グレート・ウェスタン鉄道
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グレート・ウェスタン鉄道 | |
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運行 | 1838年–1948年 |
後継 | イギリス国鉄西部局 |
軌間 | 1,435 mm |
過去の軌間 | 7フィート0.25インチ(2,140ミリメートル) |
全長 | 3,797マイル(約6,111キロメートル)(1924年時点) |
本社 | イギリス・ロンドン |
グレート・ウェスタン鉄道はその略称GWRにちなんで、「神の素晴らしい鉄道」(God's Wonderful Railway) とか「大遠回り」(Great Way Round) などと呼ばれたが、サウス・ウェスト・イングランドのリゾート地へ多くの人々を運んだことから、「休日線」(Holiday Line) としても知られた。会社の機関車は多くが自社のスウィンドン工場で製造され、ブランズウィック・グリーンで塗装されていた一方、客車はその期間中の大半、チョコレートとクリームのツートーンカラー塗装を採用していた。貨車は当初赤で塗装されていたが、後に灰色に変更された。
GWRの長距離列車には、フライング・ダッチマン、コーニッシュ・リヴィエラ・エクスプレス、チェルトナム・スパ・エクスプレスなどがあった。また多くの近郊列車、地方の列車なども運行しており、一部は蒸気動車やオートコーチ(制御客車と蒸気機関車を組み合わせた固定編成方式の列車)などで運転されていた。またイギリスで一般的なものより大型で経済的な貨車の使用を開始した会社でもある。またバス網も運営しており、レールウェイ・エア・サービスという航空会社の運営に参画し、また船舶、桟橋、ホテルなども所有していた。
歴史
創始期
GWRは、ブリストルの港がイギリスで2番、そしてアメリカとの貿易では1番であることを維持し続けたいというブリストルの商人たちの望みから発祥している。船の規模が次第に大型化し、またブリストルを流れるエイヴォン川に土砂が堆積しつつあったことから、リヴァプールがますます魅力的な港となっており、さらに1830年代にはリヴァプールとロンドンと結ぶ鉄道が建設中であったことから、ブリストルの地位は脅かされていた。これに対するブリストルの回答は、ロンドン側での関係者と協力して、ブリストルとロンドンを結ぶ独自の鉄道路線を、リヴァプールへ建設中の路線をはるかに上回る水準で建設することであった[1]。
会社は1833年にブリストルで開かれた公開集会で設立され、1835年の議員立法により法人格を得た。当時29歳だったイザムバード・キングダム・ブルネルが技術者に任命された。これはその時点までで彼にとって群を抜いて大きな契約であり、彼は2つの論議を巻き起こす決断を行った。まず、高速で安定した走行ができるように、車体の外側に大きな車輪を装備できるよう、約7フィート(2.13メートル)の広軌を選んだことがある。2番目にマールバラ・ダウンズの北を通るルートを選択したことがあり、そこには重要な都市はなかったが、オックスフォードやグロスターへ将来的に接続の可能性があった。多くの助けを得ながら、ロンドンからブリストルまでの全線を彼自身が調査した。その助けの中には、ブリストルの法務事務所オズボーン・クラークから雇った彼の事務弁護士のジェレミア・オズボーン (Jeremiah Osborne) がおり、ある機会には彼自身がエイヴォン川でボートを漕いで、岸辺のルート調査を行うブルネルを案内したこともあった[2][3]。
ジョージ・トーマス・クラークはこのプロジェクトにおいて技術者として重要な役割を果たし、テムズ川に架かるゲートハンプトン橋およびマウルスフォード橋、そしてパディントン駅などを含む2つの工区の監督をしたとされる[4]。大規模な土工作業に関わったことがクラークに地質学や考古学への関心をもたらしたと思われる。後にクラークは匿名でこの鉄道に対する2冊のガイドブックを書き、1冊はジョン・クック・ボーンによるリトグラフを挿絵としており[5]、もう1冊にはブルネルのやり方と広軌採用への批判を含んでいた[6]。
パディントン駅からメイデンヘッド・ブリッジ駅までの最初の22.5マイル(約36キロメートル)の区間は、1838年6月4日に開通した。メイデンヘッド橋が完成して1839年7月1日にトワイフォード駅まで延長され、深いサニング切通しを通ってレディング駅まで1840年3月30日に開通した。この切通しでは2年後に、地すべりに貨物列車が突っ込んで、無蓋貨車に乗っていた10人の旅客が死亡する事故(サニング切通し鉄道事故)が発生した。この事故が、鉄道会社に対してより良い客車を旅客に提供することを求める1844年鉄道規制法をイギリスの議会が制定するきっかけとなった。レディング駅からスティーブントン駅までの次の区間ではテムズ川を2回渡り、1840年6月1日に開通した。さらにファリンドン・ロード駅までの7.25マイル(約12キロメートル)が1840年7月20日に開通した。この間、ブリストル側でも工事が開始されており、1840年8月31日にブリストルからバース・スパ駅まで11.5マイル(約19キロメートル)が1840年8月31日に開通した[7]。
1840年12月17日にロンドン側からの路線はスウィンドンの西にあり、ロンドンのパディントン駅から80.25マイル(約129キロメートル)の地点にある暫定的なターミナルであるウートン・バセット・ロード駅まで開通した。ウートン・バセット・ロード駅からチッペナム駅までの区間は1841年5月31日に開通し、同時にサイレンセスター・タウン駅までのチェルトナム・アンド・グレート・ウェスタン・ユニオン鉄道が接続するスウィンドン・ジャンクション駅も開業した。この路線はGWRが工事をした独立路線で、1841年6月14日にブリストルからブリッジウォーター駅までの最初の区間が開通したブリストル・アンド・エクセター鉄道と同様である。GWRの本線で最後の区間となったのが全長1.83マイル(約2.95キロメートル)のボックストンネルで、1841年6月30日に開通し、これによりロンドンのパディントン駅からブリストルを通りブリッジウォーター駅まで152マイル(約245キロメートル)に列車が運行されるようになった[8]。1851年にGWRは、ロンドン、レディング、バース、ブリストルを結ぶ競合輸送事業者であったケネット・アンド・エイヴォン運河を買収した[9]。
GWRは、チェルトナム・アンド・グレート・ウェスタン・ユニオン鉄道やブリストル・アンド・エクセター鉄道を含め、いくつかの広軌の鉄道会社と緊密にかかわっていた。サウス・デヴォン鉄道は1849年に開通して広軌の線路がプリマスまで伸び[10]、そこからコーンウォール鉄道がロイヤルアルバート橋を渡ってコーンウォールまで1859年に開通して[11]、最終的にウェスト・コーンウォール鉄道によりペンザンス駅にまで1867年に到達した。ただしウェスト・コーンウォール鉄道は当初は4フィート8.5インチ(1,435ミリメートル)の標準軌(当時は狭軌と呼ばれていた)で建設されていた[12]。サウス・ウェールズ鉄道はチェプストウ駅とスウォンジー駅の間を1850年に開通させ、ブルネルが建設したチェプストウ橋により1852年にGWRと接続された。大西洋横断航路の港が開設されたネイランド駅まで1856年に開通した[13]。
セヴァーン川の河口が横断するにはあまりに広すぎたことから、当初はロンドンからウェールズまで直結する路線は無かった。代わりに列車は、橋を架けられるくらい川幅が狭くなるグロスターまで遠回りな経路を走らねばならなかった。セヴァーントンネルの工事は1873年に始まったが、予期しない地下水の噴出により工事は遅れ、開通は1886年まで遅れることになった[14]。
軌間戦争
1844年に広軌のブリストル・アンド・グロスター鉄道が開通したが、グロスターには既に標準軌のバーミンガム・アンド・グロスター鉄道の路線が開通していた。この結果軌間の断絶が生じて、南西部と北部の間を移動するすべての乗客と貨物が列車の乗換・積み替えを強いられることになった。これが軌間戦争の始まりで、議会が軌間委員会を招集することになった。委員会は1846年に標準軌に好意的な結論を出した。同年ブリストルとグロスターの間をミッドランド鉄道が買収し、1854年にこの区間を改軌してブリストル・テンプル・ミーズ駅まで三線軌条とし、これにより広軌・標準軌の双方の列車が走れるようになった[15]。
GWRはミッドランド鉄道およびロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道と競争し、ウェスト・ミッドランズへと路線を延長していった。バーミンガム・スノーヒル駅までは、オックスフォード駅経由の路線が1852年に、そしてウルヴァーハンプトン・ロー・レベル駅経由の路線が1854年に開通した[16]。ここが広軌の到達した最北地点であった[17]。同年、シュルースベリー・アンド・バーミンガム鉄道とシュルースベリー・アンド・チェスター鉄道がGWRに合併したが、これらの路線は標準軌であった[9]。またGWR自身がオックスフォード以北に建設した路線も、三線軌条で建設されていた。この三線軌条区間はオックスフォードから南に伸ばされ、1856年末にベイシングストーク駅まで開通して、これによりロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道経由でイングランド北部からの貨物が積み替えなしに南海岸まで運べるようになった[16]。
グラフの数値 | |||
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年(いずれも12月31日時点) | 広軌 | 三線軌条 | 標準軌 |
1851年 | 269マイル (433 km) | 3マイル (4.8 km) | 0マイル |
1856年 | 298マイル (480 km) | 124マイル (200 km) | 75マイル (121 km) |
1861年 | 327マイル (526 km) | 182マイル (293 km) | 81マイル (130 km) |
1866年 | 596マイル (959 km) | 237マイル (381 km) | 428マイル (689 km) |
1871年 | 524マイル (843 km) | 141マイル (227 km) | 655マイル (1,054 km) |
1876年 | 268マイル (431 km) | 274マイル (441 km) | 1,481マイル (2,383 km) |
1881年 | 210マイル (340 km) | 254マイル (409 km) | 1,674マイル (2,694 km) |
1886年 | 187マイル (301 km) | 251マイル (404 km) | 1,918マイル (3,087 km) |
1891年 | 171マイル (275 km) | 252マイル (406 km) | 1,982マイル (3,190 km) |
ベイシングストークまでの路線は当初、GWRの領域からロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道の標準軌路線を締め出しておく目的で、バークス・アンド・ハンツ鉄道により広軌で建設されたが、1857年にGWRとロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道は南海岸にあるウェイマス駅まで共同路線を開通させた。この路線はGWRのチッペナム経由のものと、ウィルツ・サマーセット・アンド・ウェイマス鉄道が開通させたものであった[16]。さらに西へ、ロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道は、広軌のエクセター・アンド・クレディトン鉄道、ノース・デヴォン鉄道[20]、そして標準軌のボドミン・アンド・ウェイドブリッジ鉄道を買収した。これらのロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道の鉄道網から離れた場所にあった鉄道が連絡されるまでには数年かかり、直通貨物はGWRとその関連会社が取り扱っていた[21]。
この時点までに軌間戦争は広軌の敗北となり、1861年にはパディントンまで三線軌条が敷かれ、ロンドンからチェスターまで直通旅客列車が走れるようになった。広軌のサウス・ウェールズ鉄道は1862年にGWRに合併し、ウェスト・ミッドランド鉄道もこれに続いた。当初はミッドランズへのさらなる広軌路線として計画されながら、政治的・物理的な争いの結果標準軌で建設されたオックスフォード・ウースター・アンド・ウルヴァーハンプトン鉄道も、ウェスト・ミッドランド鉄道とともにGWRへ合併した。1869年4月1日に、オックスフォードからウルヴァーハンプトンの区間と、レディングからベイシングストークまでの区間で、広軌の使用が停止された。8月にはグレンジコート駅からヒアフォード駅までの区間が広軌から標準軌に転換され、スウィンドンからグロスターを通ってサウス・ウェールズまでの区間の全線も1872年5月に同様に転換された。1874年には本線における三線軌条がチッペナムまで延長され、そこからウェイマスまでの路線は標準軌に転換された。翌年ボックストンネルも三線軌条となり、広軌の列車はブリストル以遠といくつかの支線への直通列車のみとなった[22]。
ブリストル・アンド・エクセター鉄道はGWRへ1876年1月1日に合併した。この会社は既に三線軌条への転換を開始しており、エクセターセントデイビッド駅までの区間はGWRにより1876年3月1日に完成した。この駅はロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道と1862年から共同利用していた。この競合会社がエクセター・アンド・クレディトン線をさらに西へ伸ばし1876年にプリマスに到達し、これがサウス・デヴォン鉄道を刺激してGWRと合併することになった。コーンウォール鉄道は名目上は1889年まで独立した会社として存続したが、GWRが会社の大株主であった。最後に広軌で新線が開通したのが西コーンウォールにあるセント・アイブス・ベイ線で、1877年6月1日に開通したが、その後1879年にプリマスのサットンハーバーで小さな広軌の延伸区間もあった[12]。サットンハーバーには三線軌条の分岐器の一部が残存しており、広軌の軌条がそのままに残されている数少ない例である[23]。
GWRがロンドンからペンザンスに至る全線を支配下に収めた後、残された広軌の線路の改軌作業を始めた。最後の広軌の列車はパディントン駅を1892年5月20日金曜日に出発した。その後の月曜日から、ペンザンス始発の列車は標準軌の機関車で運転された[24]。
20世紀に入って
1892年以降、2つの軌間での列車を運行するという重荷が無くなり、会社は新線の建設や既存路線で遠回りをしていた区間を短絡する改良工事などに取り組み始めた。開通した主な新線としては以下のようなものがある[25]。
- 1900年: チャンネル諸島方面への交通のために、ウェイマスへの短絡路線として、バークス・アンド・ハンツ線とウェストベリー駅を結ぶスタート・アンド・ウェストベリー鉄道
- 1903年: ウートン・バセットからセヴァーントンネル連絡のためのサウス・ウェールズ・アンド・ブリストル・ダイレクト鉄道
- 1904年: コーニッシュ本線のサルタッシュ駅とセント・ジャーマンズ駅の間の迂回路線、本線上に残されていた最後の木造高架橋を除却した
- 1906年: ロンドンからペンザンスまでの所要時間をレディングとトーントンの間で短縮するための、ラングポート・アンド・キャッスル・ケイリー鉄道
- 1909年: バーミンガムとノース・ウォーウィックシャー間、1906年に完成していたチェルトナムとハニーボーンの間と組み合わせることで、バーミンガムからストラトフォード・アポン・エイヴォン駅を経由してサウス・ウェールズへの新しい経路を形成
- 1910年: ロンドンからアインホー・フォー・デディントン駅およびそれ以北への短絡路線を形成するために、グレート・セントラル鉄道と共同でバーミンガム・ダイレクト線を建設
- 1913年: フィッシュガード・ハーバー駅への列車がスウォンジーを通らなくて済むようにする、スウォンジー・ディストリクト線、フィッシュガード港は大西洋横断航路を誘致するために開かれ、ブリテン島とアイルランドを結ぶフェリーに対してネイランドの港より優れた設備となっていた
一般的に保守的な傾向にあったGWRが、第一次世界大戦前の時期に他に実施した改良としては、食堂車の導入、三等客車の改善、蒸気暖房の導入、急行列車のスピードアップなどがあった。こうした改善はおもに主任技術者のT.I.アレンと、エドワード7世の治世下における鉄道を率いた一連の有能な経営者たちによるものであった。1895年から1905年まで会長を務めたエムリン子爵、1896年から1903年までゼネラルマネージャーを務めたジョセフ・ウィルキンソン卿、その後継者で前の主任技術者であったジェームズ・イングリス卿、そしてやはり主任技術者を務めたジョージ・チャーチウォードらである。田舎に新線を建設する代わりにバスの営業を始めたり、既存の支線でより安く運行するために蒸気動車の使用を開始したりしたのもこの時期であった[25]。
ビッグフォーの1つとして
1914年に第一次世界大戦が勃発し、国内のほとんどの主要な鉄道は政府の管理下に置かれ、GWRも例外ではなかった。多くの職員が軍に志願し、設備の建設・維持が平時以上に困難になった。終戦後は完全国有化も検討されたが却下され、代わりに1921年鉄道法によって1923年までに何百社もあった私鉄を大手4社に整理する大合併が実施されることとなった。こうしてGWRのほかロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道、ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道、サザン鉄道が誕生したが、GWRは唯一、大合併後も元の名前を維持した。
大合併によりGWRは特にウェールズ地方のネットワークが拡充し、旧カンブリアン鉄道の295マイル(約475キロメートル)、旧タフ・ヴェール鉄道の124マイル(約200キロメートル)などが仲間入りした。イングランド地方においてもいくつかの路線が加えられ、かつてはミッドランド鉄道と共同で運営していたミッドランド・アンド・サウス・ウェスタン・ジャンクション鉄道はGWR単独の保有となり、北部からチェルトナム、アンドーバーを通ってサウサンプトンへの直通輸送を行う路線と、スウィンドンにおける第2の駅がGWRのものとなった。
1930年代は困難な時代となったが、世界恐慌にもかかわらず会社は比較的健全な財務状態を保った。1929年開発(融資・保証・助成)法によりGWRは資金を得て、その代わりに雇用を刺激する策を採ることになり、この資金でロンドン・パディントン駅、ブリストル・テンプル・ミーズ駅、カーディフ中央駅などの改良工事が行われ、また車両基地の改良、混雑緩和のための追加の線路の工事などに使われた。バスの運行は地域のバス会社に譲渡されたが、代わりにGWRはバス会社の株を得た。また航空輸送に参入した[26]。
広軌の名残として、GWRはイギリス基準では車両限界を大きくとっており(軌間と車両限界は直接関係あるわけではないが、広軌の方が横転しにくいと考えられていたので黎明期でも余裕をもって設定されていた。)、最大高と最大幅が他のイギリスの鉄道が13ftから13ft1in(3,962~3,988mm)・9ft(2,793mm)程度が一般的だったのに対し、GWRのみ4,110mm・2,946mmと現代日本のJR(4100mm・3000mm)なみの大きさ[27]であり、これにより1929年に大西洋横断航路の旅客をロンドンに運ぶ豪華なスーパーサルーンが造られた[28]。1935年に会社が百周年を迎えた際には、「センテナリー」(Centenary、百周年という意味)の客車がコーニッシュ・リヴィエラ・エクスプレス用に製造され、これにも大型の車両限界が生かされた[29]。
第二次世界大戦とその後
1939年の第二次世界大戦の勃発とともに、GWRは再び政府の管理下に入り、戦争が終わるころには労働党が政権についていて、再度鉄道網の国有化を計画し始めた。数年にわたって戦災からの復興に取り組んだ後、グレート・ウェスタン鉄道は1948年1月1日にイギリス国鉄西部局となった。GWRという会社自体は法的にはさらに2年ほど存続し、1949年12月23日に公式に解散した[30]。GWR設計による機関車や車両はしばらくの間製造が続行され、また駅や急行列車などにチョコレートとクリームの塗装をするなど、地域の特徴も保たれていた他、蒸気機関車の塗装に至ってはGWRの「ブランズウィック・グリーンにオレンジと黒の帯」がイギリス国鉄の旅客機全体の色に制定され、番号もGWRだけ4桁のまま変更なしとなった(他社は万位に3~6のいずれかが付いた)[31]。
国有化後40年してイギリス国鉄は民営化され、旧GWRの区間で南ウェールズや南西イングランド方面への旅客輸送を行う列車運行会社はグレート・ウェスタン・トレインズとして古い名前を復活させた。この会社はその後ファーストグループのファースト・グレート・ウェスタンとなったが、2015年にブランド名変更によりグレート・ウェスタン・レールウェイとなった。線路は上下分離方式によりレールトラックに移管され、その後ネットワーク・レールが引き継いでいる。これらの会社が駅や橋などを適切に保存しており、歴史的なGWRの構造物を今でも見ることができる。
路線網
当初のグレート・ウェスタン本線はロンドンパディントン駅からレディング、ディドコット、スウィンドン、チッペナム、バースを通ってブリストルのブリストル・テンプル・ミーズ駅までを結んでいた。この路線はさらに西へエクセター[32]、プリマス[10]を通ってトルーロ[11]やイングランド最西端の駅であるペンザンス[12]まで延長された。ブルネルやグーチはGWRの機関車工場をスウィンドンの村の近くに設定し、初期には多くの列車がここで機関車交換を行っていた。ロンドンから西へここまではゆったりとした上り勾配であったが、ここからは急な勾配となり、ブルネルの時代の原始的な機関車では、勾配に適した小さな車輪を持った機関車で運転するのが好ましかった。この勾配はどちら向きにもあり、最初はウートン・バセットを通りエイヴォン川を渡るまで下り、その後再び上ってチッペナムを通りボックストンネルに入り、そこから再びエイヴォン川の谷に沿って下ってバースやブリストルへ向かう[33]。
スウィンドンは、北西方向へグロスターへ、そしてそこからセヴァーン川の反対側をカーディフやスウォンジー、西部ウェールズへと通じる路線の分岐点でもあった。この路線は後に、セヴァーントンネルを通ってもっと直接的に東西を結ぶ路線が開通したことによって短絡された。さらにディドコットからオックスフォードへの路線があり、そこからはウルヴァーハンプトンまで、バーミンガム経由とウースター経由の2通りの路線があった。ウルヴァーハンプトンから先では、路線はシュルースベリー、クルー、チェスターを通ってバーケンヘッドへと通じていた。他社との運行協定により、GWRの列車をマンチェスターまで運転できた。ロンドンとブリストルを結ぶ本線の南側では、ディドコットからニューベリーを経由してサウサンプトンまでと、チッペナムからウェストベリーを経由してウェイマスへの路線などがあった[34]。
地域横断路線網がこれらの本線間を連絡しており、この他に多くの支線網があった。3.5マイル(約5.6キロメートル)の短いクリーブドン支線から[35]、23マイル(約37キロメートル)のいくらか長いマインヘッド支線などもあった[36]。ロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道がニューベリーにやってくることを防ぐために建設されたレディング-ベイシングストーク線のように、他社との競争対策でGWR自身が建設した路線もある[16]。しかし多くの路線はローンストン支線[37]やブリクサム支線[38]のように、地域の鉄道会社が建設して後により大きな隣接鉄道会社に対して売却したものであった。また輸送対象でも大きな差異があり、セント・アイブス・ベイ支線のように休日の観光客を運ぶもの[39]、ウィンザー支線のように貴賓客を運ぶもの[40]、カービス・ワーフ支線のように貨物専用のものなどである[41]。
ブルネルはGWRが大西洋を横断して続くことを計画しており、ブリストルからニューヨークへ旅客を運ぶために蒸気船のグレート・ウェスタンを建造した[42]。まもなく、北アメリカと結ぶ多くの需要はより大きなリヴァプールの港(ロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道の領域である)を利用するようになったが、それでも一部の大西洋横断旅客はプリマスに上陸して、ロンドンまで特別列車を利用していた。GWRの船舶はグレートブリテン島とアイルランドやチャンネル諸島、フランスなども結んでいた[43]。
主な拠点
GWRの本社はパディントン駅に置かれていた。機関車およびその他の車両はスウィンドン工場において製造・整備されていたが[7]、他社を吸収合併したことによりウルヴァーハンプトンのスタッフォード・ロード工場[44]やニュートン・アボットにある工場[45]など、他の工場も保有していた。レディング駅の北側にレディング信号工場が設置され[46]、また後年トーントンにコンクリート製造工場が設置されて軌道用品から橋桁に至るまでが製造された[47]。
技術的な特徴
路線開通後150年以上経っても、当初開通した本線は鉄道設計の傑作と歴史家に評されている[48]。パディントンから西へ向けて出発し、路線はブレント川の谷をワーンクリフ高架橋で、テムズ川をメイデンヘッド橋で越える。メイデンヘッド橋は煉瓦アーチ橋として建設当時最大のスパンを実現したものであった[49]。サニング切通しを通ってレディングへ到達し[50]、その後テムズ川をゲートハンプトン橋とマウルスフォード橋の2回渡る[51]。チッペナムとバースの間には、当時世界最長の鉄道トンネルであったボックストンネルがある[52]。数年後にGWRはイングランドとウェールズを結ぶ新線を通すセヴァーントンネルをセヴァーン川の下に開通させる[14]。
小さな会社がGWRに合併した際にいくつか特徴的な構造物が増えている。サウス・デヴォン鉄道のシーウォール[53]や、コーンウォール鉄道のロイヤルアルバート橋[54]、カンブリアン鉄道のバーマス鉄道橋などである[55]。
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