ハワイ (競走馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/20 15:13 UTC 版)
ハワイ | |
---|---|
欧字表記 | Hawaii |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1964年 |
死没 | 1990年1月16日 |
父 | ユトリロ |
母 | エタン |
生国 |
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生産者 | プラットベルク牧場 |
馬主 | チャールズ・W・エンゲルハード |
調教師 |
ジョージ・アッツィー(南アフリカ) マッケンジー・ミラー(アメリカ) |
競走成績 | |
生涯成績 | 28戦21勝 |
獲得賞金 |
66,236ランド +279,280ドル |
ハワイ(Hawaii、1964年 - 1990年)とは、1960年代に南アフリカと北アメリカで活躍した南アフリカの競走馬である。後にアメリカで種牡馬となり、エプソムダービー優勝馬ヘンビット等を輩出した。半兄に南アフリカの名馬、ウィリアムペンがいる。
父ユトリロはイタリア産でフェデリコ・テシオの生産、母エタンはエチル産駒で13頭の仔のうち11頭が勝ち上がるという優秀な繁殖牝馬だった。ハワイはこの両親の間に1964年プラットベルク牧場で生まれた。幼い頃から素晴らしい馬体を持っていたと言われ、1歳時のランドショウの品評会では優勝し、直後に調教師ジョージ・アッツィーによって9030ランドという高額で買われ、チャールズ・W・エンゲルハードの持ち馬となった。
戦歴
南アフリカ
アッツィーの元ヨハネスブルグで調教され、デビュー戦を7馬身差をつけて勝ち、続いて8馬身、8馬身と大きな着差とともに勝ち進んだ。だが5戦目、7ハロン(約1400メートル)に距離が伸びたチャンピオンナースリーステークスでは距離不安から3着に敗れている。
3歳になり不安視されたマイル戦も克服すると、トランスヴァール州のロイヤルリザーブギニー(現サウスアフリカンクラシック)、ケープ州のケープギニー、ナタール州のサウスアフリカンギニーという、南アフリカ3州のギニーレースを全て制すゴールデンマイル三冠(ギニー三冠)を9連勝で達成した。南アフリカの競馬は3つの地域にそれぞれクラシックレースが設けられており、どの地域でもダービーよりギニーの方が格が高い。ハワイは依然として長距離の競走に不安があったため、3つのダービーを全て回避している。
ただ、この後さらに距離が伸びたロスマンズジュライ(現ダーバンジュライ)は4着に敗戦し、適距離では快勝も、再び距離が伸びたチャンピオンステークスでは兄ウィリアムペンの2着に敗れている。既にゴールデンマイル三冠達成後に北アメリカへの遠征が発表されており、スプリングチャンピオンスプリングステークスでの勝利を最後にアメリカ合衆国へと渡った。南アフリカでは18戦15勝の成績を残した。
アメリカ合衆国
アメリカ合衆国へと渡ったハワイだったが、輸送に時間が掛かった上、南半球とは逆の季節、厳しい検疫のため完全に調子を崩してしまい、アメリカ競馬に姿を見せたのは8ヶ月後だった。
6月のアローワンスでいきなり7馬身差の圧勝を見せ、続く2戦目のダートでは6着に負けたが、3戦目のスターズ&ストライプスハンデキャップ、5戦目のバーナードバルークハンデキャップ、7戦目のユナイテッドネーションズ招待ハンデキャップ、8戦目のサンライズハンデキャップに勝利した。
10月にはベルモントパーク競馬場のマンノウォーステークスに出走し、逃げるノースフライトを交わして圧勝した。最終戦となったワシントンD.C.インターナショナルではイギリスのカラバスに敗れたが、この年の活躍が認められ、全米芝チャンピオンに選出された。
競走成績
1966/67年(6戦5勝)
- イーストランドジュヴェナイルステークス
1967/68年(10戦9勝)
- ロイヤルリザーブギニー、ケープギニー、サウスアフリカンギニー、ターフフォンテンスプリント、チェアマンズハンデキャップ、クレアウッドウインターハンデキャップ
1968/69年(2戦1勝 69年南半球での出走なし)
- スプリングチャンピオンステークス
1969年(10戦6勝 69年前半分の出走を含む。米時代) - 全米芝チャンピオン
- マンノウォーステークス、サンライズハンデキャップ、ユナイテッドネイションズハンデキャップ、スターズ&ストライプスハンデキャップ、バーナードバルークハンデキャップ
- 2着 - ワシントンDCインターナショナル
引退後
その後はアメリカで種牡馬となりエプソムダービー優勝馬ヘンビットを輩出している。日本には産駒のハンザダンサーが輸入された。
主な産駒
- ヘンビット(エプソムダービー)
- ハワイアンサウンド(ベンソン&ヘッジズゴールドカップステークス)
- サンアンドスノウ(ケンタッキーオークス)
血統表
ハワイの血統(ダンテ系/Blenheim5×4=9.38%) | (血統表の出典) | |||
父 Utrillo 1958 栗毛 |
父の父 Toulouse Lautrec1950 栗毛 |
Dante | Nearco | |
Rosy Legend | ||||
Tokamura | Navarro | |||
Tofanella | ||||
父の母 Urbinella1953 鹿毛 |
Alycidon | Donatello | ||
Aurora | ||||
Isle of Capri | Fair Trial | |||
Caprifolia | ||||
母 Ethane 1947 鹿毛 |
Mehrali 1939 芦毛 |
Mahmoud | Blenheim | |
Mah Mahal | ||||
Una | Tetratema | |||
Uganda | ||||
母の母 Ethyl1936 鹿毛 |
Clustine | Captain Cuttle | ||
La Mauri | ||||
Armond | Lomond | |||
Arcola F-No.1-l |
外部リンク
「ハワイ (競走馬)」の例文・使い方・用例・文例
- ハワイでは季節と季節の間にはっきりした変わりめがない
- ハワイ旅行が当たったって?そりゃおもしろい冗談だ
- ハワイ州知事
- ハワイ諸島
- ハワイの年間平均気温
- 私たちはジャマイカに行くかハワイに行くかまだ決まっていない
- ハワイの日系住民
- そのはがきはハワイの消印になっていた
- ハワイからの帰路便は向かい風のため長かった
- 沖縄にも行ったことがないのに,ハワイなどはもちろん行ったことはない
- 彼らは映画のロケ地をハワイに変更した
- ハワイに新婚旅行に行く
- 今度の冬はハワイで休暇を過ごそうよ
- 彼女は今ハワイを旅している
- 「この夏休みにハワイに行くつもりなんだ」「それはすごいね」
- タイムシェアを利用してハワイのコンドミニアムに1週間滞在した。
- ハワイは1959年に州の地位を得た。
- ハワイの日本移民の文化変容的変化を調査した。
- ステージでは、少女たちがハワイのフラダンスを踊っていた。
- ジョンがハワイに持っているエステートはカラカウア通りにある。
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