フレッド・ホイル その他の論争

フレッド・ホイル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/15 13:00 UTC 版)

その他の論争

  • ホイルは、始祖鳥化石の真贋についても疑問を投げかけた。ホイルは、リチャード・オーウェンがダーウィンに対抗するために始祖鳥を偽物と知りながら大英博物館に購入したと主張したが、この問題を調べたS.J.グールドはこのストーリーはホイルの空想に過ぎないと断じている。この問題が今日まで創造論者の格好の進化論攻撃の材料として使われている。
  • 電波干渉計の開発とパルサーの発見に対して1974年にノーベル賞が贈られた際に、ジョスリン・ベル・バーネルが受賞者に含まれなかったことを非難した。ホイル自身もパルサーからのパルス電波信号の正体を決定するのに重要な役割を果たしていたが、ホイルもノーベル賞の受賞対象にはならなかった。
  • ホイルはまた、定常宇宙論をめぐってキャベンディッシュ研究所電波天文学グループのマーティン・ライルと有名な激しい論争を繰り広げた。この影響で、1960年代にはキャベンディッシュ電波天文学グループと天文学研究所の間の共同研究が制限された。

研究以外の活動

ホイルは1950年代に BBC で天文学に関する一連のラジオ番組に出演している。これらの内容は『The Nature of the Universe』という本にまとめられている。

またホイルは、数多くの一般向けの科学書を執筆した。SF小説も執筆しており、科学者としての経験・知識を生かした作品が多いが、そうでないものも書いている。代表的な作品には『暗黒星雲 (The Black Cloud)』や『アンドロメダのA (A for Andromeda)』(1961年にテレビシリーズ化。2006年にテレビ映画化されDVD邦題『スピーシーズNEO』)、時間に関する自説を織り込んだと言われるハードSF『10月1日では遅すぎる (October the first is too late)』などがある。

1957年にホイルは王立協会フェローに選出され[6]1972年にはナイトに叙せられた。

受賞・叙勲


  1. ^ デニス・オーヴァバイ『宇宙はこうして始まりこう終わりを告げる(英語タイトル:Lonely Hearts of the Cosmos)』(第一版)白揚社、2000年。ISBN 4826900961 
  2. ^ p.68
  3. ^ 科学の終焉 ジョン・ホーガン著 徳間書店
  4. ^ [訃報] フレッド・ホイル卿死去 定常宇宙論の提唱者
  5. ^ Richard Dawkins, The Blind Watchmaker: Why the Evidence of Evolution Reveals a Universe Without Design, W. W. Norton, 1996 (リチャード・ドーキンス (著)、日高敏隆(翻訳) 『盲目の時計職人』 早川書房 2004年)
  6. ^ "Hoyle; Sir; Fred (1915 - 2001)". Record (英語). The Royal Society. 2011年12月11日閲覧






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