ホセ・クルーズ・ジュニア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/15 17:10 UTC 版)
ライス大学 監督 | |
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サンディエゴ・パドレスでの現役時代 (2007年6月24日) | |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | プエルトリコ自治連邦区アローヨ |
生年月日 | 1974年4月19日(48歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 190 lb =約86.2 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1995年 MLBドラフト1巡目 |
初出場 | 1997年5月31日 |
最終出場 | 2008年6月5日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム |
アメリカ合衆国 プエルトリコ |
WBC | 2006年 |
この表について
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経歴
プロ入り前
1974年にプエルトリコで生まれ、テキサス州ヒューストンで育った[1]。父のホセ・クルーズの影響で少年時代から野球を始め、父の現役時代は直接指導を受けられずにいたが、1988年に父が引退するとバッティングと守備を重点的に教えてもらえ、上達していくのが自分でも分かったという[1]。
1992年6月1日、MLBドラフト15巡目(全体425位)でアトランタ・ブレーブスから指名を受けたが、この時は契約せず[2]、地元のライス大学へ進学した。1年の時から3年連続でオール・アメリカンに選出され、1994年に行われた第23回日米大学野球選手権大会では5番打者を務めた[1]。
プロ入りとマリナーズ時代
1995年6月1日にMLBドラフト1巡目(全体3位)でシアトル・マリナーズから指名され、プロ入り[2]。契約後、傘下のA-級エバレット・アクアソックスでプロデビューの後、A+級リバーサイド・パイロッツでプレーした。翌1996年はA+級ランカスター・ジェットホークス[3]、AA級ポートシティ・ルースターズ、AAA級タコマ・レイニアーズでプレーした。3球団合計で122試合に出場して打率.293、15本塁打、89打点を記録し、マリナーズのマイナー・リーグ最優秀選手に選出された[1]。
1997年のスプリングトレーニングでは左翼手のレギュラー最有力候補となり、プレシーズン・ゲームで22試合に出場し、打率.339、4本塁打、12打点を記録し、レギュラーは確定と思われたが、監督のルー・ピネラは経験を積ませるためマイナー行きを命じた[1]。
当時マリナーズのGMだったウッディ・ウッドウォードは「今シーズン中に必ず大リーグでメジャーデビューする」と明言し[1]、5月31日にマリナーズでメジャーデビューを果たした。メジャーに昇格したクルーズは、49試合で12本塁打を放つ活躍を見せた。
ブルージェイズ時代
1997年7月31日にマイク・ティムリン、ポール・スポルジャーリックとのトレードで、トロント・ブルージェイズへ移籍した[2]。ブルージェイズでも長打を量産し、55試合で14本塁打を記録するパワーを披露した。最終的に2球団合計では104試合の出場で26本塁打を記録した。アメリカンリーグのルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票ではノマー・ガルシアパーラが満票で受賞し、ガルシアパーラに次ぐ2位となった[4]。
メジャー2年目となる1998年は本塁打の生産ペースが落ち、1997年よりも1試合多い出場試合数で、本塁打数は15本も減少してしまった。
翌1999年も成績が振るわなかったが、2000年にはシーズン全162試合にフル出場し、31本塁打を記録した。しかし一方では打率が.242に留まり、三振も129三振を喫してしまった。2001年は打率、本塁打、および盗塁数で自己最高の成績を残し、30-30クラブ(30本塁打30盗塁)入りを達成した。2002年は成績が急落し、オフの12月21日にFAとなった。
ジャイアンツ時代
2003年1月28日にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約を結んだ[2]。同年は自身初の100四球を記録した。オフの10月22日には自身2度目となるFAになった。また、ゴールドグラブ賞を受賞した。
デビルレイズ時代
2003年12月17日にタンパベイ・デビルレイズと契約した[2]。
2004年は前年と大きく変わらない打撃成績を残したが、守備ではア・リーグ最多となる10失策を記録した。
ダイヤモンドバックス時代
2005年2月6日にケイシー・フォッサムとのトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[2]。
2005年は開幕をダイヤモンドバックスで迎えた。
レッドソックス時代
2005年7月30日にケニー・ペレス、カイル・ボーノの2選手(ともに当時マイナー選手)とのトレードで、ボストン・レッドソックスへ移籍した[2]。レッドソックスでは4試合に出場したのみだった。
ドジャース時代
2005年8月9日にはウェイバー公示となり、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[2]。
2006年はシーズン開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のプエルトリコ代表に選出された。シーズンでは前年に引き続きドジャースで開幕を迎えたが、打撃成績が低迷し、シーズン途中の8月1日にFAとなった[2]。
パドレス時代
2007年はサンディエゴ・パドレスと契約した。7月31日に自由契約となった [2]。
ヤンキース傘下時代
2007年8月18日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースでプレーした。
アストロズ時代
2008年には父がコーチを務めているヒューストン・アストロズと契約した。プレシーズン・ゲームでは打撃好調で開幕メジャー入りを果たしたが、6月6日に自由契約となった。翌日に行われたインタビューで引退の可能性を示唆し[5]、その後はどの球団とも契約せずに引退した。
引退後
引退後はMLB選手会の選手担当特別補佐を経た後、2021年よりデトロイト・タイガースのコーチ(後に役職は打撃コーチ補佐に決まる)を務める[6]。シーズン中の6月9日にタイガースを退団して母校のライス大学野球部の監督に就任した [7]。
クルーズ・ベースボール・ファミリー
ホセ・クルーズ・ジュニア(Jr.)とされている事からも分かるように、元メジャーリーガーのホセ・クルーズの息子である。叔父のトミー・クルーズとヘクター・クルーズもそれぞれ元メジャーリーガーである。
また、息子のトレイ・クルーズは2020年のMLBドラフト3巡目(全体73位)でタイガースから指名され[8]、プロ入りしている。
- ^ a b c d e f 福島良一「明日のスーパースターを目指すニューウェーブたち ホセ・クルーズ・ジュニア」『月刊メジャー・リーグ』1997年8月号、ベースボールマガジン社、1997年、雑誌 08625-8、58頁。
- ^ a b c d e f g h i j “Jose Cruz Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年8月1日閲覧。
- ^ 1996年より球団名変更で1996年から2000年までマリナーズ傘下
- ^ “Baseball Awards Voting for 1997” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年8月1日閲覧。
- ^ “Jose Cruz Jr. Calls This a Sad Day” (英語). My Fox Houston. 2008年11月4日閲覧。
- ^ Jason Beck (2020年12月8日). “José Cruz Jr. named to Hinch's coaching staff” (英語). MLB.com. 2021年4月22日閲覧。
- ^ Jason Beck (2021年6月12日). “Hessman promoted to assistant hitting coach” (英語). MLB.com. 2022年2月26日閲覧。
- ^ Jason Beck (2020年6月17日). “Tigers reach deals with draftees Cruz, Keith” (英語). MLB.com. 2021年4月22日閲覧。
- 1 ホセ・クルーズ・ジュニアとは
- 2 ホセ・クルーズ・ジュニアの概要
- 3 詳細情報
- 4 関連項目
固有名詞の分類
ボストン・レッドソックスの選手 |
カイル・スナイダー フレッド・ケンドール ホセ・クルーズ・ジュニア ビクター・マルティネス ウィリー・モー・ペーニャ |
ロサンゼルス・ドジャース及びブルックリン・ドジャースの選手 |
ダリル・スペンサー デュアネル・サンチェス ホセ・クルーズ・ジュニア ジム・トーミ ジェフ・ケント |
サンフランシスコ・ジャイアンツの選手 |
ジョージ・フォスター ディオン・サンダース ホセ・クルーズ・ジュニア マーク・デローサ ジェフ・ケント |
サンディエゴ・パドレスの選手 |
ピート・ウォーカー フレッド・ケンドール ホセ・クルーズ・ジュニア ランディ・レディ アル・バンブリー |
トロント・ブルージェイズの選手 |
ハワード・バトル ピート・ウォーカー ホセ・クルーズ・ジュニア ジェフ・ケント フアン・サミュエル |
シアトル・マリナーズの選手 |
エリック・アンソニー ブレット・ブーン ホセ・クルーズ・ジュニア リッチ・ゴセージ R.A.ディッキー |
ヒューストン・アストロズの選手 |
マーク・サッコマーノ ジェフ・バグウェル ホセ・クルーズ・ジュニア パット・リスタッチ ジェフ・ケント |
タンパベイ・レイズ及びタンパベイ・デビルレイズの選手 |
ドワイト・グッデン ジョン・ロッカー ホセ・クルーズ・ジュニア ジョン・スウィッツァー カート・バーキンス |
アリゾナ・ダイヤモンドバックスの選手 |
ホセ・バルベルデ デュアネル・サンチェス ホセ・クルーズ・ジュニア ビル・マーフィー ロドリゴ・ロペス |
プエルトリコの野球選手 |
カルロス・ポンセ ジャンカルロ・アルバラード ホセ・クルーズ・ジュニア ヘクター・クルーズ フェリックス・ミヤーン |
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