ホメーロス ホメーロスの概要

ホメーロス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/19 08:08 UTC 版)

ホメーロス
Ὅμηρος
エピメニデス型」のホメーロスの肖像
紀元前5世紀ギリシアのオリジナルからのローマの複製
グリュプトテーク所蔵
誕生 紀元前8世紀
死没 不詳
職業 アオイドス
言語 古代ギリシア語
ジャンル 叙事詩
代表作イーリアス』、『オデュッセイア
ウィキポータル 文学
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今日でもなお、ホメーロスが実在したのかそれとも作り上げられた人物だったのか、また本当に2つの叙事詩の作者であったのかを断ずるのは難しい。それでも、イオニアの多くの都市(キオススミルナコロポーンなど)がこのアオイドスの出身地の座を争っており、また伝承ではしばしばホメーロスは盲目であったとされ、人格的な個性が与えられている。しかし、彼が実在の人物であったとしても、生きていた時代はいつ頃なのかも定まっていない。もっとも信じられている伝説では、紀元前8世紀とされている。また、その出生についても、女神カリオペーの子であるという説や私生児であったという説などがありはっきりしない。さらに、彼は、キュクラデス諸島イオス島で没したと伝承されている[2]

当時の叙事詩というジャンルを1人で代表するホメーロスが古代ギリシア文学に占める位置は極めて大きい。紀元前6世紀以降、『イーリアス』と『オデュッセイア』はホメーロスの作品と考えられるようになり、また叙事詩のパロディである『蛙鼠合戦』や、ホメーロス讃歌の作者とも見做されるようになった。主にイオニア方言などからなる混成的なホメーロスの言語フランス語版は紀元前8世紀には既に古風なものであり、テクストが固定された紀元前6世紀にはなおのことそうであった。両叙事詩は長短短六歩格フランス語版ダクテュロスヘクサメトロス)で歌われており、ホメーロス言語はこの韻律と密接に結び付いている。

古代において、ホメーロスの作品に与えられていた史料としての価値は、今日では極めて低いものと見做されている。このことは同時に、西洋において叙事詩というジャンルを確立した文学的創造、としての価値をさらに高めた。

伝記

古代人から見たホメーロス

ウィリアム・アドルフ・ブグロー『ホメーロスと案内人』(1874)

伝承では、ホメーロスは、盲目であったとしている。第一に、『オデュッセイア』でトロイア戦争を歌うために登場するアオイドスデーモドコスが盲目である――ムーサはデーモドコスから「目を取り去ったが、甘美な歌を与えた」[3]。第二に、『ホメーロス讃歌』のデロス島アポローン讃歌の作者が自分自身について「石ころだらけのキオスに住む盲人」[注釈 1]と語っている。この一節はトゥキディデスが、ホメーロスが自分自身について語った部分として引用している[4]

盲目の吟遊詩人」というイメージは、ギリシア文学の紋切り型であった。ディオン・クリュソストモスの弁論の登場人物の一人は、「これらの詩人たちは全て盲目であり、彼らは盲目であることなしに詩人となることは不可能だと信じていた」と指摘した。ディオンは、詩人たちがこの特殊性を一種の眼病のようにして伝えていったと答えている[5]。事実、抒情詩人ロクリスのクセノクリトスは、生まれつき盲目だったとされている[6]エレトリアのアカイオスフランス語版は、ムーサイの象徴である蜜蜂に刺されて盲目となった[7]ステシコロスは、スパルタヘレネーを貶したために視力を失った[8]デモクリトスは、より良く見るために自ら失明した[9]

全ての詩人が盲目だったわけではないが、盲目は頻繁に詩と結び付けられる。マーチン・P・ニルソンは、スラヴの一部地域では、吟遊詩人は儀礼的に「盲目」として扱われていると指摘している[10]――アリストテレスが既に主張していたように[11]、視力の喪失は記憶力を高めると考えられる。加えて、ギリシアでは非常に頻繁に、盲目と予知能力を結び付けて考えた。テイレシアース、メッセネのオピオネー[訳語疑問点]、アポロニアのエヴェニオス[訳語疑問点]ピネハスといった予言者たちは皆盲目であった。より散文的には、アオイドスは古代ギリシアのような社会で盲人が就けた数少ない職業の1つだった[12]

イオニアの多くの都市(キオススミルナコロポーンなど)がホメーロスの出身地の座を争っている。『デロス島のアポローン讃歌』ではキオスに言及しており、シモーニデース[13]『イーリアス』の最も有名な詩行の1つ「人の生まれなどというのは木の葉の生まれと同じようなもの」[14]を「キオスの男」のものであるとしており、この詩行は古典時代の諺ともなった。ルキアノス(120-180頃)は、ホメーロスを人質としてギリシアへ送られたバビロン人だとした(ὅμηροςは「人質」を意味する)[15]。128年に、ハドリアヌス帝にこの件を問われたデルポイの神託は、ホメーロスはイタケーの生まれでテーレマコスポリュカステーの息子であると答えた[16]。碩学の哲学者プロクロス(412-485)は著書『ホメーロスの生涯』において、ホメーロスはなによりもまず「世界市民」であったと、この論争を結論づけた。

実際のところ、ホメーロスの生涯については分かっていない。8つの古代の伝記が伝わっており、これらは誤ってプルタルコスヘロドトスの作とされている。これは恐らくギリシアの伝記作者の「空白恐怖」によって説明されうる[17]。これらの伝記のうち最も古いものはヘレニズム時代に遡り、貴重だが信憑性に乏しい詳細に満ちており、そうした詳細のうちには古典時代からのものも含まれている。それらによるとホメーロスはスミルナで生まれ、キオスに暮らし、キクラデス諸島イオス島で死んだことになる。本名はメレシゲネス――父はメレス川の神、母はニュンペーのクレテイスであった[注釈 2]。また同時に、ホメーロスはオルペウスの子孫、従弟、もしくは単なる同時代の音楽家であったという。

ホメーロスは歴史上の人物か?

近年になり、アングロサクソンの作家たちは『オデュッセイア』が紀元前7世紀のシチリアの女性によって書かれたとする仮説を打ち出し、『オデュッセイア』に登場するナウシカアーは、ある種の自画像だという。最初にこのアイデアを打ち出したのはイギリスの作家サミュエル・バトラーの『オデュッセイアの女性作家』(1897年)であった。詩人ロバート・グレーヴスが小説『ホメーロスの娘』でこの説を扱ったほか、2006年9月にも大学教員アンドリュー・ドルビー英語版が評論『ホメーロス再発見英語版』で取り上げている。

また、ホメーロスの実在を疑問視する者もある。ホメーロスという名前自体にも問題がある――ヘレニズム時代以前には他にこの名前を持つ人物は誰一人として知られておらず、ローマ時代となってもこの名前は稀で、主に解放奴隷が名乗っていた[18]。この名前は「人質」を意味しており、さまざまな物語がホメーロスがかくかくしかじかの都市から人質として渡されたのであると、この名前の由来を説明しようとしている。しかし、この語は通常は中性複数で現れるのであり(ὅμηρα)男性形では現れないと反論されている。紀元前4世紀の歴史家キュメのエポロスは、キュメの方言ではこの語は「盲目」を意味し、盲目であったために詩人にこの名が与えられたと説明した。その目的は、ホメーロスが同郷人であると示すことだった[19]。しかしながら、この語は他では証言されておらず、また「盲目」の語はコグノーメン(第3の名)として見られることはあっても、単独の名前としては付けられない[20]。加えて、叙事詩については匿名が一般的であり、作者の名前が添えられるのは例外であったとも強調されている[21]

こうしたことから、ホメーロスの存在そのものが「作り事」だという可能性も考えられる。マーチン・リッチフィールド・ウエスト英語版は、ホメーロスという人物はアテナイの学識者たちによって紀元前6世紀に作られたとしている。バーバラ・グラジオーシは、これらはむしろ全ギリシア的な運動だったのであり、ギリシア全土の吟遊詩人たちの表現に結び付いているとしている。

作品

イーリアス』冒頭の7詩行

イーリアス』と『オデュッセイア』は紀元前6世紀以降、ホメーロスの作品とされている。これら二大英雄叙事詩の他に、『キュプリア』『アイティオピス』『小イーリアス』『イーリオスの陥落』『帰国物語』『テーレゴニアー』が伝統的にホメーロス作と見なされてきた。『イーリアス』のパロディである喜劇的叙事詩『蛙鼠合戦』や、『ホメーロス讃歌』と呼ばれる叙事的な神々への讃歌33編の作者ともされているが、明らかにホメーロスの作品ではない。

さらに、古代においては、ヘーシオドスがあらゆる形の教育的な詩の代名詞となっていたのと同様に、ホメーロスの名は事実上全ての叙事的な詩の代名詞となっていた。よって、ホメーロスの名は叙事詩環の叙事詩の題名にしばしば結び付けられた。パロスのアルキロコスはホメーロスが喜劇的作品『マルギーテース』を書いたと考えた。ヘロドトスは、「ホメーロスの詩」がアルゴスへの言及のためにシキュオンのクレイステネス によって追放されたと伝えている[22] ――このことはテーバイ圏もまたホメーロスのものと考えられていたことを推測させる。ヘロドトス自身もまた『エピゴノイ[23]と『キュプリア[23]の作者がホメーロスであるかには疑問を呈している。『オイカリアーの陥落フランス語版』をホメーロスの作とする者もある。また、多くの古典期の作者たちが、『イーリアス』にも『オデュッセイア』にも出現しない詩行をホメーロスのものであるとして引用した――シモーニデース[24]ピンダロス[25]など。

『イーリアス』と『オデュッセイア』のみをホメーロスの作とするようになったのはプラトンアリストテレス以降であるが、それでも16世紀になってなお、デジデリウス・エラスムスは『蛙鼠合戦』がホメーロスの作であると信じていた。


注釈

  1. ^ « τυφλὸς ἀνήρ, οἰκεῖ δὲ Χίῳ ἔνι παιπαλοέσσῃ », vers 172. 讃歌は、紀元前7世紀中葉から紀元前6世紀初頭の間に作られたものである。
  2. ^ ハルポクラチオン英語版』によれば、メレスとクレテイスの物語は紀元前5世紀には既にヘラニコスが疑問視していたという。フィロストラトスの『映像[訳語疑問点]』にもこの話が現れる。(『Images』のフランス語訳
  3. ^ ディガンマがなければヒアートゥスとなる。

出典

  1. ^ Chantraine, Pierre (1999) (フランス語). Dictionnaire étymologique de la langue grecque, vol.II. II. Paris: Klincksieck. pp. 797. ISBN 2-252-03277-4 
  2. ^ フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編、樺山紘一監修『図説 世界史人物百科』Ⅰ古代ー中世 原書房 2004年 29ページ
  3. ^ 『オデュッセイア』VIII, 63-64.
  4. ^ 戦史』 III, 104.
  5. ^ Dion Chrysostome, Discours, XXXVI, 10-11.
  6. ^ FHG II, 221.
  7. ^ Snell, TrGF I 20 Achaeus I, T 3a+b.
  8. ^ Platon, Phèdre, 243a.
  9. ^ Diels, II, 88-89.
  10. ^ M. P. Nilsson, Homer and Mycenæ, Londres, 1933 p.201.
  11. ^ Aristote, Éthique à Eudème, 1248b.
  12. ^ R. G. A. Buxton, « Blindness and Limits: Sophokles and the Logic of Myth », JHS 100 (1980), p.29 [22-37.
  13. ^ Simonide, frag. 19 W² = Stobée, Florilège, s.v. Σιμωνίδου.
  14. ^ イーリアス(VI, 146).
  15. ^ Lucien, Histoire vraie (II, 20).
  16. ^ パラチヌス詞華集』(XIV, 102).
  17. ^ Kirk, p.1.
  18. ^ M.L. West, « The Invention of Homer », CQ 49/2 (1999), p.366 [364-382].
  19. ^ Éphore, FGrHist 70 F 1.
  20. ^ West, p. 367
  21. ^ West, p.365-366.
  22. ^ 歴史』(V, 67)
  23. ^ a b Hérodote (IV, 32).
  24. ^ Simonide, frag. 564 PMG.
  25. ^ 『ピティア祝勝歌』 (IV, 277-278).
  26. ^ Sénèque, De la brièveté de la vie (XIII, 2).(仏訳原文
  27. ^ a b Parry, p. XII.
  28. ^ Parry, p. XIII.
  29. ^ Parry, p. XIV-XV.
  30. ^ 『イーリアス』 (V, 576-579).
  31. ^ Iliade (XIII, 658-659).
  32. ^ E Lasserre, L'Iliade, Introduction, éd. Garnier-Flammarion.
  33. ^ De oratore, III, 40.
  34. ^ Jacqueline de Romilly, Homère, 1999.
  35. ^ Iliade (XVI, 215–217), extrait de la traduction de Frédéric Mugler. Voir aussi Iliade (XII, 105 ; XIII, 130-134) et peut-être Iliade (IV, 446-450 = VIII, 62-65).
  36. ^ Odyssée (IX, 390–395).
  37. ^ 井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』講談社学術文庫、2008年。 p152-153
  38. ^ fr:La Fille aux yeux d'or, édition Furne, 1845, vol.IX, p.2.(『金色の眼の娘フランス語版』)






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