ニコ・ティンバーゲン
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ニコ・ティンバーゲン | |
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ティンバーゲン(左)とローレンツ(右)。1978年。 | |
生誕 |
1907年4月15日 オランダ、ハーグ |
死没 | 1988年12月21日(81歳) |
居住 | イギリス |
国籍 | オランダ、イギリス |
研究分野 | 動物学, 動物行動学 |
研究機関 | オックスフォード大学 |
出身校 | ライデン大学 |
博士課程 指導学生 |
デズモンド・モリス リチャード・ドーキンス |
主な受賞歴 | ノーベル生理学・医学賞 (1973) |
プロジェクト:人物伝 |
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ティンバーゲンの研究は、一部は当時のアメリカ心理学界で有力であった行動主義への反発として行われた。ティンバーゲンは動物の行動が環境刺激への単なる反応ではなく、より複雑な動物の内面の情動に起因すると考え、行動の生理的、現象的な側面だけでなく、進化的な側面の研究の重要性を強調した。それに関連して示した生物学の4領域(ティンバーゲンの4つのなぜとも呼ばれる)は行動生態学など後の行動生物学分野の重要なフレームワークとなっている。
生涯
1907年にオランダのデン・ハーグで小学校教師だった父親ディルク・ティンベルヘンと母親ヤーネッタ・ファン・エークの間に5人兄妹の3番目として生まれる。ライデン大学に入学すると指導教官とともにハーグ近くのセグロカモメの営巣地で研究を行った。その後、フォン・フリッシュの研究とファーブルの著作の影響を受け、ジガバチの帰巣能力を研究対象とした。1932年から33年にかけてオランダ派遣団の一員として、まだ西洋化されていなかったグリーンランドのイヌイットの間で生活を送った。この経験は40年後にティンバーゲンが人類の祖先の生活を復元しようと試みたときに役立てられた。
オランダに戻るとC・J・ヴァン・デア・クラーウ教授の下で講師となった。ヴァン・デア・クラーウに動物行動の講義を命じられたことで、本格的に研究を開始する。1936年にヴァン・デア・クラーウは「本能」に関する小さなシンポジウムのためにコンラート・ローレンツをライデン大学に招き、ティンバーゲンはローレンツと初めて出会った。二人はすぐに意気投合し、ローレンツのアルテンベルクの家に招待されて「弟子」となった。オランダへ帰る際にミュンヘンのフォン・フリッシュの研究所を訪問し、同時にナチ党の伸張を目の当たりにして不安を覚えた。
1938年にアメリカへ招かれ、講演の合間にYMCAとグレイハウンドを利用して各地を旅行した。この間にエルンスト・マイヤーやロバート・ヤーキーズの元を訪れた。そこではアメリカの心理学を支配していた行動主義に困惑したと後に述べている。
オランダへ帰るとまもなく第二次世界大戦が勃発し、ローレンツとの通信が途絶えた。ローレンツは徴兵され、ティンバーゲンはユダヤ人職員を解雇するという大学の決定に抗議してドイツ軍の捕虜収容所で二年を過ごした。ティンバーゲンがすでに死んだと思っていたローレンツと再会したのは、ケンブリッジ大学の動物行動学者W.H.ソープが1949年に自宅で開いた個人的な催しであった。戦後アメリカ、イギリスに招かれ、マイヤー、デイビッド・ラックと友好を深めたことで進化学と生態学への関心は決定的となった。アメリカでの講義は『本能の研究』と題されて出版された。ラックとオックスフォードの動物学者アリスター・ハーディはティンバーゲンに英国への移住を勧めた。ハーディは行動生物学の研究を励まし、その研究はピーター・メダワーによって支援された。ハーディの後任となった J・W・S・プリングルは研究を励ますだけではなく、行動生物学と神経生理学の間の溝を埋めることを勧めた。オックスフォード大学に学際的なヒューマンサイエンス・スクールが設置されたことは、動物行動学を人間に適用したいという若い頃の願望を刺激することになった。
タンザニアの国立公園理事J・S・オーエンの依頼でセレンゲティ研究所の設立に協力した。1962年に王立協会フェローに選出され[1]、1972年には同協会からクルーニアン・メダルを受賞した。1966年にオックスフォード大学の教授となった。
1970年代からは妻とともに自閉症の研究に関心を寄せ、ジェローム・ブルーナーの児童行動学研究所に協力した。しかし彼の自閉症は親の行動に起因するという主張は、当時にあっても若干の驚きを引き起こした。1974年にオックスフォード大学を退職した。1988年に自宅で脳卒中のために死去した。
業績
受賞対象となったのはイトヨの本能行動に関する研究である。彼の研究は元々は鳥類を対象としていたが、のちにその研究方法を転用して自閉症児の治療教育の研究も手がけた。アレクサンダーテクニークの熱心な実践者でもあり、ノーベル賞受賞講演の中でも大きく取り上げて紹介した。オックスフォード大学ではわずか8年の間にデズモンド・モリス、パトリック・ベイトソン、リチャード・ドーキンスなど優れた動物行動学者を育てた。
- ^ "Tinbergen; Nikolaas (1907 - 1988)". Record (英語). The Royal Society. 2011年12月11日閲覧。
- 1 ニコ・ティンバーゲンとは
- 2 ニコ・ティンバーゲンの概要
- 3 ティンバーゲンの4つのなぜ
- 4 参考文献
- 5 外部リンク
固有名詞の分類
進化生物学者 |
ロバート・トリヴァース ジョン・メイナード=スミス ニコ・ティンバーゲン 木村資生 グラント夫妻 |
イギリスの生物学者 |
ギデオン・マンテル ジョン・メイナード=スミス ニコ・ティンバーゲン グラント夫妻 ソリー・ズッカーマン |
鳥類学者 |
堀田正敦 チャールズ・シブリー ニコ・ティンバーゲン グラント夫妻 黒田清子 |
生態学者 |
ウィリアム・ドナルド・ハミルトン デイビッド・ラック ニコ・ティンバーゲン 鈴木邦雄 グラント夫妻 |
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