パレスチナ 歴史

パレスチナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 02:32 UTC 版)

歴史

古称は「フル」、「カナン」という。 その後ペリシテ人という民族が沿岸部に住むようになり[注 3]、パレスチナという言葉はこのペリシテ(Philistines)という言葉がなまったものと考えられている。

紀元前15世紀古代エジプトファラオトトメス3世が、メギドの戦いで勝利、パレスチナはエジプトの支配下に置かれた。

紀元前13世紀頃には、ペリシテ人によるペリシテ文明が栄えていたが、ペリシテ人は民族集団としてはその後滅亡し、その後紀元前10世紀頃にイスラエル民族によるイスラエル王国エルサレムを中心都市として繁栄した。

紀元前930年頃に、イスラエルは北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した。イスラエル王国は紀元前722年アッシリアサルゴン2世に滅ぼされた。もう一つの南のユダ王国は、紀元前609年メギドの戦いヨシアが、エジプトのファラオ・ネコ2世に敗死させられ、エジプトの支配下に置かれることになる。さらに紀元前597年には東より攻めてきたバビロニアの支配下に置かれ、紀元前587年にはそのバビロニアに滅ぼされた。

これ以後も三大陸の結節点に位置するその軍事上、地政学上の重要性から相次いで周辺大国の支配を受けたが「パレスチナ」という呼称自体は根強く残っており、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』では、『創世記』の内容を引用する形で各地の地名の由来を説明する際、ミツライム(注:ヘブライ語でのエジプトを指す)の系統で唯一今日(注:1世紀後半)に残った名前[注 4]として「パレスチナ」の名を挙げている[3]。 ローマ帝国内では当初この辺の行政区分はシリア属州(パレスチナ以外に北東部の中東内陸の地域も含む)とユダヤ属州と呼ばれていたが、135年バル・コクバの乱を鎮圧したローマ皇帝ハドリアヌスは、それまでのユダヤ属州名を廃し、属州シリア・パレスチナ (en:Syria Palaestina) と改名した。

7世紀にはイスラム帝国が侵入し、シリアを支配する勢力とエジプトを支配する勢力の戦争の舞台となった。11世紀にはヨーロッパから十字軍が派遣され、エルサレム王国が建国されるが、12世紀末にはアイユーブ朝サラーフッディーンに奪還され、パレスチナの大半はエジプトを支配する王朝が治めた。16世紀になると、エジプトのマムルーク朝を滅ぼしたオスマン帝国がパレスチナの支配者となる。オスマン帝国ではパレスチナはシリアと呼ばれた。

イギリス委任統治領パレスチナのパスポート英語版と委任統治領時代に使われた通貨パレスチナ・ポンド英語版

19世紀以降、ヨーロッパで次々に国民国家が成立し、各地で民族の自己認識が促されると、ユダヤ人もオスマン帝国領のパレスチナに入植し始めた。第一次世界大戦でオスマン帝国は崩壊し、シオニズムに押された大英帝国と列強は国際連盟で「ユダヤ人のナショナル・ホームをパレスチナに確立する」としてイギリス委任統治領パレスチナの創設を決議した。イギリス委任統治領メソポタミアのようにパレスチナという古い呼称を復活させたのはマーク・サイクス英語版の方針であった[4]。パレスチナの初代高等弁務官はユダヤ人のハーバート・サミュエルが選ばれた。第二次世界大戦後、ホロコーストで同情を集めたシオニズムに押されてアメリカ合衆国などの国は国際連合パレスチナ分割決議を採択した。それに伴いイスラエル建国され、反発したアラブ諸国とイスラエルとの間で第一次中東戦争が勃発、イスラエルが勝利しパレスチナの8割を占領するに至る。この時期に多くのパレスチナ人が難民化してパレスチナ問題が発生。

1967年に起こった第三次中東戦争では、イスラエルがさらにガザ地区ヨルダン川西岸地区を占領。

1987年には第一次インティファーダが勃発。

イスラエル政府とパレスチナ解放機構 (PLO) は長い闘争の末、1993年になってオスロ合意を結び、1994年からパレスチナの一部でPLOのヤーセル・アラファート大統領が主導する自治が開始された。しかし、オスロ合意で定められたパレスチナ問題の包括的解決に向けた話し合いは頓挫し、さらにイスラエルとの和平に合意しない非PLO系の組織によるテロや軍事行動が続いた。2000年以降、再びイスラエルとパレスチナ自治政府との間でゲリラ戦が再燃し、和平交渉が事実上の停止状態にある。

一方、パレスチナ自治政府側は、停戦に応じても、イスラエルが一方的に攻撃を続けていると指摘。実情は、「停戦とはパレスチナ側だけに課せられたもの」となっていると主張している。たとえば、2001年、イスラエルのアリエル・シャロン首相はパレスチナ自治政府との交渉停止を通告し、アラファート大統領を軟禁。再開に「7日間の平穏」とさらに「6週間の冷却期間」を要求した。しかし、平穏が達成されたかどうかは、イスラエル側が判断するとした。パレスチナ自治政府側の停戦は37日間続き、ハマースが反撃したため、なし崩し的に停戦は消えてしまった。

アラファートの死後、マフムード・アッバースが後継者となった。2005年2月8日、2000年10月以来4年4ヶ月ぶりにシャロン首相は首脳会談に応じた。両者の暴力停止(停戦)が合意されたが、交渉再開は停戦継続を条件としている。現在でも双方の攻撃が完全に収まったわけではなく、困難が予想される。


注釈

  1. ^ ラテン文字転記:Filasṭīn仮名文字転記:フィラスティーン、口語(現地方言)発音:Falasṭīn(ファラスティーン)
  2. ^ ラテン文字転記:Palestina、仮名文字転記:パレスティナ
  3. ^ 旧約聖書ではカナン先住民族のカナン人とペリシテ人は別系統で、「カフトル」という所から来たのがペリシテ人としている(『創世記』10:13-14、『申命記』2:23など)。
  4. ^ 『創世記』の第10章では「ノアの子孫が様々な所に移住し、その名前が地名となった。」という趣旨の神話が乗っているが、この中でノアの孫ミツライムの系統の1つがペリシテとなっている。
  5. ^ ただし、第三次中東戦争以降はイスラエルが実効支配し続けている。

出典

  1. ^ 米の和平案「スイスチーズのよう」 アッバス議長が批判:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2020年2月12日). 2023年11月20日閲覧。
  2. ^ (グローバル語録)「米の和平案はスイスチーズのようだ」”. 日本経済新聞 (2020年2月18日). 2023年11月20日閲覧。
  3. ^ 『ユダヤ古代誌』第1巻第6章。(日本語訳はフラウィウス・ヨセフス 著、秦剛平 訳『ユダヤ古代誌1 旧約時代編[I][II][III][IV]』株式会社筑摩書房、1999年、ISBN 4-480-08531-9、P62-64。)
  4. ^ Easterly, William (27 February 2007). The White Man's Burden: Why the West's Efforts to Aid the Rest Have Done So Much Ill and So Little Good. Penguin (Non-Classics). p. 295. ISBN 0-14-303882-6.
  5. ^ 『読売新聞』1月15日[いつ?]号「米国務長官、アッバス議長への軍事支援を明言」
  6. ^ 早尾貴紀 (2007年6月15日). “ハマスとファタハの抗争と連立内閣崩壊を言う前に――意図的な連立潰し”. Staff Note. パレスチナ情報センター. 2020年6月12日閲覧。
  7. ^ Karma Nabulsi (2007年6月18日). “The people of Palestine must finally be allowed to determine their own fate”. The Guardian. https://www.theguardian.com/commentisfree/2007/jun/18/israel.comment 2020年6月12日閲覧。 
  8. ^ 「パレスチナのピノチェト」が動き出した? トニー・カロン(Tony KARON)
  9. ^ Virginia Tilley (2007年6月18日). “Whose Coup, Exactly?”. The Electronic Intifada. 2020年6月12日閲覧。
  10. ^ “Various Arab and European countries urge P.A to go for early elections”. IMEMC News (International Middle East Media Center). (2007年4月30日). https://imemc.org/article/48079/ 2020年6月12日閲覧。 
  11. ^ Israeli interrogators demand detained MP's to resign from their posts[リンク切れ]
  12. ^ 時事通信社 南米諸国、相次ぐパレスチナ国家承認=和平交渉に一石も、イスラエルは反発
  13. ^ “パレスチナ、国連加盟を申請…米は拒否権行使へ”. 読売新聞. (2011年9月24日). https://web.archive.org/web/20110924210519/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110924-OYT1T00095.htm 2011年11月2日閲覧。 
  14. ^ “パレスチナ、ユネスコ加盟…米は「時期尚早」”. 読売新聞. (2011年11月1日). https://web.archive.org/web/20111102010741/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20111031-OYT1T01157.htm 2011年11月2日閲覧。 
  15. ^ “国連、パレスチナを「国家」に格上げ 決議案採択”. 日本経済新聞. (2012年11月30日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK30006_Q2A131C1000000/ 2012年11月30日閲覧。 






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