捜査官の数を増やすように要求した[135]。アメリカ大統領のバラク・オバマは、アメリカ大陸中で小銃の密売を抑制するための、CIFTA (en)として知られているアメリカ大陸間の条約を批准するための提案を行った[136]。条約は、無許可の銃の製造と輸出を違法にし、武器の密輸を止めるために、異なる国の国境線上の警察の間で情報を共有するための方法を確立し、厳しいライセンス条件を採用して追跡がより簡単な銃の製造を行うことを、西半球の国に求める[137]

2010年10月、バイオレンス・ポリシー・センターからのスポークスマンは、例えば1968年の銃器規制法のような既存の銃規制法を制定することによって、購入者への外国製の対人殺傷用銃器の販売を制限する重要な進歩になると断言した[138]

武器の起源

銃器 主要なソース
AK系(半自動) アメリカ[95][139][140]
AK系(フルオート可) 中央アメリカ、南アメリカ、中東、アフリカ、中央アジア、南アジア、東アジア[141][142]
AR-15(半自動) アメリカ[95][143]
M16(フルオート可) おそらくベトナム[144]
破片手榴弾 M61手榴弾/M67手榴弾/マークII手榴弾/K400 中央アメリカ、韓国[145]イスラエル、スペイン、旧ソ連圏、グアテマラ[146]、ベトナム[144]、不明 [146][147]
RPG-7 /M72 LAW / M203 グレネードランチャー アジア、中央アメリカ/グアテマラ[146]北朝鮮[147][148][149][150]
バレットM82対物狙撃銃 アメリカ[95][146][147][150][151][152][153][154]
M2カービン (フルオート可) ベトナム[144]

アメリカの市民メディアによるいくらかの推測では、イスラム教徒のテロ集団は、メキシコの麻薬カルテルを支持しているかもしれない[155][156][157]。しかしながら、メキシコの元国家安全顧問および前国連大使のアドルフォ・アギラル・シンセル (en)や国家安全調査局(CISEN、メキシコの情報機関)の責任者であるエドワルド・メディナ=モラ・イカサ (en)、現在の司法長官は、外国のテロ集団がメキシコの犯罪組織と接触した兆候がなく、イスラム教徒のテロ集団がメキシコに居合わせていると思うような理由がないことを注意した[158]

メキシコへの影響

暴力

多数の衝突が起こっている州が赤色で示されている。
メキシコ海軍による太平洋沿岸の海上パトロール

司法長官のオフィスは犠牲者の10人中9人が組織犯罪グループのメンバーであり[159]、軍や警察の人員の間での死者は全体の7%であると述べた[160]。非常に多くの損害を受けた州はバハ・カリフォルニア州ゲレーロ州チワワ州ミチョアカン州タマウリパス州ヌエボ・レオン州およびシナロア州である。カルデロン大統領政府は、特に彼の故郷であるミチョアカン州で麻薬商人と現在戦っているが、ハリスコ州とゲレーロ州においてより多くの活動が行われており、2009年にはソノラ州において麻薬関係の暴力事件が増加している。

2006年12月24日にバハ・カリフォルニア州のエウジェニオ・エロルドゥイ (en)知事は、連邦政府と州の協力のもとで彼の州で行われている活動と類似した活動を行うことを宣言した。この活動は2006年12月下旬に国境の町ティフアナ市で始まった。

2007年1月までに、これらの様々な活動はチワワ州、ドゥランゴ州、シナロア州からなるいわゆる「黄金の三角地帯」と同様にゲレーロ州にも及んだ。2月にはヌエボ・レオン州およびタマウリパス州も同様に含まれた。犯罪組織は増加する圧力に対して、タマウリパス州ヌエボ・ラレドの代議員の暗殺未遂事件を起こした。

2007年10月初頭、アメリカの麻薬対策局長は、この麻薬戦争がアメリカにおける麻薬取引に著しい影響を及ぼしたことを示す数字を発表した。アメリカ国内の37の都市において、コカインの平均純度が11%低下しながらも価格は50%も上昇した。これは麻薬戦争によってコカインの供給量が激しく減少した証拠である[161][162]

2006年12月のカルデロン大統領就任以来、押収された麻薬と逮捕者数は跳ね上がった。メキシコは、全てのプライベート飛行機にグアテマラとの国境の町チアパス州タパチュラもしくはカリブ海沿岸にあるコズメル空港に点検のため立ち寄ることを強制するアメリカの新しい法律に従い、100人以上を引き渡し、一部では過去1年半の間に270機以上の飛行機を差し押さえたと言われている。

2008年7月10日、メキシコ政府は、麻薬密売との戦いにおいて、軍隊の役割を減らして連邦警察の力を倍近い大きさにする計画を発表した[163]Comprehensive Strategy Against Drug Traffickingとして知られるこの計画はまた、地方警察から汚職警官を追放することが必要である。計画の要素は既に動き出しており、麻薬戦争の軍隊への依存を減らすことを目的として大規模な警官の補充と訓練を含んでいる。

2008年7月16日、メキシコ海軍は、オアハカ州の南西200キロの地点を移動していた全長10メートルの潜水艦を取り押さえた。強襲において、特殊部隊はヘリコプターから潜水艦のデッキへと懸垂下降し、彼らが船を自沈させる前に4人の密輸業者を逮捕した。船からは5.8トンのコカインが発見され、船はメキシコ海軍の巡視艇によってオアハカ州のウアツルコ (en)まで曳航された[164][165][166][167][168]

カルデロン政権下のメキシコでは、政府がカルテルに損害を与えることに成功しているにもかかわらず、国の治安がより悪化しているかのように見えるというパラドックスを抱えている[169]。うなぎ上りに増え続ける麻薬関係の殺人の総数は、治安悪化の最も明確な兆候とされる。暴力は脅迫と恐怖によっても拡大した。警官の名前が記された暗殺リストの発見がされ、アメリカの国境沿いにある多くのメキシコの都市でますます暴力が常態化した。そのリストに名前が記された警官にも暴力が常態化した。その上、麻薬密売組織は国中の都市の高速道路の上に大きな旗を掲げ始めた。旗の多くは、ライバルに対する脅し、もしくは地方および連邦官僚に支えられた特定の犯罪グループであることを告発している。北メキシコでは、ロス・セタスへと脱離する警官や兵士に対して、より良い器材と高い賃金を与えるという新人採用の旗が現れた[169]

この対立がエスカレートした原因の一つに、密売人たちが彼らのテリトリーを要求し、恐怖を拡大するために新たな手法を使用したことが挙げられる。カルテルのメンバーは、処刑の動画をYouTube上に公開し[170]、混雑したナイトクラブに体のパーツを投げ込み、一般道に旗を掲げた[171]。2008年9月15日にはモレリアで2008年モレリア手榴弾攻撃事件英語版が起こり、混雑した広場に二つの手榴弾投げ込まれて10人が死亡し100人以上が負傷した[172]。これらの事件は、麻薬カルテルの取り締まりを命じられているメキシコ政府の職員の士気を奪うことを目的としていると見られている。別の意見としては、誰が戦争に勝利しているかを市民に知らしめるためであると見ている。少なくとも1ダースのメキシコのノルテノ・ミュージシャンが殺害された。犠牲者の大部分は、ナルコ・コリード (en)として知られる、メキシコの麻薬取引の物語を語るフォークソングを演奏しており、フォークの英雄としてリーダーは褒め称えられていた[173]

極端な暴力はメキシコへの対外投資を危うくしており、財務大臣のアグスティン・カルステンス (en)は、治安の悪化だけによって、ラテンアメリカで2番目に大きな経済規模を持つメキシコの国内総生産は毎年1%減少させられていると述べた[174]

シウダー・フアレスでは住民の4分の1がPTSDになっている[175]

当局の腐敗

メキシコのカルテルは、活動の一つとして裁判官を腐敗させるか脅迫するかしている[57][162][176]。国際麻薬統制委員会 (INCB)は、メキシコは近年腐敗を減らすために協調した努力を行ったものの、深刻な問題はそのままであると報告した[177][178]。連邦調査機関 (AFI)のエージェントの幾人かはシナロアカルテルのための暗殺者として働いていると信じられており、司法長官 (PGR)は2005年12月に、AFIの7000人のメンバーの内1500人近い人数が容疑者として取り調べられ、内457人が嫌疑を受けたと報告した[162]

近年、連邦政府はヌエボ・ラレド、ミチョアカン、バハ・カリフォルニアおよびメキシコシティで警官の起訴と追放を実施した[162]。2006年12月にカルデロン大統領によって開始された反カルテル運動には、警察もまたカルテルのために働いているという懸念があるため、所々で警官の武器の弾道チェックも含まれる[162]。2007年6月、カルデロン大統領は全31州および連邦直轄地から284人の連邦警察の指揮官を追放した[162]

「クリーンアップ・オペレーション」のもとで、2008年に数人のエージェントと高官が逮捕され、情報を売ったもしくは麻薬カルテルの保護を受けたとして告発された[179][180]。いくつかの目立つ逮捕としては、連邦警察の署長であったビクトル・ヘラルド・ガライ・カデナ[181]や組織犯罪対策部 (SIEDO en)の元部長であったノエ・ラミレス・マンドゥジャーノ (en)、元インターポールのメキシコ事務所長だったリカルド・グティエレス・バーガスなどがある。2009年1月に、元インターポールのメキシコ事務所長だったロドルフォ・デ・ラ・ガルディア・ガルディアが逮捕された[182]。ちょうど2009年7月5日に連邦下院議員に選ばれたフリオ・セサル・ゴドイ・トスカーノは、麻薬カルテルのラ・ファミリア・ミチョアカーナの幹部であることが告発された[183]。彼は現在、逃亡している。

2010年5月、ナショナル・パブリック・ラジオは、アメリカおよびメキシコのメディア、メキシコの警察当局、政治家、研究者その他を含む何十もの情報源から主張を集めて、シナロア・カルテルが贈収賄およびその他の手段でメキシコの連邦政府と軍隊に浸透し堕落させたと報告した。その報告書はまた、シナロア・カルテルが他のカルテルを破壊し、自分たちとそのリーダー「チャポ」を保護するために政府と共謀したとしている。メキシコ当局は、麻薬カルテルに対する政府の処遇に関して、いかなる贔屓もないと否定した[78][79]。以前に「なぜなら、カルテルのメンバーが司法長官のオフィスなどに浸透し、カルテルを起訴する立場である司法当局を腐敗させたからである」と報告されているように、カルテルを訴追することは困難である[184]

人権への影響

アメリカのメキシコにおける薬物統制の方針は、メキシコ経由での麻薬の密売を防ぎ、腐敗や暴力、恐怖をもたらしメキシコの人権状況に悪影響を与えた麻薬カルテルの力を削ぐという立場を取っている。これらの方針は、軍隊に一般人の薬物統制に対する責任を負わせ、反麻薬運動および治安維持を行うだけでなく、法律制定に関する力も有している。アメリカ合衆国国務省によって、メキシコの警察と軍隊は、彼らが麻薬カルテルと戦う政府の努力を行ったことによって深刻な人権侵害を犯していると非難された[185]。強大な力を持つ行政府と、腐敗した立法部と司法部もまた、メキシコの人権問題を深刻化させるのに寄与しており、その帰結として、拷問と脅迫を通じた警察による基本的人権の侵害や、基本的人権を守り維持すべき司法の無効化などの問題に至っている。人権組織によって示される人権侵害の形のいくつかは、違法逮捕や秘密かつ長期の拘留、拷問強姦、法廷での手続きを踏まない死刑、証拠の偽造などが含まれる[186][187][188]。アメリカの麻薬に対する方針は、高地位の密売人をターゲットにすることに失敗した。1970年代には、コンドル作戦 (en)の一部として、メキシコ政府は、麻薬の生産と左翼の反乱に苦しめられていた北メキシコの非常に貧しい地域に10,000人の兵士および警察を送った。何百人もの農民が逮捕され、拷問され、投獄されたが、重要な麻薬密売人は1人も捕まえることが出来なかった[189]

しばし無秩序で責任のない連邦調査機関の出現もまた、人権侵害の発生に関与している。メキシコの連邦調査機関 (AFI)が拷問と腐敗を含む多数の人権侵害案件に関与していたことが分かっている。1つの有名なケースは、AFIエージェントの抑留による、抑留者ギレルモ・ベレス・メンドーサの死亡がある。彼の死にかかわったAFIエージェントは逮捕されたが、彼は保釈によって解放された後に逃亡した[190]。同様に、ほぼ全てのAFIエージェントは、不正な行政官と司法システム、そしてこれらの機関の優越性のために逮捕と処罰を免れた。2005年12月、司法長官の事務所は、その所員の5分の1が犯罪活動の取り調べ中であり、7,000人のAFIエージェントの内1,500人近くが犯罪活動の嫌疑で取り調べを受け、内457人が告発に面していると報告した[191][192]。AFIはついに失敗であったと宣言され、2009年に解散した[193]

民族差別は麻薬戦争においても現れ、助けを得る事の出来ない原住民のコミュニティーが警察、軍隊、麻薬密売人および司法システムによって標的とされた。メキシコの国家人権委員会 (CNDH en)によると、2001年におけるメキシコの原住民の囚人のほぼ3分の1は、大部分が麻薬犯罪に関係する連邦犯罪によって収監されていた[194]

もう一つの主な懸案は、アメリカのレイリー法 (en)の実現の不足であり、それがメキシコの人権状況を悪化させる結果になっている。この米国法によって、人権侵害を犯したと確かに申し立てられた外国の治安部隊の集団もしくはメンバーは、米国の保安トレーニングを受けることが無いかもしれない。アメリカは、メキシコにおける軍隊と警察のトレーニングはレイリー法に違反していると主張している。このケースでは、アメリカのメキシコ大使館における人権と薬物統制プログラム担当の職員は、これらの違反を助け、教唆しているとして非難される。1997年12月には、重装備のメキシコ特殊部隊兵士の一団がハリスコ州のオコトランで20人の青年を誘拐した。関係する隊員の内6名は空挺特殊作戦群(Grupo Aeromóvil de Fuerzas Especiales,GAFE)のトレーニング・プログラムの一部として米国でトレーニングを受けていた[195]

ジャーナリストとメディアに対する影響

メディアおよび報道機関もまた攻撃を受けた。レポーターは誘拐されて殺され、メキシコのテレビ局であるテレビサのオフィスは爆破された。いくつかのメディアでは、単純に麻薬犯罪の報道を停止した。多くのレポーターは麻薬カルテルによる連絡を受けて脅迫されていた。カルテルはまた、一部の報道機関にも浸透している[196]。PTSDになっている記者もいる[175]

政治家の殺人

2010年、12人の市長がチワワ州、ドゥランゴ州、ゲレーロ州、オアハカ州およびミチョアカン州で殺害された。また、知事の候補者も殺害された[197]







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