ペロポネソス戦争 影響

ペロポネソス戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/10 00:27 UTC 版)

影響

ソクラテスの弁明とアナバシス

戦争の結果、デロス同盟は解放され、アテナイでは共和制が崩壊してスパルタ人指導の下に寡頭派政権(三十人政権)が発足し、恐怖政治による粛清を行なった。だが、9ヶ月でトラシュブロス率いる共和制派勢力が三十人政権を打倒し政権を奪取する。共和制政権のもとでは、ペロポネソス戦争敗戦の原因となったアルキビアデスや、三十人政権の指導者のクリティアスらが弟子であったことから、ソクラテスアニュトスらによって糾弾され、公開裁判にかけられて刑死した[2]紀元前401年の同時期、アケメネス朝ペルシアではアルタクセルクセス2世小キュロスの間で後継者争いのクナクサの戦いが起こった。この戦いに参加したクセノポンは『アナバシス』を記した。

ペルシア帝国の資金支援

アテナイはデロス同盟の支配者たる地位は失ったものの、有力ポリスとして存在し続けた。ペルシア帝国のギリシャ地方支配に対抗したスパルタに対して、ペルシャ帝国は敵対するアテナイやテーバイ、後にはコリントスなどのスパルタと敵対するポリスに資金支援を行い、諸ポリスが合従連衡を繰り返してスパルタに対抗した(例えばコリントス戦争大王の和約)。紀元前379年にようやくスパルタがギリシャとエーゲ海における覇権を握ったが、海上交易のもたらす富が市民の間に貧富の差を生み、主に自作農から構成された兵役を担う自由市民が700名程度にまで減少したため、質実剛健を旨とするリュクルゴス制度(古代ギリシア語: Λυκούργος, 英語: Lycurgus)は打撃を受けた。

ボイオティア戦争

紀元前378年、アテナイがデロス同盟に代わる第二次海上同盟英語版を再び結成した。ギリシア世界がボイオティア戦争英語版で慢性的な戦争状態に陥り、徐々に衰退する一方で、アテナイは紀元前375年ナクソス沖の海戦英語版でペルシア軍を打ち破り、海上の覇権を取り戻した。紀元前371年、スパルタ軍はレウクトラの戦いエパメイノンダスに率いられたテーバイ軍に敗北し、ギリシアの覇権を失った。一時的に覇権を握ったテーバイも、紀元前362年マンティネイアの戦いでエパメイノンダスが戦死すると覇権を失った。

マケドニアの台頭

紀元前357年にテーバイを中心とする同盟市と第二次海上同盟を擁するアテナイの間で同盟市戦争英語版が勃発し、紀元前356年にはテーバイを中心とするアンフィクテュオニア評議会(隣保同盟)とフォキスを中心とするアテナイ・スパルタ連合軍の間で第三次神聖戦争英語版が起こった。紀元前355年に同盟市戦争は同盟市の勝利におわり、第二次海上同盟は崩壊。紀元前346年に第三次神聖戦争も隣保同盟が勝利し、隣保同盟側に参戦したマケドニア王国のフィリッポス2世は影響力を強めた。紀元前347年プラトンが死去し、アリストテレスが故郷のマケドニアに帰国してアレクサンドロス3世の家庭教師になったこともこの後の歴史に大きな影響を与えた。紀元前338年カイロネイアの戦いマケドニア王国にアテナイ・テーバイ連合軍は敗北し、マケドニアの覇権が成立した。こうしてギリシア世界はマケドニアの支配下に置かれることになったのである(スパルタだけはマケドニア主導のヘラス同盟(コリント同盟)に加わらず、後にアギス3世が反マケドニアの兵を起こすも、紀元前331年メガロポリスの戦いで敗れた)。紀元前336年にフィリッポス2世が暗殺されると一時的にヘラス同盟は混乱に陥ったが、アレクサンドロスが権力を掌握。紀元前334年にアレクサンドロスは、ペルシア戦争以来のギリシア世界の宿敵ペルシアを倒すためにマケドニア軍を率いて東征に乗り出した(アレキサンダーの東征英語版)。


  1. ^ 明石和康『ヨーロッパがわかる 起源から統合への道のり』岩波書店、2013年、関連年表頁。ISBN 978-4-00-500761-5 
  2. ^ この経緯は、クリティアスの従兄弟でソクラテスの弟子プラトンが四部作『エウテュプローン』、『ソクラテスの弁明』、『クリトン』、『パイドン』に記録し、後世に伝えられている。






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