ノルマントン号事件
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関連図書
- 『英船「ノルマントン号」沈没乗客ノ件』(『日本外交文書』19)
- 川合彦允「ノルマントン号事件」(『日本古書通信』166)
- 曽我播編『英国汽船諾曼頓号事件裁判録』大津・奎章閣、1887年(明治20年)
脚注
参考文献
- 井上清『条約改正』岩波書店〈岩波新書〉、1955年9月。
- 家永三郎、鈴木良一、吉村徳蔵ほか 著「第10章「日本の資本主義とアジア」」、家永三郎 編『ほるぷ教育体系「日本の歴史5」』ほるぷ出版、1977年11月。
- 藤村道生 著「条約改正-国家主権の回復」、野上毅 編『朝日百科日本の歴史10 近代Ⅰ』朝日新聞社、1989年4月。ISBN 4-02-380007-4。
- 田中正広 著「ノルマントン号事件」、国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典第11巻 にた-ひ』吉川弘文館、1990年9月。ISBN 4-642-00511-0。
- 酒田正敏 著「ノルマントン号事件」、小学館 編『日本大百科全書』小学館〈スーパーニッポニカProfessional Win版〉、2004年2月。ISBN 4099067459。
- 西牟田崇生『黎明期の金刀比羅宮と琴陵宥常』国書刊行会、2004年12月。ISBN 4336046530。(水難救済会初代会長についての研究書)
- 中島耕二、辻直人、大西晴樹『長老・改革教会来日宣教師事典 (日本キリスト教史双書)』新教出版社、2003年。ISBN 978-4400227403。
- 中島耕二『近代日本の外交と宣教師』吉川弘文館、2011年。ISBN 978-4642038096。
関連項目
- ハートレー事件 - 1879年イギリス人ハートレーによるアヘン密輸事件
- ヘスペリア号事件 - 1879年ドイツ船ヘスペリア号が日本の検疫を拒んだ事件
- メンザレ号遭難事件 - 1887年フランス船メンザレ号が上海沖で遭難した事件
- 神戸外国人居留地
- 領事裁判権
- 英国高等領事裁判所
- 長崎事件
- 千島艦事件
- 人種差別
注釈
- ^ うち3人は凍死しており、上陸後に埋葬された。田中(1990)p.444
- ^ 井上清『条約改正』(1955)では日本人乗客数を23名としている。また、イギリス人船員38名とインド人給仕1名のうち助かったのは、ドレーク、イギリス人水夫25名、給仕のインド人の計27名で、水夫のうち13名は水死したと記している。さらに、沈没したのは10月25日午前1時ごろ、ドレークが串本にこぎつけて救助されたのはその日の朝9時ごろとしている。井上(1955)p.39
- ^ 「白痴瘋癲(はくちふうてん)」とは馬鹿で気が狂っていること。
- ^ 歌詞中「奴隷鬼」は船長ドレークの名をもじったものである。家永(1977)p.103
出典
- ^ a b c d e f g 田中(1990)p.444
- ^ 藤村(1989)p.82
- ^ a b 酒田(2004)
- ^ a b 家永(1977)p.102
- ^ a b c d e 井上(1955)p.39
- ^ a b 明治一九年 英国汽船ノルマントン号裁判蘆田東一、関西大学大学院院生協議会『法学ジャーナル』1995年12月
- ^ a b 時事新報史<番外編>『時事新報』と義捐金(1)ノルマントン号事件と磐梯山噴火都倉武之、慶応義塾大学出版会、2011年7月15日
- ^ ノルマントン号事件とエルトゥールル号の遭難和歌山県教育委員会「和歌山県ふるさと教育副読本 わかやま発見」
- ^ 中島(2011年) pp.107-108
- ^ 中島(2011年) pp.105-106
- ^ 家永(1977)p.103
- ^ 西牟田(2004)
- ^ 秘話ノルマントン号事件 仮面の舞踏
ノルマントン号事件と同じ種類の言葉
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